音楽 J-POP 洋楽 邦楽 バンド 音楽三昧 200705 SEO対策:音楽 SEO対策:オリコン SEO対策: SEO対策:シングル

 数々の音楽の中から毎週ベスト20位を決めて更新しま〜〜す。 新作から旧作までの邦楽を幅広く詳しく掲載します!! レアな映像などもチェックしてくださいね。
 Ads by Google


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。






--⁄--⁄-- --:-- カテゴリー:スポンサー広告
▲pagetop








 リア ディゾンのアメリカでの暴露映像!!問題のAVデビュの裏動画や手ブラ中にハプニング動画もUPだよ(lll´▽`lll)


リア・ディゾン
手ブラでセクシーダンス中にハプニング


リア・ディゾン(Leah Donna Dizon, 1986年9月24日 - )は、
アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス出身の歌手、モデル、レースクイーン。
フランス系アメリカ人の母と中国系フィリピン人の父とのハーフ。六人兄弟の次女であり、兄が二人、姉が一人、弟が二人いる。
弟のBrad Dizonとはナムコの3D格闘ゲーム、鉄拳の良き対戦相手。
日本での活動の為、日本語を勉強中。習得まではいかないものの片言で最低限の意思の疎通は出来る模様。自ブログにおいてローマ字表記の日本語の簡単な文章を披露。(2006年12月現在)
好きな本は『SAYURI』、『ヴァージン・スーサイズ』、『ライ麦畑でつかまえて』等。
好きな食べ物はキムチ、焼き肉、フォー、果物、野菜等と、アジア料理が多く見られる。
好きなミュージシャンとしてRed Hot Chili PeppersやDEFTONES、KORN、ニルヴァーナなどのハードロック系の他に、X JAPAN、森山直太朗、宇多田ヒカル、安室奈美恵などの邦楽アーティストがあげられているが、これは日本人ハーフの従姉妹の影響と思われる。
ペットはハムスターの「ハムちゃん」。
もともとは歌手志望。モデルの仕事は、歌手になるための下積み・バイトとして始めたのがきっかけ。
好きなミュージック・ビデオは椎名林檎の「歌舞伎町の女王」。特に間奏の、椎名による口笛の部分が好きであるとMTVM size内にて発言している。

アメリカで立ち上げた自分のウェブページに自身の写真を掲載したところ、世界中からアクセスが増加。特に日本からの支持が多く、中でもルーズソックスでセーラー服の写真が話題になり日本のインターネット上で件の画像が瞬く間に増殖、至る所に貼られ、来日を期待するメールが連日寄せられるようになる。その事が後押しとなり、自分でプロモーション用のデモビデオを撮影・作成し、日本の芸能プロダクションにメールする。この時、日本語は全く話せなかったが、ビデオの中で安室奈美恵の『I WILL』を日本語で歌っている。将来性を見込んだスカイコーポレーションによって日本に呼び寄せられ2006年春に来日。「グラビア界の黒船」との謳い文句で、日本でデビューするきっかけを掴む

2007年1月31日放送回の「ロンドンハーツ」(テレビ朝日)で、日本に来て初めて見たテレビ番組は同番組で、青田典子が歌っている企画だったと言う事を告白。また、青木さやかと田村淳のファンである事も同時に告白した。ただ、淳をロンドンブーツ1号2号だと言う事を知らず、ピンだと思っていた模様。その為、淳の相方・田村亮に突っ込まれたが、知らない人に突然、突っ込まれ(本人は怒られたと思った)、少々ご立腹だった。この回では「オシャレゲート」という企画に出演し、ファッションモデルのSHEILAにファッションチェックを受け同氏は熱弁したものの、まだ完璧に日本語を理解しているわけではないので、本人はキョトンとしていた。この回のオシャレゲートはリアのみだった。
「うぇぶたま」に出演したとき、きぐるみ「ジャッピー(バナナマンの日村)」に胸を触られる。
2007年2月9日、インターネットテレビGyaO内の番組、GyaOジョッキーに生出演。1時間番組の予定であったが番組途中にアクセス過多でサーバーがパンクする。
(同じ番組企画でサーバーがパンクしたのはGackt以来との事)

リア・ディゾン(SEX経験を暴露)
リア・ディゾン(飲み会)
リア・ディゾン(お宝映像)
リア・ディゾン(乳首流出??)
リア・ディゾン(全裸に)
リア・ディゾン(え?????)
リア・ディゾン(もう・・・丸見え)
リア・ディゾン(もう我慢できないディゾちゃんん)
リア・ディゾン&しょこたん(ユメレジ)
リア・ディゾン(ギリギリ!?)
リア・ディゾン(M字開脚)
リア・ディゾン(KOBE COLLECTION)
リア・ディゾン(入浴シーン)
リア・ディゾン(問題映像)
リア・ディゾン(デビュ前の素顔)
リア・ディゾン(今日の下着)
リア・ディゾン(ネットTVで暴露)
リア・ディゾン(Softly)
リア・ディゾン(もう我慢の限界)
リア・ディゾン(恋をしよう♪)
リア・ディゾン(水着が透けて)











2007⁄05⁄23 15:20 カテゴリー:リア ディゾン comment(173) trackback(222)
▲pagetop








 平井堅の海外限定PVやファンクラブ限定LIVEなんかもUPしたよ( 。・_・。)人(。・_・。 )


平井堅
君の好きなとこ

平井堅(ひらい けん、1972年1月17日 - )は、日本の男性シンガーソングライター。大阪府出身。身長183cm。

大阪府生まれで三重県名張市育ち。昔、「ひらまん」というあだ名で呼ばれていた。三重県立上野高校を経て、横浜市立大学卒業。姉、兄の仲良し三人兄弟。実家の愛犬はトイプードルの「ハッピー」。カラオケ好きである。

大学在学中に、Sony Music Entertainment Auditionに自作ビデオを応募し、入選したのをきっかけに1993年ソニーレコードと契約。1995年CDデビュー。1枚目のシングルは三谷ドラマ「王様のレストラン」のタイアップであったものの、その後目立ったヒット曲に恵まれず、一時期はシングルの出荷枚数が1万枚という時期さえあった。この間は、地元FM三重の番組でパーソナリティをつとめたり、東京MXテレビの「電リク!BeatBox」の司会をつとめていた(デビュー翌年には「オールナイトニッポン」のジングルを担当していたことも)。しかし2000年、これが売れなければ契約打ち切りという背水の陣でリリースした8枚目のシングル『楽園』のテレビコマーシャルに女優の江角マキコが出演。これによってワイドショーなどに大きく取り上げられたことや、FM各局でも楽曲が注目されて大ヒットし、一躍時の人となる。江角が同じ研音所属であることから、研音のマーケティング戦略が見事に成功した例とも言えよう。

容貌は、彫りの深い顔立ちと濃いひげが特徴的。このためかテレビに出始めた頃、共演者に「日本語お上手ですね」と言われたことや、飛行機(国内線)に乗った際、客室乗務員から英語で話しかけられたことがある。また、長身でモデル並みにスタイルもよく、2001年には、第30回ベストドレッサー賞(芸能部門)受賞、2005年にはデビュー10周年を記念し、初の写真集『歌バカ一代』を学研より10万部限定で発売。性別にかかわらずリアルに共感できる繊細さの秀逸な表現力と、歌唱力は稀代のもので多くのファンに支持されている。また、自身のラジオ番組で松田聖子や松浦亜弥のファンであることを公言するなど、意外とミーハーな面も持っており、親近感を持つ人が多く、男性にもファンが多い。関西弁を話し、「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」などでは司会のダウンタウンを相手に軽妙なトークを展開することが多い。インタビューなどに対して、腰の低い態度と関西人らしい笑いを含めた返答をするところも見所である。

サザンオールスターズの大ファンであり、学生時代はコピーバンド「NO-NAME(サザンのシングル『EMANON』の逆さ読み)」を組んでいた。また桑田佳祐の自宅の門の上に、「コーラスでいいので雇ってください」とメッセージを添えたデモテープを置いて行ったという過去を持つ(ミュージックステーション出演時に発言)。このテープに関し桑田は「つめが折ってなかったから、EXILE録っちゃった」と冗談交じりに発言している。2003年の「FNS27時間テレビ〜みんなのうた」内の『桑田佳祐の音楽寅さん〜MUSIC TIGER〜サザンオールスターズスペシャル』では、桑田・原由子と共にサザンの『栞のテーマ』をハモり、夢の共演を果たした。さらに、2ndシングル『片方ずつのイヤフォン』の歌詞には“Southern All Stars”が登場し、アルバム『Ken's Bar』ではKUWATA BANDの『ONE DAY』をカバーしている。しかし同時に平井は、自身の声質や歌唱スタイルが桑田のそれとは全く違うことを自覚しており、桑田の模倣とはせず独自の歌唱法を身に付けた為、平井のオリジナル曲にその影響は殆ど見られない。
デビューの年には、母校上野高校の学園祭でコンサートを行なっている。アンコールでは、その独特の歌いまわしでアレンジした校歌を披露した。またこの時、母校の財政事情を心配した平井は、本人が本来受け取るはずだった一切のギャラの受け取りを拒否した。


平井堅(君の好きなとこ)
平井堅(楽園)
平井堅(センチメンタル)
平井堅(why)
平井堅(笑顔)
平井堅(バイマイメロディー)
平井堅(Precious Junk)
平井堅(青春デイズ)
平井堅(思いがかさなるその前に…)
平井堅(片方ずつのイヤフォン)
平井堅(夭)
平井堅(Precious Junk)
平井堅(LOVE OR LUST)
平井堅(キミはともだち)
平井堅(ドシャブリ)
平井堅(楽園)
平井堅(Ring)
平井堅(大きな古時計)
平井堅(バイマイメロディー)
平井堅(HEAT UP)
平井堅(Strawberry Sex)
平井堅(KISS OF LIFE)
平井堅(Love Love Love)
平井堅(哀歌)
平井堅(Miracles)











2007⁄05⁄19 09:04 カテゴリー:平井堅 comment(0) trackback(2)
▲pagetop








 ↑THE HIGH-LOWS↓の解散にて甲本ヒロトがインタビュー!!ファンならずとも気になる人はチェックしてみてくださいね(lll/▽\lll)


↑THE HIGH-LOWS↓
夏なんだな

↑THE HIGH-LOWS↓(ザ・ハイロウズ)は、1995年に結成された日本のロックバンド。バンド名の由来は、ギター担当の真島昌利がある日突然ひらめいた単語であるといわれる。また、ギアのハイとローという説もある。
2005年11月11日、活動休止を発表したが、実際は休止ではなく解散していた。

メンバー
甲本ヒロト 愛称・ヒロト(こうもと ひろと、1963年3月17日)ボーカル、ブルースハープ、ギター、作詞、作曲
岡山県岡山市出身 元コーツ、ザ・ブルーハーツ、現ザ・クロマニヨンズ

真島昌利 愛称・マーシー(ましま まさとし、1962年2月20日)ギター、コーラス、作詞、作曲
東京都小平市出身 元ザ・ブレイカーズ、ザ・ブルーハーツ、現ザ・クロマニヨンズ

調先人 愛称・べっちゃん(しらべ さきと、1963年9月14日)ベース
福岡県朝倉市出身 元バサラ、ミン&クリナメン他 現セルキー・アランドロン

大島賢治 愛称・おーちゃん(おおしま けんじ、1964年12月30日)ドラムス
東京都西東京市出身 The ブドーカンのドラマーとしてデビュー、元ザ・ブルーハーツディレクター、2・3'S(ニーサンズ)他 現セルキー・アランドロン

白井幹夫 愛称・ミッキー(しらい みきお、1950年5月31日)キーボード
東京都港区芝出身。 ザ・ブルーハーツのサポートメンバー。※2003年脱退。現在は、ソロおよびTHE BIG HIPのメンバーとして活動中。自身の公式ホームページを持っている

1995年に解散したパンクロックバンド、ザ・ブルーハーツの主要メンバーであった甲本ヒロトと真島昌利を中心に結成された。ブルーハーツ解散後、ちょうどバンドを組もうとしていた真島がブルーハーツ関係者であった大島と白井を誘い、ボーカリストが見つからず、甲本を誘ったのがバンド結成の経緯である。当初は主に学園祭を中心に活動していたが、シングル『ミサイルマン』で正式にデビュー。ブルーハーツに比べ意味不明な歌詞や硬質のロックにファンは戸惑いを憶えたが、活動を重ねるごとに人気を集めていった。

ブルーハーツとハイロウズの決定的な違いは、サウンドの厚さや歌詞である。意味よりも強度を意識した歌詞が目立ち、サウンドはブルーハーツの時よりも厚みが増し、テンポの速い曲が多くなった。具体的なメッセージを読み解きにくい歌詞、厚みを増したサウンドのせいか、好き嫌いの分かれるところがある。ファンの間では、メッセージを読み解きやすい歌詞の楽曲に人気が集まる傾向がある(「千年メダル」、「青春」、「日曜日よりの使者」、「14才」など)。しかし一見でたらめな歌詞から意味を読み解こうとするファンも少なくはない。

ファンクラブ等の業務上の手続きのため、2005年11月に活動休止を発表。「休止とか解散とか、言葉なんかどっちでもいい。10年間やってたバンドを、今はやっていないだけ。」と甲本。三谷幸喜の映画のために書き下ろした曲を、ハイロウズでやるために準備をしていた矢先にバンドが活動休止になった、大島や調が決定権を持って辞めようと言ったわけじゃない、という甲本の発言からバンドの休止(解散)を言い出したのは真島だと思われる。その理由について真島は、(バンドが)活気を失った感じがした、と発言。(失った活気を)取り戻すために何かするのは、それ自体おかしなこと。バンドを存続させていくことに意味を感じてない、という甲本が同調して事実上、ハイロウズは解散した。 ただし現在でも公式には解散ではなく、活動休止となっている。

↑THE HIGH-LOWS↓(サンダーロード)
↑THE HIGH-LOWS↓(青春)
↑THE HIGH-LOWS↓(解散について)
↑THE HIGH-LOWS↓(SOTOデナ)
↑THE HIGH-LOWS↓(Too Late To Die Fuji Rock 2002)
↑THE HIGH-LOWS↓(スパイダー・ホップ)
↑THE HIGH-LOWS↓(フルコート)
↑THE HIGH-LOWS↓(不死身の花)
↑THE HIGH-LOWS↓(いかすぜOK)
↑THE HIGH-LOWS↓(荒野はるかに)
↑THE HIGH-LOWS↓(夏なんだな)
↑THE HIGH-LOWS↓(ロッキンチェアー)
↑THE HIGH-LOWS↓(日曜日よりの使者)
↑THE HIGH-LOWS↓(ハスキー)
↑THE HIGH-LOWS↓(甲本ヒロト 解散について)
↑THE HIGH-LOWS↓(一人で大人 一人で子供)
↑THE HIGH-LOWS↓(ミサイルマン)
↑THE HIGH-LOWS↓(月光陽光)
↑THE HIGH-LOWS↓(真夏のストレート)
↑THE HIGH-LOWS↓(罪と罰)
↑THE HIGH-LOWS↓(ニューヨーク)
↑THE HIGH-LOWS↓(14才)
↑THE HIGH-LOWS↓(千年メダル)
↑THE HIGH-LOWS↓(俺たちに明日は無い)










ジャンル:音楽 テーマ:LIVE、イベント
2007⁄05⁄18 08:00 カテゴリー:↑THE HIGH-LOWS↓ comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 アメリカ限定のPVや秘蔵映像の「Run! Puffy! Run!」&「Hi Hi Puffy」なんかの映像&PVをUP。日本では観れない映像ばかりだよ( σOσ)o_彡☆


PUFFY
働く男

パフィー(PUFFY)は、大貫亜美、吉村由美の2人から成る日本の女性歌手デュオである。複数名の歌手から成るグループは、巧みなハーモニーを駆使する事が殆どだが、「パフィー声」と称される、2人の声が渾然一体となった独特のユニゾン唱法を用いるのが特徴である。ソニー・ミュージックアーティスツ属。2002年からは北米ツアーを行い、アメリカ合衆国やカナダに於いては"Puffy AmiYumi"(パフィー・アミユミ)名義で活動している。

東京出身の大貫は、高校在学中に男子生徒と結成したロック・バンド、ハノイ・セックスでカバーしたハノイ・ロックスの曲のデモテープを、「落選通知を受け取る為に」ソニーのオーディションに送った。結果は意外にも合格であったが、応募動機から判る様に気軽なアマチュアバンドであったハノイ・セックスは、進学準備の為解散してしまった。大貫もまた、志望職種であったスチュワーデスに必要な英語学習の為進学を決めたが、彼女の声質に魅力を感じたソニーのスタッフに説得され、神田外語学院に通う傍らソニー・ミュージック・アーティスツ(SMA)に所属して歌唱指導を受ける等、ソロ歌手としてデビューへの準備を進めていた。

大阪出身の吉村は、当時所謂ヤンキーで、高校を中退して鉄筋工等のアルバイトを転々とする、フリーターの生活を送っていた。特に音楽等の文化活動は行っていなかったが、彼女の優れた容貌を惜しんだ知人によって、ソニー主催「ちょっとそこまでオーディション」に推され、大貫同様、意外にも合格した。どの様な類の芸能活動を行いたいか、と言うソニー側の質問に「歌手」と答えた吉村は、SMA所属のアーティストとして大阪を離れ上京する事になった。

SMAの事務所で初めて対面した大貫と吉村は、互いに魅力を感じたが、双方の内気な性格から当初は打ち解けなかった。僅かに年長の大貫に対し、吉村が敬語で対応する様な関係が暫く続いた。しかし、歌手として抽んでた能力を持てぬままデビューを待つと言う、同じ境遇にあった両名が抱える不安の解消先が互いの友情に求められる様になり、吉村が大貫の実家に出入りするまでに親密な関係となった。更に、音楽活動に於いても、デュオとして行うことで困難に対処出来ると考える様になった両名は、事務所にこれを提案し、既に大貫のソロ音源(後に吉村のソロも作られ、大貫亜美吉村由美名義のアルバム『solosolo』として発表された)が録音されていたにも関わらず、特に議論される事無く容れられた。同じ事務所に所属する奥田民生がプロデュースに関心を示していた事から、二人は彼に託される事になった。

その頃、米国のロックバンド、ジェリーフィッシュが来日公演を行っていた。そのドラムスを担当し、優れた作曲家でもあるアンディー・スターマーは、才能を認め合う関係である奥田を通じて、SMAと関係があった。バーで大貫と吉村のマネージャーからグループ名の案を求められたスターマーは、"The Puffy"を提案し、これが採られた(後にTheは削られた)。

パフィーとなった大貫と吉村は、ラジオ番組を持つ、真心ブラザーズ『サマーヌード』のミュージック・ビデオに客演する(この時はトレードマークのジーンズではなく、スカート姿だった)、奥田の下でアルバム制作を進める、等を行っていたが、1996年5月、プロデュースと作曲を奥田、作詞を井上陽水が担当したシングル『アジアの純真』でメジャーデビューした。ELOに影響された、煌めく様な曲調と、不可解な歌詞を持つこの曲は、極めて高い音楽性と普遍性、何より気さくなユーモアを備えており、それをジーンズにTシャツ姿のパフィーが、「自然体」「脱力系」等と評された、力みの無い、しかし計算されたパフォーマンスで表現した。これは、当時Jポップシーンを席巻していた小室ファミリーの緊張感や露骨な向上心の対極に位置する物であり、僅かな市場の隙間かと思われたそのニッチは、実はかなり大きな物であった事が、小室ソングに馴染めない、或いは飽き足らない部分を持つユーザーによる支持が生んだ、『アジアの純真』のミリオン・ヒットと言う形で示された。

勢いに乗ったパフィーは、『アジアの純真』を収録したアルバム『amiyumi』、2ndシングル『これが私の生きる道』と相次いで奥田による質の高い作品を発表し、その年の音楽新人賞を総なめにした。NHK紅白歌合戦にも出演が確実視され、実際にNHK側からもオファーがあったのだが、当時レギュラー出演していたsaku saku morning call(TVKテレビ)の年末特番への出演が先に決定していた為、辞退した。ローカル局の為に紅白の出演を蹴った事で「天下のNHKがTVKテレビに負けた」と報道された。尚、この時は吉村が出演直前に自転車事故で左脛骨骨頭剥離骨折による全治6週間の怪我をしてしまった為、saku saku morning callへの出演は不可能となり、番組には大貫のみが出演している。

こうした成功は、単なる音楽的成功と言うより、より広範な文化的成功と呼ぶべき物であり、日本のみならず、台湾等の東アジア地域にも波及した。特に、一部の若い女性達は、パフィーの登場によって、初めて自分を表現出来るスタイルを見出し、安室奈美恵のスタイルを模したアムラーに対し、パフィラーが現れた。とは言え、傾向は大きく異なるものの、安室奈美恵とパフィーは、多くの資本とプロの技術により、巧みに作り出された商品、所謂アイドルであった事に違いは無かった。

しかし、奥田は、パフィーが過去のアイドル達の様に短期間で消費されてしまう事を嫌い、責任ある姿勢で指導に当たった。パフィーもまた、こうした彼の人間性とミュージシャンとしての抽んでた才能を、「先生ちゃん」と呼んで慕った。この様に、基本的には奥田がパフィーのプロデューサーであったが、彼はパフィーが特定の指導者に依って立つことを望まず、1999年のアルバム 『FEVER*FEVER』では、笹路正徳にプロデュースを託した。2003年のアルバム 『NICE.』及び2004年のミニアルバム 『59』では、アンディー・スターマーがプロデュースに当たった。特に『NICE.』では、彼が全ての収録曲を作曲した。それにより、これまでの、複数の作曲者から作品の提供を受け、おもちゃ箱的な多彩さを持つが、ともすれば全体の脈絡を欠いたアルバムから、統一された雰囲気の中から大人の落ち着きを醸し出す、トータル・アルバムとして完成度の高い、パフィー作品の一つの到達点を実現した。

安定して優れた音楽作品を発表し続けた事が、パフィーの人気を確立した主な要因であるが、大貫と吉村のキャラクターとしての魅力も無視出来ない。シングルCDのジャケット等を担当していた、米国のイラストレーター、ロドニー・アラン・グリーンブラットによるキャラクター商品は人気を博した。又、彼は、1997年10月に放送開始されたパフィーの冠番組である「パパパパパフィー」に於ける、スタジオセットのデザインも行った。この番組は、デビュー直後のHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP出演時に、内気な性格と経験不足から何も喋る事が出来ないパフィーに対し、「その様な事では、もし冠番組を持つ事になったら、どうするのか」として、司会の予行演習を行わせようとした松本人志が発した架空のTV番組のタイトルを、そのまま採用して生まれた物であった。この番組が、4年間に渡り毎週放送された事は、デビュー時のブームで獲得した認知度を定着させる上で重要な役割を果たした。ホスト役を務める事で経験を積んだパフィーは、徐々に息のあった話芸を見せるようになった。この番組は、音楽活動と併せて、パフィーの活動の両輪とも言うべき重要な位置を占めた。

又、パフィーを直接キャラクター化したものではないが、コナミの音楽ゲーム『pop'n music』に登場するキャラクター『ミミ(ウサギ)』と『ニャミ(ネコ)』は、明らかに大貫と吉村をモチーフとしていた。

2000年、パフィーは米国テキサス州で行われたロック・フェスティバルSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演した。これは、有望な新人を売り込むショーケース・ギグに類する催しであり、ソニーが擁する日本人アーティストの米国進出のテスト・ケースとして、「本場」のアーティストには見られない個性を持ち、競合を避けられるパフィー達が送り込まれたのである。このSXSWで手応えを掴んだパフィーは、2002年には初の北米ツアーを行い、ソニーの現地レーベルとカナダのBar/None Recordsから、『SPIKE』の現地版と、ベスト盤である『An Illustrated History Of Puffy AmiYumi』を発表し、一定の評価を得た。北米で「Puffy AmiYumi」と名乗るのは、パフィーの愛称を持つラッパー、ショーン・コムズから警告を受けての事である。

2004年には、ツアーを通じてカートゥーン・ネットワークの重役がパフィーの存在を知った事から、同局の「Teen Titans」の主題歌を担当、更にパフィーをモデルにしたアニメ・「Hi Hi Puffy AmiYumi」が制作され、全米で放送された。この番組は低年齢層から高い支持を得て、CN開局以来の高視聴率を記録した。パフィーは、アイドルとミュージシャンの中間点に位置するグループであり、デビュー以来、徐々にアーティスト寄りの方向に進み、『NICE.』で一つの到達点を示していたのだが、"Hi Hi"の成功を受けて、キャラクターとしての魅力を再確認させられる事になった。

2005年、デビュー時から在籍していたEPICレコードからKi/oonレコードへレーベル移籍した。これはソニー・ミュージックエンタテインメント内の配置転換である。また、この年、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」に出演し、ビートルズの「エブリボディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」などを歌った。

2006年1月16日(月)、米国での活躍を認められ、国土交通省が中心となって推進する、2010年迄に日本へ1000万人の外国人旅行者を招こうと言う施策である『ビジット・ジャパン・キャンペーン』の重点市場国の一つである米国に於ける観光親善大使に、国土交通大臣より任命された。又アルバム『Splurge』を発表し、北米ツアー「Splurge! Splurge! Splurge! 2006」を行い、帰国後にロック・イン・ジャパンなどのロック・フェスに参加する等、盛んな活動を続けている。同年結成10周年を迎えた。曰く「こんなに続くとは思わなかった」(10周年記念日比谷野音でのライブMCより)
キャラクターの良さを評価され、近年はCM出演も多くなっている。

PUFFY(ナイスバディー)
PUFFY&東京スカパラダイスオーケストラ(ハズムリズム)
PUFFY(モグラライク)
PUFFY(Teen Titans)
PUFFY(Tokyo I'm On My Way)
PUFFY(ハリケーン)
PUFFY(v.a.c.a.t.i.o.n)
PUFFY(働く男)
PUFFY(アジアの純真)
PUFFY(はじまりのうた)
PUFFY(雪が降る街)
PUFFY(これが私の生きる道)
PUFFY(Hi Hi Puffy 1)
PUFFY(Hi Hi Puffy 2)
PUFFY(Hi Hi Puffy 3)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 1)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 2)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 3)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 4)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 5)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 6)
PUFFY(ブギウギ No.5)
PUFFY(MOTHER)
PUFFY(らくだの国)
PUFFY(青い涙)
PUFFY(恋のエチュード)
PUFFY(あたらしい日々)
PUFFY(SUNRISE)
PUFFY(人にやさしく)
PUFFY(ギャル系だらけの大運動会)
PUFFY(ビジュアル系だらけの大運動会)
PUFFY(Joining A Fanclub)
PUFFY(モグラライク)
PUFFY(とくするからだ)
PUFFY(たららん)










ジャンル:音楽 テーマ:女性アーティスト
2007⁄05⁄17 09:00 カテゴリー:PUFFY comment(0) trackback(1)
▲pagetop








 B'zの新曲「永遠の翼」「ロンリースターズ」の新作PVや今では観れない秘蔵PV&LIVE動画なんかもUPしましたよd=(。・。・。)=b


B'z
永遠の翼


B'z(ビーズ、1988年−)は、松本孝弘、稲葉浩志の2人で構成される日本のロックユニット。ビーイング傘下のレーベル、VERMILLION RECORDSに所属。

結成前〜デビュー
1987年、音楽制作会社ビーイングに所属し、浜田麻里やTM NETWORKなどのツアーサポートやスタジオ・ミュージシャンとして活躍していたギタリストの松本孝弘が、自身のバンドデビューを目指し、あるボーカリストとバンドを組む事を音楽雑誌で公表した。しかし、そのボーカリストとデビューする事はなかった。
1988年、ビーイング社長で音楽プロデューサーでもあった長戸大幸から1本のデモテープを渡される。そのデモテープには学生時代の稲葉が、T・ボーン・ウォーカーの「T-BORN SHUFFLE」、レッド・ツェッペリンの「YOU SHOOK ME」、ビリー・ジョエルの「Honesty」を歌ったものが録音されていた。
1988年5月に「SOUND JOAKER」という小さなスタジオで初顔合わせした二人は、ビートルズの「Let It Be」、「Oh! Darling」の2曲をセッションした。その後、ユニットを結成し「B'z」としてデビューすることになった。
二人で初セッションした時、機材の故障により結局2曲しかセッションをせずに結成が決まったという逸話もある。2人はデビュー15年以上経った今でも「一緒にやろう!」とはお互い言った事はないと笑いながら話していた。が、93年の『LIVE-GYM '93 "RUN"』の中で、そういえば言っていないなということで、稲葉が「一緒にやろう!」と言った。一方、長戸は「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい」とB'z結成の2、3年前から事あるごとに言い続けていた(B'z初期のFCスタッフ記事より)。
なお、松本は当初4〜5人のバンドを組もうとしていたが、なかなかいい人材が見つからず、稲葉の「2人でいいんじゃない?」の一言で2人組になったという。初期のB'zのプロデューサーは中島正雄である。B'zがブレイクした後も中島はスーパーバイザーという肩書きで指揮していた。

結成後〜現在
今でこそ国民的ロックユニットと呼ばれているB'zだが、初期の作品は当時人気絶頂期にあったTMNのビーイング版というコンセプトで、ギターサウンドを抑え打ち込みを前面に出したTMNに近いデジタルサウンドであった。当時、本人達は「デジタルでは絶対に音が作れないギターとボーカルを、デジタルビートと融合させる、というコンセプトで活動している」と発言していた。ファッション的にもTMNのスタイルを意識し、TMNを大きく取り上げていた雑誌を中心にプロモーションが行われ、松本はライブやレコーディングにTMNのサポートメンバー時代の仲間、久保こーじを招こうとしていたほどであった。

しかし、デビュー作はチャート100位以内にも入らず全く売れなかった。加えて当時はバンドブームだったため「2人組」という理由だけで音楽番組などに出演させてもらえなかったなど、デビューからしばらくは大苦戦が続いた。ブレイクのきっかけは1989年にリリースしたミニアルバム『BAD COMMUNICATION』である。このミニアルバムに収録された同名の曲が有線で注目され始め、オリコンチャート10位以内には入らなかったものの、163週ランクインすると言うロングヒットを記録。1990年のシングル『BE THERE』で初のトップ10入り、そしてシングル『太陽のKomachi Angel』が初のオリコンチャート1位を記録しブレイクを果たす。

ブレイク以降、次第にロック色を強くしていくこととなる。デジタルビートから、ダンス、生の管楽器や弦楽器を導入したアレンジや、4ピースバンドロックと時代ごとに特徴がある。近年は4〜5ピースのロックバンドサウンドであり、サウンドや楽曲展開・構造においてスリム化がなされ、管楽器やダンスビートなど、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム以外の装飾的な音はあまり使用されない傾向にあった。しかし、42nd シングル『SPLASH!』・15thアルバム『MONSTER』からは4ピースバンド形態の曲だけでなく、昔のように打ち込みや管楽器などを用いたサウンドも使っている。これらの詳しい内容、発表されたレコードに関しては後述のディスコグラフィを参照のこと。

ほぼ一年にアルバム一枚をリリース、そしてそれをテーマにしたライブコンサートツアーを同じく年に一度を基本に活動。シングルはデビュー以来毎年リリースされている。

ライブツアータイトルは、一貫して『LIVE-GYM』と銘打っている。彼らのライブツアーには、アルバムツアーと、俗に言う「Pleasureツアー」の2種類ある。
アルバムタイトルツアーではそのツアーの前後に発表されたアルバムからの曲が中心。
Pleasureとタイトルがついたツアーでは、過去のヒット曲を中心に演奏、さらに未発表の新曲も披露していた。
Pleasureツアーは2003年の『LIVE-GYM The Final Pleasure "IT'S SHOWTIME!!" in渚園』の静岡県浜松市の弁天島渚園2daysをもって封印された。その理由として、「アルバムツアーでもヒット曲を演奏するようになったから」と語っている。
「Pleasureツアー」の終了に伴い、「アルバムツアー」の概念も薄くなってきている。
ライブでは、会場の大小問わず松本・稲葉共に常に動き回るエナジェティックなパフォーマンスが高い評価を得ている。
松本と稲葉がそれぞれすべての楽曲の作曲作詞を担当。ただし、1stアルバム『B'z』の中の『Nothing to Change』のみ亜蘭知子が作詞している。同じく同アルバムの『孤独にDance in vain』のみ大槻啓之が作曲している。松本曰く、「当時はあれが限界だった」と語っている。

1990年から1994年まで、B+U+M(B'z UNREAL MUSIC)を結成。これは、ギターとボーカルのみで編成されるB'zだけでは実現できない音楽を実現する目的で結成された音楽集団であった。
音楽的方向性はアルバムや時期ごとに変化しており、初期のころはデジタル打ち込み音とギターによる曲作りをしていたが、次第にロック色を強めていき、シングル『ZERO』や『Don't Leave Me』のころからこれは顕著なものとなっていく。そのために打ち込み音を使用する割合は徐々に減っていき、近年の楽曲はライブ感重視のものとなっている。
4thシングル『BE THERE』以降カップリング曲を単なる添えものと考えず、2nd beat(1曲目は1st beat、3曲目は3rd beat)と呼んでいる。2nd beatには、アルバム未収録ながら人気曲となったり、タイアップがついたりするものもある。2000年2月に発売された、旧録・新録と新曲を含んだベストセレクションアルバム『B'z The "Mixture"』は、「マストアルバム」と銘打たれ、2nd beat中心の選曲となっている

B'z(美しき世界)
B'z(OCEAN)
B'z(愛のバクダン)
B'z(FRICTION)
B'z(love me, I love you)
B'z(LADY NAVIGATION)
B'z(Easy Come, Easy Go!)
B'z(ALONE)
B'z(ピエロ)
B'z(The Wild Wind)
B'z(愛しい人よGood Night...)
B'z(美しき世界)
B'z(いつかのメリークリスマス)
B'z(Stay Green)
B'z(熱き鼓動の果て)
B'z(盗作疑惑)
B'z(ねがい)
B'z(ロンリースターズ)
B'z(野性のENERGY)
B'z(衝動)
B'z(Stay Green)
B'z(今夜月の見える丘に)
B'z(旅☆EVERYDAY)
B'z(もう一度キスしたかった)
B'z(月光)
B'z(TIME)
B'z(裸足の女神)
B'z(ZERO)
B'z(ケムリの世界)
B'z(BLOWIN)
B'z(ARIGATO)
B'z(BAD COMMUNICATION)
B'z(Happy Birthday)
B'z(LOVE PHANTOM)
B'z(紅い陽炎)
B'z(ねがい)
B'z(LOVE PHANTOM)
B'z(明日また陽が昇るなら)
B'z(MONSTER)
B'z(juice)
B'z(ゆるぎないものひとつ)






2007⁄05⁄17 07:30 カテゴリー:B'z comment(0) trackback(1)
▲pagetop








 NEWSの1周年記念の秘蔵映像や新曲PVなんかもUP☆(lll>。☆lll)まじで観ないと損するよ


NEWS
星をめざして

NEWS(ニュース)は、日本のジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループ。レコード会社ジャニーズ・エンタテイメント所属。2003年9月15日結成。デビュー当時は「NewS」という表記が一部マスメディアで使われたが、正式な表記は最初から「NEWS」である。

メンバー
山下智久(やました ともひさ、1985年4月9日 - 、A型)
小山慶一郎(こやま けいいちろう、1984年5月1日 - 、O型)
錦戸亮(にしきど りょう、1984年11月3日 - 、O型)
増田貴久(ますだ たかひさ、1986年7月4日 - 、O型)
加藤成亮(かとう しげあき、1987年7月11日 - 、A型)
手越祐也(てごし ゆうや、1987年11月11日 - 、B型)

『バレーボールワールドカップ2003』イメージキャラクターとして、ジャニーズJr.内でも特に人気の高かった山下を中心に、関西ジュニアから錦戸・内、関東ジュニアより小山・増田・加藤・手越・草野・森内がメンバーに選ばれ、9人編成で結成された。当時、メンバーには『バレーボールワールドカップ2003』開催期間中の限定ユニットであると説明されていたが、活動はその後も継続された(山下出演『ザ少年倶楽部プレミアム』より)。
錦戸・内の2人は関ジャニ∞にも所属しており、東京・大阪と二つの都市を拠点にするメンバーが混在しているため、当初は状況や活動地域によってメンバー構成が変化する体制をとっていた。
グループ名の由来は「新しい情報」「報道」の他に、「North」「East」「West」「South」、東西南北にグローバルな活躍をしていこう、という意味が込められている。
2003年9月15日、新高輪プリンスホテル・飛天の間で結成披露の記者会見を行う。
2003年11月、『バレーボールワールドカップ2003』のイメージソング『NEWSニッポン』でデビュー。このCDはセブン-イレブン限定発売となり、音楽業界でも異例の試みとなった。
2003年12月、「受験のために学業に専念する」というコメントを残し、森内が休業・脱退。以降、8人体制となる。
2004年3月、『第35回春の高校バレー全国大会』スペシャルサポーターに抜擢。
2004年5月、『アテネオリンピックバレーボール世界最終予選』スペシャルサポーターに抜擢。同月12日、イメージソング『希望〜Yell〜』でメジャーデビュー。オリコンシングルチャート初登場1位、累計売上約40万枚を記録。
2004年7月、『バレーボール・ワールドグランプリ2004』スペシャルサポーターに抜擢。
2005年3月、『第36回春の高校バレー全国大会』スペシャルサポーターに抜擢。
2005年6月、『バレーボール・ワールドグランプリ2005』スペシャルサポーターに抜擢。
2005年7月16日、内が芸能活動を自粛。当面7人での活動となる。
2005年11月、山下が亀梨和也(KAT-TUN)と期間限定ユニット・修二と彰を結成。同月2日にシングル『青春アミーゴ』をリリース。12月5日付の週間チャートで、シングルとしては2005年初のミリオンセラーを達成。
2006年1月31日、草野が芸能活動を自粛。当面6人での活動となる。
2006年3月15日、シングル『サヤエンドウ/裸足のシンデレラボーイ』をリリース。メジャーデビュー以来、オリコンチャートでの5作連続初登場1位を記録。これはKinKi Kids・光GENJIに続く歴代単独3位である。
2006年4月1日、NEWS・関ジャニ∞・KAT-TUNの三組合同ファンクラブ・You&Jが発足される。
2006年5月1日より、メンバー二人の芸能活動自粛に伴い、連帯責任という形でグループ単位での活動を年内いっぱい休止。以降、メンバーはソロや新ユニットを中心に活動する。
2006年8月、山下とタイの兄弟アイドルGOLF&MIKEによる期間限定ユニット・Kitty GYMが『バレーボール・ワールドグランプリ2006』スペシャルサポーターに抜擢。同30日、イメージソング『フィーバーとフューチャー』をリリース。
2006年11月15日、手越と増田がユニット・Tegomassを結成し、シングル『Miso Soup』をスウェーデンでリリース・デビュー。12月20日には名義をテゴマスとし、シングル『ミソスープ』を日本でリリースした。
2006年12月30日、山下・小山・錦戸・加藤・増田・手越の6人でのグループの活動再開が公式サイト・Johnnys netで発表される。また、内・草野が研修生として芸能活動を再開する事も併せて発表された。
2007年1月1日、『ジャニーズカウントダウン2006-2007』に出演し、大勢のファンの前で活動再開発表後初めてのステージを披露した。
2007年1月10日、八芳園で増田の成人式を兼ねたNEWSの再始動記者会見を行う。
2007年3月、テゴマスが『第38回春の高校バレー全国大会』スペシャルサポーターに抜擢。
2007年3月21日、活動再開後初となるシングル『星をめざして』をリリース。メジャーデビュー以来、オリコンチャートでの初登場1位の記録が6作連続となる。
『バレーボールワールドカップ2003』イメージキャラクターとして、ジャニーズJr.内でも特に人気の高かった山下を中心に、関西ジュニアから錦戸・内、関東ジュニアより小山・増田・加藤・手越・草野・森内がメンバーに選ばれ、9人編成で結成された。当時、メンバーには『バレーボールワールドカップ2003』開催期間中の限定ユニットであると説明されていたが、活動はその後も継続された(山下出演『ザ少年倶楽部プレミアム』より)。
錦戸・内の2人は関ジャニ∞にも所属しており、東京・大阪と二つの都市を拠点にするメンバーが混在しているため、当初は状況や活動地域によってメンバー構成が変化する体制をとっていた。
グループ名の由来は「新しい情報」「報道」の他に、「North」「East」「West」「South」、東西南北にグローバルな活躍をしていこう、という意味が込められている。
2003年9月15日、新高輪プリンスホテル・飛天の間で結成披露の記者会見を行う。
2003年11月、『バレーボールワールドカップ2003』のイメージソング『NEWSニッポン』でデビュー。このCDはセブン-イレブン限定発売となり、音楽業界でも異例の試みとなった。
2003年12月、「受験のために学業に専念する」というコメントを残し、森内が休業・脱退。以降、8人体制となる。
2004年3月、『第35回春の高校バレー全国大会』スペシャルサポーターに抜擢。
2004年5月、『アテネオリンピックバレーボール世界最終予選』スペシャルサポーターに抜擢。同月12日、イメージソング『希望〜Yell〜』でメジャーデビュー。オリコンシングルチャート初登場1位、累計売上約40万枚を記録。
2004年7月、『バレーボール・ワールドグランプリ2004』スペシャルサポーターに抜擢。
2005年3月、『第36回春の高校バレー全国大会』スペシャルサポーターに抜擢。
2005年6月、『バレーボール・ワールドグランプリ2005』スペシャルサポーターに抜擢。
2005年7月16日、内が芸能活動を自粛。当面7人での活動となる。
2005年11月、山下が亀梨和也(KAT-TUN)と期間限定ユニット・修二と彰を結成。同月2日にシングル『青春アミーゴ』をリリース。12月5日付の週間チャートで、シングルとしては2005年初のミリオンセラーを達成。
2006年1月31日、草野が芸能活動を自粛。当面6人での活動となる。
2006年3月15日、シングル『サヤエンドウ/裸足のシンデレラボーイ』をリリース。メジャーデビュー以来、オリコンチャートでの5作連続初登場1位を記録。これはKinKi Kids・光GENJIに続く歴代単独3位である。
2006年4月1日、NEWS・関ジャニ∞・KAT-TUNの三組合同ファンクラブ・You&Jが発足される。
2006年5月1日より、メンバー二人の芸能活動自粛に伴い、連帯責任という形でグループ単位での活動を年内いっぱい休止。以降、メンバーはソロや新ユニットを中心に活動する。
2006年8月、山下とタイの兄弟アイドルGOLF&MIKEによる期間限定ユニット・Kitty GYMが『バレーボール・ワールドグランプリ2006』スペシャルサポーターに抜擢。同30日、イメージソング『フィーバーとフューチャー』をリリース。
2006年11月15日、手越と増田がユニット・Tegomassを結成し、シングル『Miso Soup』をスウェーデンでリリース・デビュー。12月20日には名義をテゴマスとし、シングル『ミソスープ』を日本でリリースした。
2006年12月30日、山下・小山・錦戸・加藤・増田・手越の6人でのグループの活動再開が公式サイト・Johnnys netで発表される。また、内・草野が研修生として芸能活動を再開する事も併せて発表された。
2007年1月1日、『ジャニーズカウントダウン2006-2007』に出演し、大勢のファンの前で活動再開発表後初めてのステージを披露した。
2007年1月10日、八芳園で増田の成人式を兼ねたNEWSの再始動記者会見を行う。
2007年3月、テゴマスが『第38回春の高校バレー全国大会』スペシャルサポーターに抜擢。
2007年3月21日、活動再開後初となるシングル『星をめざして』をリリース。メジャーデビュー以来、オリコンチャートでの初登場1位の記録が6作連続となる。

NEWS(裸足のシンデレラボーイ)
NEWS(サヤエンドウ)
NEWS(夢の数だけ愛が生まれる)
NEWS(Live DVD)
NEWS(問題発言)
NEWS(LOVE SONG)
NEWS(希望〜Yell〜)
NEWS(結成1周年)
NEWS(チェリッシュ)
NEWS(裸足のシンデレラボーイ)
NEWS(NEWSニッポン)
NEWS(恋焼け)
NEWS(紅く燃ゆる太陽)











2007⁄05⁄16 09:00 カテゴリー:NEWS comment(1) trackback(1)
▲pagetop








 今かなり話題沸騰の月島きらり starring 久住小春(モーニング娘。)の新曲PV「ハッピー☆彡」や秘蔵映像「きらりん☆レボリューション メイキング」を1〜12までいっきにUPしたよo(。'(ェ)'。)○☆


月島きらり
ハッピー☆彡

久住小春(くすみ こはる、1992年7月15日 - )は、歌手、声優。女性歌手グループ、女性アイドルグループのモーニング娘。の第7期メンバー。芸能事務所アップフロントエージェンシー所属。新潟県三島郡和島村(現・長岡市)出身。身長は2006年現在162cm(加入時157cm)。血液型はA型。

愛称:こは/くっすん/小春ちゃん/小春/こはっち/くすみん/こはるんるん

人物・エピソード

* 5期の小川麻琴(柏崎市出身)に次ぎ、新潟県(同じ中越地方)からは2人目の「モーニング娘。」である。
* 梅干しが大好き。
* モーニング娘。加入決定時、プロデューサーのつんく♂にそのアイドルとしての潜在能力を高く評価され、「エース」を越えた「ミラクル」級と言わしめ7期オーディション(当初7期オーディションは史上初の「該当者無し」となり、改めてオーディションが実施された)で唯一の合格を勝ち取った。
* オーディションでの歌唱力(音感)には難があった。その為、つんく♂とスタッフが自宅に訪れての最終選考にて、レッスンでの改善が望めると判断された。
* 現在のメンバーでモーニング娘。オーディション恒例の合宿を経験していないのは彼女と藤本美貴だけである(OGを含めると2期メンバー保田圭、矢口真里、市井紗耶香も行っていない)。
* オーディション時で目標のメンバーを聞かれた際に「吉澤ひとみ」と「藤本美貴」の名前を挙げた。中でも藤本は憧れの対象でもあり、「ハロー!モーニング。」や「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」に出演した際に「全ての芸能人の中で一番好き」と語った。が、「娘DOKYU!」第3クールで藤本にメッセージを渡す際に、「大大大好きな藤本さんへ」で始めた迄は良かったが、途中で「藤さん」と書いて、その後に「さ」の字の上に「本」の字を書き足すと言う事を行ってしまい、藤本に「大好きとは言い難い感じですよね…」と呆れられた事がある。
* SEXY BOY〜そよ風に寄り添って〜のPV撮影の時に鼻血を出して、藤本美貴にティッシュを詰めて貰った事がある(オリコンでのインタビューより)。
* そろばん1級と暗算1級を持っている。
* 視力が悪く、コンタクトレンズをしている。
* 2006年新春開催の「Hello! Project 2006Winter 〜ワンダフルハーツ〜」で衣裳に付けられていた番号は「58」。こはるの「こは」の語呂合わせと考えられる。
* 2007年2月2日のミニステでGacktと初対面を経験したとコメントした。

声優

* 2006年3月2日、きらりん☆レボリューションの「月島きらり」役として声優デビューすることが発表される。
* 2006年4月7日、きらりん☆レボリューション第一話がテレビ東京系列でオンエアされ、実質的に声優デビューを果たす。
* 久住は、ハロー!プロジェクトからは初のアニメレギュラー出演である。
* 2006年7月12日に、「月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)」として1stソロシングル『恋☆カナ』をリリース。デビューから14ヶ月でのソロデビューは中澤裕子の7ヶ月に次いで速い。又、13歳363日でのソロデビューはハロー!プロジェクト史上最年少である。同曲はオリコン初登場12位、初週売上18125枚を記録した。
* 2006年10月25日には、やはり「月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)」名義で2ndソロシングル『バラライカ』をリリース、オリコン初登場8位を記録した。この曲がオリコンベスト10に入らなければお笑い芸人転向を宣言していたが、これによりお笑い芸人に転向せずに済んだ。

教育係・道重さゆみ

* 彼女を教える教育係は、道重さゆみが担当。
* 以来、道重を姉・師匠と慕い、他のメンバーと比較して親密な間柄にあるが、髪型がポニーテールで同じと言った理由で、道重は妹分である久住の事をライバルとハロプロアワーで言っている。
* 2006年2月発売の7thアルバム「レインボー7」に収録された、『レインボーピンク』を歌う師弟ユニット・「重ピンク・こはっピンク」として道重と共演、同年春のツアーでも披露した。単発のユニットで終わるかと思われたが、第2作『わ〜MERRYピンXmas!』が同年秋のツアーで披露され、同年12月発売のミニアルバム「7.5冬冬モーニング娘。ミニ!」に収録された。

略歴

2005年

* 4月24日、「モーニング娘。オーディション2005」最終審査に唯一人残る。
* 5月1日、モーニング娘。に加入の正式発表。メンバー(石川梨華含む)が久住の通っていた学校を訪問しての発表だった。
* 5月6日、日本武道館で初めてステージに立つ。このツアーを以て卒業する4期の石川梨華の衣装を借りての登場で、挨拶のみ。その時にリーダーの吉澤ひとみから「Gatas Brilhantes H.P.(ガッタス ブリリャンチス H.P.)に入らない?」と入団の勧誘があって即、入団が決まった。しかし、正式な入団(練習や大会への参加)はしていない。
* 6月11日・18日・19日、ファンクラブ限定握手会イベントを大阪、東京、名古屋にて開催。
* 7月27日、27thシングル『色っぽい じれったい』でCDデビュー。
* 11月27日、ハロー!モーニング。のレギュラーコーナー「ターン鳥チキン」を田中れいなと共に担当。

2006年

* 1月、ハロー!プロジェクトのキックベースボールチーム「メトロラビッツH.P.」に入団。
* 4月、テレビアニメ「きらりん☆レボリューション」で初の声優(主人公・月島きらり役)。
* 7月、同アニメの主題歌『恋☆カナ』を「月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)」名義で発売し、ソロデビュー。

2007年

* 1月、スペシャルユニット「モーニング娘。誕生10年記念隊」に参加しシングル『僕らが生きる MY ASIA』を発売した。

音楽

久住はアーティスト名「月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)」としてソロ活動を展開している。詳しくは月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)の項目を参照。

テレビ

* ハロー!モーニング。(テレビ東京)
* ハロモニ@(テレビ東京)
* 娘DOKYU!(2005年7月4日-、テレビ東京)
* きらりん☆レボリューション(2006年4月7日-、テレビ東京系列) - 月島きらり役
* おはスタ(2006年-、テレビ東京)- 月島きらりとして本人が出演

ラジオ

* TBC FUNふぃーるど・モーレツモーダッシュ(2005年11月7日 - 18日、東北放送)
* ニッポン放送「ミュ〜コミ」(2006年10月26日) - 14歳の最年少パーソナリティーとしてゲスト出演
* NACK5「まるごとステーションpresents ハイブリッドNACK」(2006年11月)- 単独出演

写真集

* 久住小春写真集「久住小春」(2006年3月26日、ワニブックス) ISBN 4-8470-2923-2

所属ユニット

* モーニング娘。(2005年 - )
* メトロラビッツH.P.(2006年 - )
* 月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)(2006年 - )

きらりん☆レボリューションとのコラボレーションによるソロユニット。

* モーニング娘。誕生10年記念隊(2007年)

月島きらり(☆☆☆)
月島きらり(恋☆カナ)
月島きらり(日本武道館 LIVE)
月島きらり(バラライカ)
月島きらり(黒い色下着が丸見え)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング1)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング2)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング3)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング4)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング5)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング6)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング7)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング8)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング9)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング10)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング11)
月島きらり(きらりん☆レボリューション メイキング12)











2007⁄05⁄16 08:05 カテゴリー:月島きらり starring 久住小春(モーニング娘) comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 長渕 剛の5月18日発売の新曲「Come on Stand up!」を発売前にPVをUP&さんまとのセッションや桑田との不仲説の動画なんかもUP


長渕剛
Come on Stand up!

長渕剛(ながぶち つよし、1956年(昭和31)9月7日 - )は日本のシンガーソングライター・俳優。本名、同じ。
鹿児島県日置郡伊集院町(現日置市)出身。Office REN(オフィス・レン)所属。

警察官の父親・邦治(くにはる)と母親・マス子の長男として、1956年9月7日、当時の鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)にて生を受けた。上に姉がいる2人姉弟。同郷出身の歌手として、中島美嘉の登場が最近の話題として挙げられる。
現在でこそ肉体改造で筋肉質の体になっているが、出産間もなく、流行性感冒で生死の境をさまよっていたと言う話がある。幼い頃の長渕は体が非常に弱く、よく喘息発作を起こし、病院通いが欠かせなかった。
彼の楽しみであったのが、音楽。それも吉田拓郎(長渕と同郷)や加川良、友部正人、遠藤賢司等のフォークソングを好んで聴いていた。「自分もいつかはミュージシャンになりたい」と言う願望もあったのか、中学3年の正月、彼は3000円のガット・ギターを購入し、鉄弦を張り思いのままに好みの楽曲をコピーしていったのである。
シンガーソングライターとしての道を歩むきっかけとなったのは、高校時代に生で観覧した、拓郎のコンサートであった。これを境に拓郎、更には加川や友部と言った、当時売れっ子だったフォークシンガーの歌に傾倒していく事になる。大学進学後は洋楽も聴くが、基本的には1960〜70年代の、日本のフォークシンガーからの影響を強く受けている様である。
80年代半ば頃にはロック色が強くなり、サウンドにも現れたが、80年後半からは原点であるアコースティックに戻っている。
デビュー当時は、今とは違いかなり透き通った発声で歌っていたが、自分自身の作りたい楽曲のイメージとの乖離に悩まされ、発声方法を変える様になった。ボブ・ディランの歌声への憧憬から、焼酎やルゴールの原液で何度もうがいをし、歌手の命でもある喉を焼き切った。しかし、それでも簡単には声質は変わらなかった。長いライブ活動を続けていくうちに、透き通った声は消えうせ、しわがれた声へと変わる。そうして長年のキャリアで培われた独特の歌唱法や楽曲のスタイルは、10代から中高年層までの幅広い年齢層で数多くのファンを生み出した。
幼い頃からジープ (Jeepはダイムラー・クライスラーの商標) が好きで、“四輪駆動の王”と評されるハマーH1を所有する(生産停止のためプレミアムCARとなる)。
俳優としても、『家族ゲーム』や『とんぼ』『しゃぼん玉』等のドラマ、『オルゴール』や『男はつらいよ·幸福の青い鳥』『英二』等の映画に出演している。
2004年8月21日に、鹿児島県の桜島特設ステージで、全国から約7万5千人の観衆を集めてのオールナイトコンサートを敢行し、大成功を収めた。このコンサート会場で売られていたオフィシャルミネラルウォーターは地元企業の商品であった。2006年3月19日には、コンサート会場跡地に記念碑が建てられる。記念碑名は「叫びの肖像」
2005年12月公開の東映映画『男たちの大和/YAMATO』の主題歌を担当。『CLOSE YOUR EYES』が先行リリースされ、話題になっている。
スポーツ界との交流も深く、そのジャンルも、極真空手の緑健児やプロボクサーの戸高秀樹、プロ野球・福岡ソフトバンクホークスのゼネラルマネージャーを務める王貞治やオリックス・バファローズの清原和博、F1レーサーの佐藤琢磨、ラグビーの大八木淳史、K-1の山本KID徳郁、元Jリーガーの呂比須ワグナー等幅広い。
芸能界でも非常に熱心なファンが多い。以下にファンであることを公言している有名な人物を挙げる。
渡哲也、島倉千代子、岩沢厚治(ゆず)、岸田侑馬、押尾コータロー、MAKIDAI(EXILE)、清木場俊介、アンダーグラフ、橋谷康一(Jackson vibe)、向井秀徳、井ノ原快彦(V6)、間寛平、松本人志(ダウンタウン)、松本隆博(松本人志の兄)、勝俣州和、上沼恵美子、ほんこん(130R)、上田晋也(くりぃむしちゅー)、ココリコ、博多華丸(博多華丸・大吉)、ワッキー(ペナルティ)、庄司智春(品川庄司)、田村淳(ロンドンブーツ1号2号)、柴田英嗣(アンタッチャブル)、フットボールアワー、児嶋一哉(アンジャッシュ)、吉田敬(ブラックマヨネーズ)、さがね正裕(丁半コロコロ)、山田雅人など。

芸能ジャーナリストの井上公造とは、大学時代の同じバイト仲間であり(井上は西南学院大学卒業)長渕が東京へ上京する時に井上が幹事で送別会を行っており、現在も交友がある。
絵画や詩にも才能を発揮し自身の詩画展を開き何度も成功を収めている。又その収益金の一部を阪神・淡路大震災で家を失った子供達等の為に寄付した。鹿児島県関連の九州新幹線開業キャンペーンの風は南からの風の書体をデザインしている。その書体は、現在かごしま県民交流センターに展示している。
酒に弱い事は意外に知られておらず、この事を語っている楽曲もいくつか存在する。
使用ギターはレコーディングではギブソン製(J-45、J-200等)、ライブではタカミネ製のエレアコを主に使用する。エレクトリックギターは楽曲によってはライブでたまに使用する。
使用ハーモニカ(ブルースハープ)はTOMBOの「メジャーボーイ」。現在一般的なハーモニカホルダーの形(テンホールズハーモニカ専用で、ハーモニカをセットする部分が狭くなっている)は彼が考案したものとのこと。
「週刊ザテレビジョン」では、イメージが合わないことを理由に、レモンの使用を拒否したことでも有名。
2003年に放送されたラジオ番組「今夜もバリサン」で長渕は今は亡き「尾崎豊」についてとつとつと語った。「彼(尾崎)は最後レコード会社からも見捨てられ、本当に孤独だったんだ。彼みたいな才能ある人間を業界は孤独にさせたらだめだ!」とも語っていた。長渕というニューミュージック界のカリスマが、尾崎と言う10代のカリスマを語った瞬間でもあった。

長渕 剛(乾杯)
長渕 剛(親知らず)
長渕 剛(巡恋歌)
長渕 剛(巡恋歌2)
長渕 剛(巡恋歌3)
長渕 剛(観覧車)
長渕 剛(幸せになろうよ)
長渕 剛&All Cast feat. ZEEBRA(しあわせになろうよ04)
長渕 剛(ろくなもんじゃねえ)
長渕 剛(RUN)
長渕 剛(金色のライオン 04桜島ライブバージョン)
長渕 剛(さんまがタジタジに)
長渕 剛(桑田と本番中に口喧嘩)
長渕 剛(桑田と共演)
長渕 剛(桑田の歌をボロクソにけなす)
長渕 剛&SMAP(とんぼ)
長渕 剛(金色のライオン)
長渕 剛(神風特攻隊)
長渕 剛(YAMATO)
長渕 剛(CLOSE YOUR EYES)
長渕 剛(空)
長渕 剛(夕焼けの歌)
長渕 剛(母告別式 母にあてた詩)
長渕 剛(STAY DREAM)
長渕 剛(He・la-He・la)
長渕 剛(太陽の船)
長渕 剛(カラオケBOXでLIVE)











2007⁄05⁄15 14:42 カテゴリー:長渕 剛 comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 ナイトメアのインディーズ時代のレア音源やデモPVなんかもUP★*☆*(*' '*)*☆*★絶対にこの音源はレアすぎ


ナイトメア
the WORLD

メンバー
YOMI/黄泉(ヨミ)ボーカル
本名は千葉 淳(ちばじゅん)。
1981年7月14日生まれの蟹座 A型 156cm 45kg 足のサイズ 24.5cm
現在25歳である。宮城県古川市出身。バングルカラーはイエロー。
小柄だが、その外見とは裏腹に力強い歌声を放つ。
中学の頃X JAPANに没頭し、ヴィジュアル系ロックに目覚める。ちなみに最初に手にした音源はX JAPANの「DAHLIA」・LUNA SEAの「style」である。初めてバンドを組んだのは高2であり、LUNA SEAを始めLaputaやROUAGEなどのコピーをしていた模様。メンバーからはYOMIよりゾジーと呼ばれる事が多い。メンバーの中では際立ってテンションが高い。
だが、バンド結成当時は柩としかまともな会話が出来なかったほどのかなりの人見知りで、今でもプライベートは意外におとなしいとインタビューで語っていた。
漢字が苦手で「妻子持ち(さいしもち)」を「つまこもち」と読んだことがあるらしい。また、ライブのMCやラジオではよく言葉を噛んでいる。HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPに出演した際、メジャーデビューするまでピザ屋でバイトをしていたと語っている。元ホストでもある。
家族構成は父親、母親と1人の弟と妹がいる。
柩(ヒツギ)ギター
本名は猪狩光雄(いかりみつお)。
1982年3月5日生まれの魚座 AB型 163kg 52kg
現在25歳である。宮城県出身。バングルカラーはレッド。
中学の頃X JAPANやHIDEをはじめとするヴィジュアル系ロックに没頭し始め、ギターを手にミュージシャンを目指し現在に至る。最初に出会ったナイトメアのメンバーは咲人であり、当時柩は17歳であった。
また、柩という名前の由来もHIDEが関係している。「ひ」=「hide」「つ」=「本名から一文字」「ぎ」=「ギター」。この3文字を合わせて「ひつぎ」とし、漢字は後から決めたと、本人出演のラジオjack in the box!内で話していた。HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPに出演した際、パン工場でバイトしていたと語っている。本人曰くそのときのバイトのせいでバナナに抵抗感を持ってしまったという。
家族構成は父親、母親と猫が3匹いる。
咲人(サキト)ギター
本名は坂口貴浩(さかぐちたかひろ)。
1981年6月29日生まれの蟹座 O型 173cm 50kg 足のサイズ 25cm現在25歳である。宮城県出身。バングルカラーはブラック。
小5の頃X JAPANのボーカリスト・TOSHIの「Paradase」にはまり、そこからX JAPANやLUNA SEAなどのいわゆるヴィジュアル系ロックに没頭し始める。LUNA SEAのギタリスト・SUGIZOには相当な影響を受けた。初めに買ったギターはHIDEモデルのモッキンバード。初めてバンドを組んだのは高1の文化祭であり、LUNA SEAやL'Arc〜en〜Cielのコピーをしていた模様。仙台のライブハウスで活躍しており、テイーンズにも出場し学校対抗でグランプリを獲得。東北大会の決勝まで上り詰めた経験も。
2006年10月にHEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPに出演して浜田雅功に「ココへ来るまでみんな色々バイトもやっぱしてきたワケや?」と聞かれた際に「あまりこういう時間帯では言えないと思うんですけども」と答えて、「何をしてたの?」と疑問に思われてしまった事がある。また同番組で柩のメイクについて「ここまでは真似できない」とコメントした際、浜田雅功に「バカじゃねぇのと思ってんの?」と突っ込まれたことがある。
家族構成は父親、母親と1人の弟と妹がいる。
Ni~ya/新弥(二〜ヤ)ベース
本名は馬場祐二(ばばゆうじ)。
1981年6月23日生まれの蟹座 A型 178cm 58kg 足のサイ26.5cm
現在25歳である。宮城県出身。バングルカラーはブルー。
中学時代X JAPANにはまり、ロックに没頭。
そこから同じくXのベーシスト・TAIJIに憧れ地元の先輩からベースを購入、現在に至る。
「美学は?」と質問されると、「Jの生き方そのもの」とも答えている。
何よりもバンドとベースが好きで、「ベーシストらしい」と言われるのが1番嬉しいらしい。
性格はナイトメアの中では割りと控えめである。HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPに出演した際、コンビニでバイトをしていたと語っている。
家族構成は父親、母親と1人の兄と妹がいる。
RUKA/瑠樺(ルカ)ドラム/リーダー
本名は狩野覚(かりのさとる)。
1979年6月9日生まれの双子座 O型 180cm 60kg 足のサイ27.5cm
現在27歳である。東京都世田谷区出身。バングルカラーはピンク。
身長180cmと、メンバーのなかで一番長身。
本籍は世田谷区だが育ちは川越市→与野→浦和市→中野区→仙台市であり仙台のなかでも2度引っ越したとか。引越しのため中学の卒業式には出ていない。現在は上京している。アイスホッケーをやっており中1の頃ホッケーの先輩からギターをもらい音楽に触れ、BOØWYなどのコピーを多くこなした模様。現在はドラムを担当してはいるがLUNA SEAのベーシスト・Jに憧れベースもこなしていた様だ。また、PENICILLINのファンでもあり雑誌でメンバーであるHAKUEIと対談も行っている。メンバー内で唯一の黒夢のファンでもある。HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPに出演した際、訪問販売のバイトで筋子を売っていたと語っている。
家族構成は祖父、祖母、父親、母親と1人の弟がいる。


メンバー全員がX JAPANやLUNA SEAから多大な影響を受けている。
柩が17歳の時に咲人と知り合ってバンドを始める話になり、柩がYOMIを誘い、咲人がNi~yaを誘った。最初、YOMIの中学生の後輩がドラムをやってくれていたが、後に高校受験の為、ライブが出来なくて困っていた時に先輩バンドのRUKAにサポートとして入ってもらい、今のナイトメアができた。
2004年に行われた全国ツアー「TOUR CPU 2004GHz」のCPUとは「CRAZY PERSON うなぎ上り」の事である。
2005年の5月に行われたZepp Tokyoでのツアーファイナルでドラムセットに物理的なトラブルが発生し、数曲に渡りペダル周りの不調の為に演奏すらままならない状況が続くことになったが、彼等は見事にこの事態をスマートに乗り切って見せ、ライブバンドとしての株を上げた。
マイナーメロディーの曲が多い。
作詞、作曲はYOMI、咲人、RUKAが主に担当。歌詞としては、社会批判的なものから悲恋歌まで幅広い。
また、RUKAが作詞した曲のいくつかは彼のかつての実話が描かれている。(わすれな草など)
YOMI・Ni~ya・RUKAの三人で集まると、思考・行動がどうしてかおかしい方向に進みがちになる。通称「3馬鹿」
2006年に発売された9thシングル「the WORLD/アルミナ」が週刊少年ジャンプで連載されていた人気漫画のアニメ版『DEATH NOTE』のOP/EDに用いられたことで話題を呼び、オリコンチャートで初のトップ10入りを果たす(オリコンシングルチャート5位)。また、このシングルのリリースに先立ち、週刊少年ジャンプにRUKAからのコメントが寄せられている。
2007年2月28日にシングル「the WORLD」、「アルミナ」を含むニューアルバム「the World Ruler」が発売され、オリコンアルバムチャート初登場6位という驚異的な記録を打ち出した。

ナイトメア(livEVIL)
ナイトメア(HATE)
ナイトメア(アルミナ)
ナイトメア(レゾンデートル)
ナイトメア(Criminal baby)
ナイトメア(茜)
ナイトメア(時分ノ花)
ナイトメア(月の光,うつつの夢)
ナイトメア(紅)
ナイトメア(Dasei Boogie)
ナイトメア(ナズキ)
ナイトメア(ジャイアニズム痛〜障害皆殺し〜)
ナイトメア(犯行期)
ナイトメア(ジャイアニズム痛〜俺の物は俺の物〜)
ナイトメア(ジャイアニズム叱)
ナイトメア(自由奔放天真爛漫)
ナイトメア(Dasei Boogie)
ナイトメア(Shian)











2007⁄05⁄15 13:18 カテゴリー:ナイトメア comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 Tommy february6とTommy heavenly6の未発表音源をUP&秘蔵PVやLIVE音源なんかも10本もUPしたよ(。・(ο)・。)ノ


Tommy february6
Heavy Starry Chain

川瀬 智子(かわせ ともこ、本名:奥田智子(おくだ ともこ)、旧姓:川瀬、1975年2月6日 - )は、歌手。京都府出身。血液型はB型。愛称はTommy(トミー)。the brilliant greenのボーカリストで現在はバンド活動を休止し、「Tommy february6」「Tommy heavenly6」と言う二つのキャラクターで活躍。

1997年 the brilliant greenのボーカルとしてデビュー。
2001年 ソロ活動を開始する。眼鏡をかけたポップなイメージのTommy february6(トミー・フェブラリー)と、ダークアイシャドーをつけ、不良めいたイメージのTommy heavenly6(トミー・ヘヴンリー)の二つの別人格を、川瀬自身がプロデュースするという設定である。
2002年 『ピロッポ』(フジテレビ)に声優として参加。
自身の誕生日でもあり、プロジェクト名の由来でもある2月6日に1stAlbum『Tommy february6 』をリリース。オリコンアルバムチャート初登場1位で2週連続1位を獲得する。
2003年『Tommy february6プロデュースプロジェクト』がスタート、Tommy ☆ angels、SPEED、樋井明日香、藤井隆へ楽曲提供及びプロデュースをしている。
サンリオのキャラクター「リトルツインスターズ」とのコラボレーションを発表。
the brilliant greenのベーシスト、奥田俊作と結婚。
2005年 ブライスとのコラボレーションを発表。限定ドールを発売。
2006年 Tommy heavenly64thシングル『I'm Gonna SCREAM』のPVで、“たらこキューピー”と共演。
Tommy heavenly66thシングル『Lollipop Candy BAD girl』のPVを自ら監督。PVではTommy heavenly6とTommy february6が初めて共演している。
2007年 Tommy heavenly62thアルバム「Heavy Starry Heavenly」を3月7日に発売。
公式HPでアルバム発売に合わせて待望の初ソロライヴツアー「Tommy heavenly6 Heavy Starry tour'07」の開催決定の発表がされた。
またアルバム発売前日のスペシャル企画で行われたインターネットラジオで、ツアー中に今まで謎にしていた作曲者をゲストで登場すると告知がされた。

現在では一般的となった、CDとDVDを2枚組みで発売する、というのは実はTommy february6のデビューシングル「EVERYDAY AT THE BUS STOP 」が業界で初めてである。
何事も拘る性格だが長続きせず気まぐれなところがあり、「Tommy heavenly6」でのシングル「I'm Gonna SCREAM+」と「Pray」のプロモーションビデオは当初川瀬が死神に扮して活躍する死神三部作として製作し上記二作品は製作したが、次にリリースしたハロウィンシングル「Lollipop Candy BAD girl」での製作が思った以上に難航だったらしく、これがきっかけでもうどうにでもなれと諦めた。また本人は日記で自身の事を「ティーンエイジコンプレックス」と語り、この性格をモチーフに自身のソロワーク「Tommy february6」と「Tommy heavenly6」のキャラクター設定に生かされている。
高校生の時アルバイトしていた所が京都市内のセレクトショップで、高校卒業後は18歳ながら店長に就任し一時期働いていた。この時養われたファッションセンスや小物使いなどが後にソロ活動する時にPVなどで役に立っている。
the brilliant greenの前に別のバンドのボーカルをしており、ある日クラブでステージに立って歌っていたところ、バンドを結成したくてボーカルを探していた松井亮と奥田俊作が川瀬の声に惚れスカウト、the brilliant greenが結成された。
自宅に居るのが好きで余り外出を好まない。この事が高じ、奥田俊作と婚約した際新たな住居を建設する際に、地下にスタジオを建設。現在のソロワークでの収録は全て自宅のスタジオで行われている。
正月には高級おせちを購入し食べていたが、ある日その店が雑誌で取り上げられその年から品切れなどが続いたり、仕事が忙しくて注文出来なかったりとここ2年は満足に食べていないらしい。
健康マニアで健康グッズを購入したり、アロマなどにも拘っている。またTommy february6として活動する前はマルボロライトメンソールを一日2箱を消費する愛煙家だったが、のどを痛めたり体調不良になったのを機に禁煙し、嫌煙家になりその後、同じく愛煙家だったthe brilliant greenのメンバー、松井亮と奥田俊作を説得し禁煙させた。
「Tommy february6」として活動する際にかけるトレードマークの伊達メガネは、東京都内中心部のメガネショップを3件も歩き回りイメージ通りの伊達メガネを探した。
「Tommy heavenly6」ではシングル「I'm Gonna SCREAM+」からプロモーションビデオの監督・編集を自ら行っており、監督はセキ☆リュウジと共同で製作、編集は自宅にある自身所有のMacintoshで編集作業している。PV撮影が高じ映画撮影や作曲にも挑戦してみたいとインタビューで語ってる。
PV製作ではその楽曲に合う衣装をスタイリストの手を借りず自ら購入し使用している。
最近のインタビューでは「Tommy february6」「Tommy heavenly6」に続く新たな第3番目の人格を誕生を視野に入れている。
Tommy february6とTommy heavenly6は、川瀬智子自身のソロプロジェクトでの活動形態だが、キャラクター設定がある。
「Tommy february6」はブライドサイドの人格だが川瀬智子自身の自己矛盾や投げやりで適当な性格を表現した別人格。
「Tommy heavenly6」はTommy february6の悪しき別人格(ダーク・サイド)という設定でTommy february6として感じたストレスや嫉妬心などの負の感情を具現化したのがTommy heavenly6である。
この二つの人格を川瀬智子自身がプロデュースをする設定だが、二人は自分達が同じ「川瀬智子」と言う同一人物とは気づいていない。
february6自身はheavenly6の存在を知らない、一方heavenly6自身はfebruary6の睡眠中や酔った時に覚醒し好き勝手に活動している(この事はfebruary6は当然知らなく知らぬ間にケガしたり物が紛失して困惑している)
最近のfebruary6はheavenly6の存在を知っているが対立している、理由はheavenly6はfebruary6と仲良くしたいが恥ずかしくて意地悪してしまいfebruary6を怒らせてしまい対立している、二人の共演作「Lollipop Candy BAD girl 」のPVでは二番のサビのシーンでfebruary6とheavenly6が争いしているシーンがある一方、「I LOVE XMAS 」のPVでも共演してるがこちらは仲良くサンタと戯れてるので徐々に深まってきてる様子。
しかし川瀬智子は最近のインタヴューでfebruary6とheavenly6の設定を人格ではややこしいので双子の姉妹に変えようかと迷っていると語る、またheavenly6のキャラ設定はまだ確立していなく今後はさらに深めるとか。最近ではまた新たな3番目の人格を誕生させたいと語る。余談だが、川瀬智子自身は「diary」コーナーでダンスが苦手と語っている。しかも、「NYでダンス修行を1年しなきゃ」と語っている。
Tommy february6(Wait till I can dream)
Tommy february6(♥KISS♥ ONE MORE TIME )
Tommy february6(Love is forever)
Tommy february6(♥Lonely in Gorgeous♥)
Tommy february6(I LOVE XMAS)
Tommy february6(Lollipop Candy♥BAD♥girl)
Tommy february6(Pray)
Tommy february6(Ready?)
Tommy february6(Hey my friend)
Tommy february6(THE CASE)
Tommy february6(GOING 2 MY WAY!)
Tommy february6(I'm Gonna SCREAM+)
Tommy february6(Swear)
Tommy february6(+gothic pink+)
Tommy february6(my bloody knee-high-socks)
Tommy february6(Hey my friend)
Tommy february6(Bloomin'!)
Tommy february6(MaGic in youR Eyes)
Tommy february6(EVERYDAY AT THE BUS STOP)











2007⁄05⁄15 11:27 カテゴリー:Tommy february6&Tommy heavenly6 comment(1) trackback(0)
▲pagetop








 ASIAN KUNG-FU GENERATIONのファンクラブ限定音源PVやLIVE動画なんかもUPだよ( σOσ)o_彡☆


ASIAN KUNG-FU GENERATION
或る街の群青

ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアン・カンフー・ジェネレーション、漢字表記「亜細亜的功夫世代」、中国語表記「亞洲的功夫世代」)は、日本の4人組ロックバンド。略称「アジカン」。所属レコード会社はキューンレコード。いわゆる下北系と呼ばれるロックバンドの代表格である。 TVアニメタイアップ等の影響で海外での人気も高く、CDリリースも果たしている。
1996年横浜・関東学院大学内の軽音楽研究部にて結成。経緯は、新入生歓迎会で出会った日に喜多が後藤を誘い、翌日に確認作業を経てアジカン結成。その後、部室でひとりぼっちで居た山田に後藤が話し掛け、「好きなバンドは?」という問いに山田が「ビートルズ」と答えた為に後藤が誘い加入。その後、別のバンドで活躍していた伊地知が加入。
2001年初めて日本語詩で取り組んだ楽曲「粉雪」が完成し、FM局の各インディーズ番組に音源を送り、自分達の楽曲が初めてFMでオンエアーされる。このオンエアーしたFM局はFM Yokohamaだった。
その後、日本語詩を取り入れた2枚目の自主制作CD『I'm standing here』を発表。地方や各ライブハウスで大盛況となる。この時期から渋谷をはじめ下北沢、吉祥寺などで精力的なライブ活動を始める。
2003年4月23日、『崩壊アンプリファー』がキューンレコードより異例のメジャー再リリース。その中の収録曲『遙か彼方』がアニメ『NARUTO -ナルト-』のオープニングテーマになる。同日CX系ELVISに出演、これ以降「サイレン」まで5回特集が組まれた。また、「遙か彼方」のPVはこのELVISチームによるものである。夏には、「FUJI ROCK FESTIVAL」、「ROOKIE A GO GO」、「SUMMER SONIC '03 東京・大阪」にも出演。8月11日、初の「NANO-MUGEN FES」を新宿LOFTにて開催。11月19日、初のフルアルバムとなる『君繋ファイブエム』リリース
2006年結成10周年を迎えた。2月15日、8thシングル「ワールドアパート」リリース。アジカンにとって初となるオリコンシングルチャート初登場1位を記録。3月7日、栃木県の日光市立東中学校で生徒限定でコンサートを開催した。(「SCHOOL OF LOCK!」での企画)3月15日、3rdアルバム『ファンクラブ』リリース。7月16日〜7月17日、「NANO-MUGEN FES 2006」を横浜アリーナで開催。7月28日、この年のFUJI ROCK FESTIVAL(7月28日〜30日)に出演。念願のグリーンステージでの演奏を果たす。10月25日、初の編集盤となる『フィードバックファイル』をリリース。初公開の「絵画教室」「堂々巡りの夜」を収録。また、初回生産限定盤はDVD付きの二枚組みである。
* 11月29日、9thシングル「或る街の群青」をリリース。12月23日に公開される映画『鉄コン筋クリート』の主題歌となっており、映画とのタイアップはアジカン史上初となる。
ASIAN KUNG-FU GENERATION(君という花)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(24時)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(Rewrite)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(ワールドアパート)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(真夜中と真昼の夢)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(ループ&ループ)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(Re_Re_)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(ワールドアパート)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(ブルートレイン)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(遥か彼方)
http://music.blogmura.com/j-pop/
ASIAN KUNG-FU GENERATION(路地裏のうさぎ)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(未来の破片)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(君の街まで)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(リライト)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(月光)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(絵画教室)
ASIAN KUNG-FU GENERATION(サイレン)










ジャンル:音楽 テーマ:ASIAN KUNG-FU GENERATION
2007⁄05⁄14 09:00 カテゴリー:ASIAN KUNG-FU GENERATION comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 Dragon Ashの未発表音源をUP&限定DVDから15本もいっきにPVをUP☆☆(*・(エ)・*)☆☆


Dragon Ash
夢で逢えたら


Dragon Ash(ドラゴン・アッシュ)は、日本のミクスチャーロックバンドである。J-POPシーンにおけるヒップホップの普及に大きく貢献した。ビクターエンタテインメント内のレーベル、MOB SQUADに所属する。
バンド名は、降谷が好きな漫画ドラゴンボールをもとに、「drag on ash(だらだらすると灰になる)」という意味を込めて付けられたとされるが、メンバーの馬場はファンクラブ会でこれを否定している。

デビュー以来、ヒップホップ、パンクロック、ハードコアパンクなど様々なジャンルの音楽を自在に融合し、重厚かつ爽快なミクスチャー・ロックを構築する。オルタナティブロックとしてアルバム「Río de Emoción」ではエレクトロニカやラテンの要素も見受けられる。

メンバー
Kj(降谷建志) - ボーカル、ギター、作詞、作曲を担当。リーダー。父親は俳優の古谷一行。
IKÜZÖNE(馬場育三) - ベースを担当。メンバー募集のオーディションにより加入。それ以前はVirusなどに所属。メンバーの中でも特に年長者。
桜井誠 - ドラムを担当。Kj、BOTSとは同級生。HIROKIと共にendiveとしても活動している。
BOTS(佐藤哲也) - DJ、ターンテーブルを担当。1999年加入。正規メンバーとなる前からPVやライブで演奏に参加していた。
HIROKI - エレキギターを担当。2003年加入。Dt.、Stroboでも活動している。
DRI-V - ブレイクダンスを担当。2003年加入。
ATSUSHI - ブレイクダンスを担当。2003年加入。

1997年
2月21日、ミニアルバム『The day dragged on』を発売してメジャーデビュー。当時はNIRVANAやSMASHING PUMPKINSの影響を受けたサウンドであった(デビューアルバムに収録されている楽曲「天使ノロック」はスマッシング・パンプキンズの「CHERUB ROCK」の邦題から取られている)。

1998年
6月、ツアー"High Time Tour"(全4公演)
10月・12月、全国ツアー"FACE TO FACE"(全10公演)

1999年
サポートメンバーだったBOTSが正式加入。
DJの加入により、ヒップホップが強調される。
3月3日、シングル『Let yourself go, Let myself go』を発売。約70万枚を売り上げる。
この曲でCDTVに出演した際に、Kjはマイクを逆さまに持ち、口パクであることをアピールした。このパフォーマンスは「あてふり」に対する嫌悪感に起因する。
3月〜4月、全国ツアー"Let yourself go"(全13公演)
5月1日、『Grateful Days』と、『I LOVE HIP HOP』の二枚のシングルを同時発売。メガヒットを記録。
「Grateful Days」はDragon Ash最大のヒットシングル(売上約90万枚)。ZEEBRAとACOがゲストボーカルで参加。ゲストボーカルで参加したおかげでZEEBRAは一躍有名になった。SMASHING PUMPKINSの『TODAY』のギターフレーズをサンプリングした印象的なメロディ、降谷とZEEBRAのラップの掛け合い、ACOの優しいコーラス、そして家族愛を歌った感動的な詞で一躍注目を浴びるようになる。
曲のサンプリング、flow(ヒップホップでいうラップのやり方、個性)やライブパフォーマンスを模倣した降谷の姿勢は、次第にバッシングされるようになるが、HIP-HOPにおいてサンプリングは歴史そのものである。元来、貧しい階級の人々が暮らす場所より生を受けた音楽で、楽器を手に入れることが困難であったことから、レコード音源のサンプリングが主流だった。
「I LOVE HIP HOP」は、ジョーン・ジェットの曲『アイ・ラブ・ロックンロール』のメロディーにラップを乗せた軽快な曲だった。楽曲は作者のアラン・メリルに事前に許可は取っていたものの、予想外の大ヒットによりメリル側からクレームがつき、メリル及びジェット側に楽曲の使用料を納めたがその後廃盤となった。
8月〜9月、全国ツアー"Freedom of Expression"(全19公演)
9月17日・18日、Dragon Ash企画・主催のイベント"TMC=Total Music Communication"を初開催。

2000年
3月15日、ラッパ我リヤがフィーチャリングで参加したシングル『Deep Impact』を発売(61万枚以上売り上げ)。
降谷と山田マンとQの三人が、濃厚かつ攻撃的なラップの見事な掛け合いを披露。2000年代の邦楽の幕開けを見事に飾った。歌詞は、自らが、ロックの最前衛に位置している事を認識し、自らの天性の才能と努力を自画自賛した。その上で、邦楽の最高峰を邁進し続ける事を高らかに宣言した、決意表明の内容だった。商業的にも成功した。
3月〜4月、全国ツアー"TMC 2000"(全14公演)
7月12日、シングル『Summer Tribe』を発売。
この曲をきっかけにZEEBRA(キングギドラ)からDIS(disrespectの略、軽蔑、罵倒)される。
7月〜8月、全国ツアー"TMC 2000 Summer Tour"(全18公演)
11月29日、シングル『Lily's e.p.』を発売。
収録曲は「Amploud」と「静かな日々の階段を」とそのリミックスで、両A面という扱いになっている。「Amploud」は「I LOVE HIPHOP」の流れを組むパーティーチューン。「静かな日々の階段を」はバトル・ロワイアルの映画主題歌とソニーウォークマンCMという大きなタイアップが付いている。こちらは「Amploud」とは反対で落ち着いた曲。「Summer Tribe」で下がっていた売上を向上させた。
スケボーキング・麻波25と"DSM CIRCUIT Tour"開催(全11公演)
2001年
3月〜5月、全国ツアー"21st Century Riot"(全27公演)
7月〜9月、"TMC 01 Tour"(全13公演)
2002年
シングル『Life goes on』が大ヒットしたものの、リリース前から盗作騒動になった。同曲はアルバムには収められていない。J-PHONEの写メールCMソング。また、学校へ行こう!の元人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」ではこの曲を使った勉強ラッパーCo.慶応が好評を博す。
『FANTASISTA』が2002 FIFAワールドカップの主題歌に。大ヒットを記録。Dragon Ashの名を改めてこの世にまき散らした。
3月〜4月、"TMC 02 Tour"(全14公演)
9月〜11月、全国ツアー"Dragon Ash Tour 02"(全29公演)
2003年
以前からのサポートメンバーであったHIROKI、DRI-V、ATSUSHIがメンバーとして正式加入。
3月3日、新レーベルMOB SQUADを設立。
4月11日・12日、赤坂BLITZにて"Opening Anniversary Party★MOB SQUAD★"開催
9月〜11月、全国ツアー"Dragon Ash House of Velocity"(全29公演)
2004年
7月〜8月、SOURCEとツアー"TOUR MOB SQUAD 04"開催(全11公演)
2005年
9月7日、フルアルバム『Río de Emoción』発売。オリコンチャート1位獲得。UZI-ONE、アイニ、武田真治らが参加。
9月16日、地上波のテレビ番組にはほとんど出演しない彼らが「僕らの音楽」に出演。また別の日に「ゴゴイチ!〜SPACE SHOWER CHART SHOW〜」にて21世紀に入って以降初めてのTV生出演を果たした。
10月〜12月、全国ツアー"Dragon Ash Tour〜Río de Emoción〜"開催(全22公演)
2006年
7月19日、これまで発売されたすべてのアルバムがiTunes StoreやMoraなどの音楽配信サイトによって配信開始される。
ただしアルバム「Viva La Revolution」に収録されている「Grateful Days feat. ACO, ZEEBRA」と、「LILY OF DA VALLEY」に収録されている「Deep Impact feat. Rappagariya」は権利処理がすんでいないため配信されていない。
2007年
2月21日、フルアルバム『INDEPENDIENTE』(インディペンディエンテ)を10年前メジャーデビューした同じ日にリリース。10周年。
3月15日〜"Dragon Ash Tour〜DEVELOP THE MUSIC〜"がスタート。
Dragon Ash(Iceman)
Dragon Ash(Byakuya)
Dragon Ash(Amploud)
Dragon Ash(Let yourself go, Let myself go)
Dragon Ash&SOURCE&麻波25(Mob Squad)
Dragon Ash(Hot Cake)
Dragon Ash(陽はまたのぼりくりかえす)
Dragon Ash&Sugar Soul(Garden)
Dragon Ash(House of Velocity)
Dragon Ash&ZEEBRA&ACO(Grateful Days)
Dragon Ash(FANTASISTA)
Dragon Ash(Shade)
Dragon Ash(Fly)
Dragon Ash(Life goes on)
Dragon Ash(朝凪Revival)
Dragon Ash(夕凪Union)
Dragon Ash(百合の咲く場所で)
Dragon Ash(Under Age's Song)
Dragon Ash(Rainy day and day)
Dragon Ash(Morrow)
Dragon Ash(Episode 4)
Dragon Ash(Ivory)
Dragon Ash(few lights till night)
Dragon Ash(21st Century Riot)
Dragon Ash(静かな日々の階段を)
Dragon Ash(morrow)
Dragon Ash(I LOVE HIP HOP)
Dragon Ash&ラッパ我リヤ(Deep Impact)
Dragon Ash(Viva La Revolution)
Dragon Ash(花言葉)
Dragon Ash(Canvas)
Dragon Ash(Drugs can't kill teens)
Dragon Ash(The Day dragged on)
Dragon Ash(Snowscape)









2007⁄05⁄14 08:01 カテゴリー:Dragon Ash comment(2) trackback(5)
▲pagetop








 活動再開、一青窈の「指きり」「てんとう虫」なんかの名曲や新曲などもUPぢたよ、これからの一青窈に期待大ですd=(。・。・。)=b


一青窈
指切り


一青窈(ひとと よう、1976年9月20日 - )は、女性歌手・作詞家・女優。
台湾出身の父(1928年生)と、日本人(石川県出身)の母(1943年生)の間に東京都で生まれた。中国語の漢字名は顏窈(イエン・ヤオ)で、「顏」は父親の姓で、「一青」は母親の姓である。慶應義塾大学環境情報学部卒。姉は舞台女優の一青妙(ひとと たえ)。

小学校以前までは台湾で暮らし、現在は日本で生活。なお、台湾語は今ではほとんど話せないらしい。初等部から森村学園に通い、中等部・高等部時代にはフリーアナウンサーの大橋マキと同級生であり、同時期の後輩には安藤裕子がいた(安藤からは窈先輩と呼ばれていた)。また在学中は美術部とバスケットボール部に所属していた。特にバスケットボール部には小中高一貫して所属し、現在でもバンドメンバーとバスケットボールをしているらしい。また生徒会では書記を務める。
半年の浪人期間を経て、AO入試で慶應義塾大学環境情報学部(SFC)入学。在学中は、同学部の教員で文芸評論家の福田和也のゼミを受けた。KOEというアカペラサークルに入っており、ゴスペラーズの北山陽一と出会い、交流がある。また、慶應義塾広告学研究会、ジャズ研究会にも所属。神奈川県葉山町の海の家で働いていたこともある。なお、学生時代には『小林克也のアメリ缶』で英語を覚えたらしい。
デビューする前は車椅子利用者向け情報誌『WaWaWa』で詩を提供したり、同誌編集長・阿部恒世とともに福祉施設でのライブ活動を行っていた。またゲーム『真・三國無双2』で全中国語詞の楽曲『生路〜CIRCUIT』をエンディングテーマとして提供。ちなみに同曲は同ゲームのサウンドトラックCD『真・三国無双究極音盤』に収録されており、後にシングル『江戸ポルカ』のカップリングでタイトルを『生路〜MAZE』に変え一部日本語に直して入っている。
2004年夏公開の映画『珈琲時光(こーひーじこう)』主演で女優デビュー。同作は台湾の世界的な名匠侯孝賢(ホウ・シャオシェン)が小津安二郎生誕100周年に合わせて制作したもの。また同作で一青窈は「第28回日本アカデミー賞 新人俳優賞」、「山路ふみ子映画賞 新人女優賞」をそれぞれ受賞した。
2004年10月 - 「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録が決定したことを記念して、熊野古道(世界遺産)に程近い、和歌山・熊野本宮大社旧社地大斎原特設ステージにて、一青窈 in 熊野 花逢娘(かほうにゃん)と題して記念コンサートが行われた。
2005年8月には、築130年の伝統を誇る京都・祇園甲部歌舞練場で行われた、一夜限りのライブ「夢街バンスキング〜はいらんせ〜」を実現。ちなみに「バンスキング」とは「幸せの先取り」と言う意味である。
2006年のツアー(Yo&U Tour '06)では、突如メイド風「萌え系」ファッションを披露し、ファンに衝撃を与えた。また同ツアーのドキュメンタリーがフジテレビ721の番組『二十一世紀の音霊(おとだま)』で放映された。
セカンド・シングル『大家(ダージャー)』の中の「あの遊園地の観覧車を覚えている」という一節は本来、一青窈が幼少の頃、その後亡くなった両親と過ごした場所の象徴として「よみうりランドの観覧車を覚えている」という歌詞であった。しかし、放送でのオンエアを考慮し、この部分の歌詞が差し替えられて発表された。なお、2004年4月発売のセカンドアルバム『一青想(ひとおもい)』や2006年11月に5周年を記念した初のベストアルバム『BESTYO』にオリジナルの歌詞のバージョンが収録されている。また、ベストアルバム発売記念ライブの話を持ち込んだ際、歌詞差し替えの経緯を知った同園側から「名前を使われているのは光栄」と快諾、12 月3日に約1万人余を動員して同園内のオープンシアターEASTにて初のフリーライブ「BESTYO Free CONCERTYO(べすちょ・ふりー・こんさーちょ)」を開催、さらに当日はよみうりランド遊園地の入園料が無料となった。同園が特定のアーティストのために入園無料にするのは、1964年の開園以来初めてのことであった。
2006年12月3日、よみうりランドにて行われた前述のライブにて新曲「冬めく」が初披露され、2007年1月31日発売予定であったが、2006年12月19日頃発売延期が決定した。「冬めく」はこのライブ以外では1度も歌われておらず、オンエアもされていない為、現在幻の楽曲となっている。

身長155僉血液型はO型。尊敬する人の1人として井上陽水を挙げているが、これは彼女の母親の影響のようだ。また『珈琲時光』での彼女の役名「井上陽子」は井上陽水の名前に由来する。ちなみに『珈琲時光』の主題歌『一思案』の作曲は井上陽水が担当している。彼の影響もあり、彼女も響きや曲の感じに合わせて言葉を選び、歌詞を作っている。他に台湾のR&B歌手デヴィッド・タオを影響を受けたアーティストにあげている。
日本語・英語・中国語(北京語)を話せるトライリンガルである。
ラーメンが大好きで、家ではカップ麺をよく食べるという(本人曰く、一番好きなカップ麺はカップヌードルのシーフード味)。好きな言葉は「来る者拒まず、去る者追わず」。
人間と犬以外の動物は苦手。泳ぎも苦手だが、2006年にはスキューバダイビングのライセンスを取得した。またインターネットや漫画の愛好者でもあり、ライブのMCにインターネットから得た話を使うことがある。
幼少期に父親を、高校生の時に母親を相次いで亡くしている(なお、父親は家庭の事情で別居中に癌で台湾で亡くなったとのことである)。これは『もらい泣き』でデビューした当時のコロムビアの公式サイトのプロフィールにも掲載されていたが、現在では削除されている。
姓の一青は母の出身地である石川県に地名としても存在する(石川県鹿島郡中能登町一青、2005年2月28日までは石川県鹿島郡鳥屋町一青)。
音楽の原点として、幼少期に父親から送られた「ディズニーのお話しレコード」をあげている。また、母親が闘病していた際に母親とともに行ったミュージカルから音楽療法に興味を持ち、大学入試時には音楽療法についての論文を書いた。また病院に野外音楽堂を建てるのが夢であるという。
彼女の歌詞には父親が登場する作品がしばしば見られるが、生き別れとなってそのまま会えずに亡くなった父への切ない想いが伝わってくる作品が多い。また、古めかしくも独特の世界観を持つ作詞は高く評価されていて、音楽プロデューサーの武部聡志からは「一青の詞は日本一」と言われた。また作詞はすべて実体験に基づいているという。
saku sakuに2003年1月17日にゲストとして初めて出演し以後複数回ゲスト出演しており、6回目の出演である2005年4月19日放送分では、男女の恋愛観の違いについて「(思い出を)男はフォルダ保存、女は上書き保存する」という名言を残している。
環境問題に強い関心を持ち、ap bank fesなどの環境問題をテーマにしたライブに積極的に参加し、またその知識や環境問題への姿勢からap bank dialogueでは出演アーティストの中で唯一ゲストとして出演する。またエココロテレビでは第一回のゲストとして出演した。
台湾でもCD・DVDが発売されており、『もらい泣き』『大家』『月天心』はジャケットが台湾オリジナル仕様になっている。また台湾ではキリンビールのCMにも出演していて、そのCMでは『月天心』収録の台湾の民謡『望春風』が使われている。ちなみにビールは苦手らしい。
CDのジャケット表面部に本人が顔出ししたのは現在のところ7thシングルの『かざぐるま』のみである。
建築に興味があり、『ダ・ヴィンチ』などの誌上で坂茂、藤森照信、隈研吾といった幾人かの著名な建築家との対談を交わしている。
歌の再生速度を70〜80%程度の速度に遅くすると平井堅の歌声のように聞こえることがインターネット上で話題となり、『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』にも取り上げられた。
2007年1月、写真週刊誌『フライデー』およびそれを後追いした一部スポーツ紙・週刊誌等で、彼女のプロデュースを務めるなど積極的な関わりがあった音楽プロデューサー・小林武史との不倫疑惑が報じられた。これは、彼女にとって初のスキャンダル報道となる。


一青窈(もらい泣き)
一青窈(影踏み)
一青窈(My Favorite Things)
一青窈(江戸ポルカ)
一青窈(てんとう虫)
一青窈(指切り)
一青窈(大家)
一青窈(金魚すくい)
一青窈(ハナミズキ)
一青窈(LIVE)
一青窈(さよならありがと)
一青窈(かざぐるま)











2007⁄05⁄13 08:33 カテゴリー:一青窈 comment(1) trackback(9)
▲pagetop








 中島美嘉の新曲PVやNANAの限定シーンなんかもUP。PVを10本もUPしたから覗いてね@(o・ェ・)@ノ~


中島美嘉
素直なまま


中島美嘉(なかしま みか、本名同じ、1983年2月19日 - )は、日本の女性歌手、女優。鹿児島県日置郡伊集院町(現:日置市)出身。身長160cm・体重40kg、血液型はA型。


所属事務所はケイダッシュ、所属レコード会社はソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ。2000年代の日本を代表する歌姫の一人として知名度は高い。女優としても活躍し、数々の賞を受賞している。

ファルセットを多用する歌唱スタイルでロック、ジャズ、レゲエなど様々な曲調を取り入れた独特の世界観を築き、2003年以降は大半の楽曲で作詞も手がけている。バラードの評価が特に高く『STARS』『WILL』『雪の華』『桜色舞うころ』などの多数のヒット曲をもち、日本のみならず東アジアでの人気も高い。

髪型を頻繁に変えることで有名。歌番組などで過去の映像が順々に流れるとはっきりと確認できる。またうたばんで以前中島がバイトしていた店の店長が当時の印象を聞かれ、「会うたびに髪の色が違った。」と答えている。

デビュー当時はどちらかというとギャルのような垢抜けないファッションであったが、次第に現在のような個性的なファッションへと変化していった。歌番組でデビュー当時の映像が出ると、中島は必ずと言っていいほど顔を伏せて見ないようにしている。またヴィヴィアン・ウエストウッドを好むという旨の発言をたびたび行っており、このブランドの何らかのアイテムを私品として身に着けている場面が公的な場でも確認されている。

チョウやクモの標本を集めるのが趣味である他、黒魔術に興味を示したり蛇を平然と首に巻いたりと一風変わった個性が注目を集めている。

デビューして間もない頃は、一部で苗字の「中島」を「なかじま」ではなく、「なかしま」と読む読み方を珍しがる声もあったが、中島自身の出身地である鹿児島も含め九州ではよくある苗字である(ちなみに、カンニングの故・中島忠幸(福岡県出身)も「なかしま」である)。

称号はアメリカ合衆国テネシー州メンフィス市名誉市民(日本人としては忌野清志郎に続き2人目の授与)。

仲の良い芸能人は持田香織、加藤あい、伊藤由奈。また、松浦亜弥や、モーニング娘。の藤本美貴やはメル友だという。(番組における発言による)
ドラえもんの大ファンでもある。

彼女をこよなく敬愛するという若槻千夏は、NANAでの主演が決まる前から大崎ナナ役は彼女以外にありえないと確信していたとのことで、配役の決定が告知されたときには含み笑いを浮かべたという。
年々痩せていっており、ファンの間では健康面を心配する声もある。(しかし、本人曰く体重は変わってないとのこと)
「きらきらアフロ」(テレビ東京系列)の番組のファンで、2007年3月放送分で番組の収録を変装して一般客に混じって観覧席で観ていたことがある。そのとき、笑福亭鶴瓶はそのことを知っていたが、松嶋尚美は鶴瓶に言われるまで全く気がつかなかった。

1996年
中学2年生の時に鹿児島市内に転校。転校先ではイジメを受けたという。

1998年
鹿児島市立天保山中学校卒業後、高校には進学せず約1年間地元のファーストフード店などを中心にアルバイトをした。

1999年
福岡県福岡市に出てアパートの一室で集団生活。福岡と鹿児島を行き来することが多かった。
この間、多くのオーディションを受ける。当初は歌手ではなくモデルをしていたという。

2001年
レコード会社に送ったデモテープがきっかけとなり“ソニーオーディション”に合格。そのオーディションの結果、フジ系ドラマ「傷だらけのラブソング」のヒロインに抜擢され、主題歌『STARS』でCDデビューも果たし大ヒットを記録した。

2002年
フジ系ドラマ「天体観測」の主題歌として歌った『WILL』がヒット。これが1stアルバム『TRUE』の大ヒットに繋がり、オリコン初登場1位・ミリオンセラーを記録した。また、女優として、同時期に放送されていた日テレ系ドラマ「私立探偵 濱マイク」に準主演としてレギュラー出演したことも話題に。
11月、初回限定生産ミニアルバム『RESISTANCE』を発売。オリコン2週連続1位。
輝く!日本レコード大賞最優秀新人賞など、数々の音楽新人賞を総なめにし、「NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たした。

2003年
9月公開の映画「偶然にも最悪な少年」に出演。
11月、『雪の華』『FIND THE WAY』『愛してる』など数々のヒットシングルを含んだ2ndアルバム『LØVE』をリリース。オリコン初登場1位。発売から1ヶ月経たずにミリオンセラーを記録、累計150万枚以上を売り上げたこのアルバムは、日本だけではなく韓国でも大ヒットし、日本人で初めてミリオン級セールスを突破している。第45回 日本レコード大賞 にて、ベストアルバム賞・金賞・作詞賞を受賞した。

2004年
8月、「爽健美茶限定 中島美嘉ビューティフルライブ2004」と題した完全招待制プレミアム·ライヴで葉加瀬太郎とコラボレーション。伴ってリリースされた、コラボレート限定ミニアルバム『朧月夜〜祈り』は即日完売した。この二人は後にNHK紅白歌合戦でも共演した。

2005年
3月、シングル『桜色舞うころ』『SEVEN』などを含む3rdアルバム『MUSIC』をリリース。オリコンウィークリーアルバムチャートで2週連続1位を獲得し、大ヒットを記録した。
矢沢あいの人気漫画を原作にした東宝系映画「NANA」に主演。映画は大ヒットで、2005年邦画第1位に輝いた。それと共に、自身が歌った主題歌『GLAMOROUS SKY』も大ヒット。自身初のオリコンシングルチャート1位を記録し、2週連続で首位をキープした。プラネットシングルチャートでは3週連続1位。また、この映画での演技が認められ、第29回日本アカデミー賞・優秀主演女優賞・新人俳優賞など数々の賞を受賞した。GLAMOROUS SKYはNANA starring MIKA NAKASHIMAの名義でリリースした。
『GLAMOROUS SKY』で年間オリコンシングルチャートに女性で唯一のトップ10入りを果たす。『MUSIC』もトップ20入りした。第47回 日本レコード大賞 にて「特別賞」を受賞。
12月、初のベストアルバム『BEST』をリリース。発売1ヶ月でミリオンセラーを達成した。綾戸智絵のプロデュースにより新録音した『AMAZING GRACE』が収録されている。

2006年
2月22日、17thシングル『CRY NO MORE』リリース。PV撮影などのためにアメリカ合衆国メンフィス市へ渡米し、そこでメンフィス名誉市民の称号を得る。この曲のプロモーションでは束ねたドレッドヘア(ブレイズ)や黒紫色の口紅など米国南部を意識した奇抜なファッションを取り入れていた。その後6月7日には、前年のハリケーンによって大きな被害を受けたニューオーリンズ(ルイジアナ州)へのチャリティー・シングル『ALL HANDS TOGETHER』をリリース。このシングルの売り上げの一部は、ニューオーリンズへ復興支援の為に寄付をする。
8月、尾崎豊の名曲「I LOVE YOU」をカバー。尾崎のプロデューサーであった須藤晃の指名により実現した。ダイハツ・タントのCM曲に起用され音楽配信限定で発売されていたが、シングル「見えない星」にカップリングとして収録。次回アルバムにも収録される模様。
12月9日、主演映画「NANA2」が公開。前作に引き続き、主題歌『一色』も手がける。またこのシングルもNANA starring MIKA NAKASHIMA名義。

中島美嘉(I LOVE YOU)
中島美嘉(CRY NO MORE)
中島美嘉(一色)
中島美嘉(素顔の中島美嘉)
中島美嘉(MY SUGAR CAT)
中島美嘉(BLACK & BLUE)
中島美嘉(見えない星)
中島美嘉(愛してる)
中島美嘉(汚れた花)
中島美嘉(きらきらアフロ 客席に中島美嘉)
中島美嘉(CRESCENT MOON)
中島美嘉&HYDE(BLOOD+)
中島美嘉(WHAT A WONDERFUL WORLD)
中島美嘉(接吻)
中島美嘉(桜色舞うころ)
中島美嘉(SEVEN)
中島美嘉(DESTINY'S LOTUS)
中島美嘉(火の鳥)
中島美嘉(胸が・・・)
中島美嘉(CRY NO MORE)
中島美嘉(STARS)
中島美嘉(MY WAY)
中島美嘉(君が代)
中島美嘉(CRY NO MORE)
中島美嘉(ALL HANDS TOGETHER)
中島美嘉(インタビュー)
中島美嘉(EYES FOR THE MOON)
中島美嘉(GLAMOROUS SKY)
中島美嘉(雪の華)
中島美嘉(FAKE)
中島美嘉(A MIRACLE FOR YOU)
中島美嘉(ひとり)











2007⁄05⁄13 08:32 カテゴリー:中島美嘉 comment(0) trackback(2)
▲pagetop








 BUMP OF CHICKENのインディーズ時代のPVやLIVE動画などいっきにUPしたよ。今では観れない映像ばかりだよ★*☆*(*' '*)*☆*★


BUMP OF CHICKEN
涙のふるさと

BUMP OF CHICKEN(バンプ・オブ・チキン)は、日本のロックバンドである。
トイズファクトリーに所属。略称は「BUMP」など。雑誌などでは頭文字を取って「BOC」と表記されることもある。バンド名BUMP OF CHICKENはメンバーによれば「弱者の反撃」を意味する(備考も参照)。 テレビへの露出は極端に少ないが、音楽雑誌、ラジオでの露出は多い。スペースシャワーTVへは特集を組まれるなどして度々出演している(後述)。
曲の発表自体は少ないものの、ファンにはカップリングなども含め曲のひとつひとつが愛される傾向にある。

メンバー
全員が1979年生まれで千葉県佐倉市出身(藤原のみ秋田県生まれ、佐倉市育ち。他の3人は佐倉市生まれの佐倉市育ち)。「メンバーは皆平等だから」とのことから、リーダーが決まっていない。(ただ、マネージャーの高橋氏は藤原をリーダーとして認識しているようで、公式サイトのTAKAHASHI DIARYにて「我らがリーダー藤原"ちゃん"」と書かれている。また、メンバーは升を「影のボス」と表現したことがある。升が影のリーダーというのはメンバー全員認識している)
藤原基央(ふじわら もとお、1979年4月12日 -)未年・牡羊座、O型。作詞・作曲、ボーカル、ギターを担当。愛称は「藤くん」。
増川弘明(ますかわ ひろあき、1979年12月20日 -)未年・射手座、A型。 ギターを担当。愛称は「ヒロ」、「ニッケ」、「ホセ」など。
直井由文(なおい よしふみ、1979年10月9日 -)未年・天秤座、A型。ベースを担当。愛称は「チャマ」。
升秀夫(ます ひでお、1979年8月10日 -)未年・獅子座、A型。 ドラム、下ネタを担当。愛称は「升」、「秀ちゃん」。

四人は幼稚園からの幼馴染(しかし幼稚園時代、藤原・直井・増川は升の事を知らなかったらしい)であり、その内直井・升・増川の三人は長嶋茂雄と同じ小学校に通う。そして全員が同じ佐倉市立臼井西中学校へ行き、再会する。全員がバスケットボール部所属。しかしバスケ部では万年補欠だったため、よく「体育館倉庫を真っ暗にして閉じこもる遊び(暗闇ごっこ)」をやっていた。中学三年生のとき(1994年)文化祭のためにバンドを結成(組んだ頃のバンド名は"ハゲバンド"らしい)。ビートルズの初期の曲のコピーをする。結成当初、増川はギターを弾きたいと思っていたが、幕の上げ下ろしなどスタッフ的な役割が主で、ギター担当は別にもう一人のメンバー(通称"あいつ ")がいた。しかし"あいつ"はやる気があまりなかったらしく真面目に練習しなかったため、チームワークの乱れに不安を覚えたメンバーが"あいつ"に内緒で、代わりに増川と四人で大会に出たところ健闘、結果"あいつ"はクビになり、増川がメンバーになり、今に至る。
1996年
2月11日に初ライブ。
夏、Beat Brust in Japan に『ガラスのブルース』(アルバム『FLAME VEIN』収録)で全国大会に出場し、グランプリに輝く。
1997年
初の音源となるデモテープの製作、配布を開始。『BUMP OF CHICKEN(のテーマ)』『DANNY』『ガラスのブルース』の3曲が収録されていた。
1998年
6月、劇団「すいっち」公演のミュージカル「はしるおんな」に生バンド役としてメンバーが出演。藤原も6曲ほど公演のために書き下ろす[1]。藤原曰く、最初の「MOTOO FUJIWARA名義での活動」はこれである、とのこと。
9月、千葉LOOKにてとあるバンドとカップリングライブを行う。このライブで「相手の曲をカバーし合う」という企画があり、この企画で相手がBUMP OF CHICKENの曲「アルエ」をカバーしたところ客席から大合唱が起こったという。
1999年
3月、ライブを重ねつつ、ハイラインレコーズからデビューアルバム『FLAME VEIN』をリリース。
2000年
9月、トイズファクトリーからメジャーデビューシングル「ダイヤモンド」をリリース。「生きる」という事をストレートに唄った歌詞が多くの共感を得る。
2001年
3月、シングル「天体観測」を発売。この楽曲は55万枚以上を売り上げ、BUMP OF CHICKEN の存在を広く知らしめる事となる。
2002年
2月、シングル「天体観測」を含んだメジャー1stアルバム『jupiter』を発売し、BUMP OF CHICKENにとって初となるオリコンアルバム週間チャート初登場1位を記録した。
7月、フジテレビジョン(関西テレビ放送製作)で彼らの楽曲が挿入歌として使用されたテレビドラマが放送される。そのドラマのタイトルが「天体観測」であったため、当然BUMP OF CHICKENのシングル『天体観測』が主題歌に使われるかと思われたが、実際の主題歌は中島美嘉の「WILL」だった。挿入歌にはインディーズの頃の曲も使われ、特に第一話では乱用された。このドラマの音楽についてファンの間では厳しい意見が交わされていた。
2003年
3月、シングル「sailing day」が、アニメ映画「ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険」の主題歌となる。四人は漫画やアニメが好きで『ONE PIECE』のファンでもあった。『週刊少年ジャンプ』にも彼らのインタビューが掲載された。
2004年
5月29日、地元の佐倉市民体育館にて完全招待制フリーライブを行う。また、このライブはスペースシャワーTVで全国に生中継もされた。途中体育館の床が抜けてライブが中断するハプニングも発生したが、久々の復活ライブだけにファンを大いに沸かせた。
7月〜12月、シングル「オンリー ロンリー グローリー」で、BUMP OF CHICKENにとって初となるオリコンシングル週間チャート1位を、1ヵ月後に発売したアルバム『ユグドラシル』で週間アルバムチャートでも初登場1位を獲得した。12月には同アルバムから『車輪の唄』がシングルカットされ、週間チャートイン。同年3月にリリースされた「アルエ」を含めると、シングルカット曲を1年で2作以上トップ3入りさせたのは、グループとしては1991年のX JAPAN以来13年ぶりでの快挙となった。
12月、幕張メッセで2日間3万人を動員する単独ライブとしては最大規模のライブを行い、NHKの番組「スーパーライブ」用の収録も行っていた(地上波テレビとしては初の大々的な露出)。この後年末には韓国でのライブも成功させている。
2005年
この年一番の激戦区から一日遅れで発売したシングル「プラネタリウム」、PS2用ゲームソフト「テイルズオブジアビス」の主題歌になった「カルマ」を含む両A面シングル「supernova/カルマ」で立て続けに初動売上記録を更新。特に「supernova/カルマ」は翌年1月までTOP10に残り続け、天体観測に肉薄する50万枚近い売り上げを記録した。
2006年
3月、藤原基央がソロアルバム『SONG FOR TALES OF THE ABYSS』(ジアビスのサウンドトラック・MOTOO FUJIWARA名義)をリリース。
11月、1年ぶりのシングル「涙のふるさと」を発売。「オンリーロンリーグローリー」以来、2年5ヶ月ぶり、2度目のオリコンシングル週間チャート1位を獲得(初動売り上げも更新)。首位獲得確実と言われていたEXILE&倖田來未「WON'T BE LONG」を抜き、この年一番の激戦区で一位を獲得したことで多くの人を驚かせた。
2004年7月7日に発売された8thシングル「オンリー ロンリー グローリー」は、同じ週に大塚愛、氷川きよし、CHEMISTRY、RIP SLYMEなどのミュージシャンと競合したが、初のオリコン1位を獲得した。また2006年11月22日発売の12thシングル「涙のふるさと」では、最強コラボ、1位確実と言われていた倖田來未&EXILEをはじめとして、宇多田ヒカル、Aqua Timez、スキマスイッチ、Mr.Children(2週目)など、強豪アーティストと競合した中で見事一位を獲得し、多くのファン・評論家を驚かせた。

BUMP OF CHICKEN(ベル)
BUMP OF CHICKEN(supernova)
BUMP OF CHICKEN(人形劇 ギルド)
BUMP OF CHICKEN(ベンチとコーヒー)
BUMP OF CHICKEN(プラネタリウム)
BUMP OF CHICKEN(天体観測)
BUMP OF CHICKEN(ハルジオン)
BUMP OF CHICKEN(LAMP)
BUMP OF CHICKEN(太陽)
BUMP OF CHICKEN(カルマ)
BUMP OF CHICKEN(スノースマイル)
BUMP OF CHICKEN(asgard)
BUMP OF CHICKEN(Sailing Day)
BUMP OF CHICKEN(車輪の唄)
BUMP OF CHICKEN(リトルブレイバー)
BUMP OF CHICKEN(リリィ)
BUMP OF CHICKEN(ロストマン)
BUMP OF CHICKEN(グロリアスレボリューション)
BUMP OF CHICKEN(ダイヤモンド)
BUMP OF CHICKEN(ガラスのブルース)
BUMP OF CHICKEN(fire sign)
BUMP OF CHICKEN(グングニル)
BUMP OF CHICKEN(embrace)
BUMP OF CHICKEN(オンリーロンリーグローリー)
BUMP OF CHICKEN(乗車権)
BUMP OF CHICKEN(アルエ)
BUMP OF CHICKEN(ダンデライオン)
BUMP OF CHICKEN(続・くだらない唄)
BUMP OF CHICKEN(LAMP)
BUMP OF CHICKEN(ハルジオン)






2007⁄05⁄12 12:07 カテゴリー:BUMP OF CHICKEN comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 東京事変の遠足映像や顔見世LIVEなんかも秘蔵のPVなんかもUP!!チェックしないと損だよOo。. (。'(ェ)'。)y-〜


東京事変
東京事変


東京事変(とうきょうじへん、英表記:Tokyo Incidents)は、椎名林檎を中心に結成された、5人組のロックバンドである。所属レコード会社は東芝EMI。
椎名林檎としてのソロ活動を休止して、本格的活動を開始。バンドという体系を取っているため、ソロ活動時の個性的なキャラクターは鳴りを潜めている。一方で、メンバー個々の演奏技術は高く、一人ひとりがバンドに独特の世界観を漂わせている。

メンバー
椎名林檎(シーナ リンゴ) - ボーカル担当。
亀田誠治(カメダ セーヂ) -ベース担当。
刄田綴色(ハタ トシキ) - ドラム担当。
浮雲(ウキグモ) - ギター担当。
伊澤一葉(イザワ イチヨウ) - キーボード・ピアノ担当。あっぱのメンバーでもある。また曲によって浮雲がボーカルをする場合、代わりにリードギターを務める。

2003年秋の椎名林檎のライブ「雙六エクスタシー」のために結成される。
2004年にフジ・ロック・フェスティバル等のライヴ参加を経て、同年9月にシングル「群青日和」でメジャーデビュー。立て続けに10月にシングル「遭難」、11月にはアルバム『教育』を、3ヶ月連続でリリースした。
翌年2005年には初めてのライブツアー“dynamite!”を行う。だがその年の7月1日に、H是都M(エイチ ゼット エム)と晝海幹音(ヒラマ ミキオ、現・昼海幹音)がそれぞれの活動のため、脱退を発表(この2人の脱退は“dynamite!”ツアーが行なわれた頃に既に決定していたと思われる)。これまでの活動をしたメンバーは、以降「第一期メンバー」と称される。
東京事変は暫くの休止期間を置いた後、シングル「修羅場」の製作に合わせて、伊澤一葉(イザワ イチヨウ)と浮雲(ウキグモ)の2名がバンドに参加。この2人が加わったことにより現在のメンバーとなる。
2006年1月25日に発売されたアルバム『大人(アダルト)』は、発売1週目で17.0万枚を売り上げ、オリコンチャート第1位獲得を果たした。また、2006年には日本武道館と大阪城ホールにて「DOMESTIC! Virgin LINE」を、全国17都市では「"DOMESTIC!" Just can't help it.」を新メンバーで実施した。また、COUNTDOWN JAPAN 06/07に出演した(12月30日:幕張、12月31日:大阪)

東京事変(落日)
東京事変(現実を嗤う)
東京事変(少女ロボット)
東京事変(スーパースター)
東京事変(サービス)
東京事変(喧嘩上等)
東京事変(群青日和)
東京事変(雪国)
東京事変(秘密)
東京事変(東京事変の遠足 1)
東京事変(東京事変の遠足 2)
東京事変(東京事変の遠足 3)
東京事変(夢のあと)
東京事変(ブラックアウト)
東京事変(事変音頭)
東京事変(サービス)
東京事変(葬列)
東京事変(遭難)
東京事変(手紙)
東京事変(母国情緒)
東京事変(透明人間)
東京事変(林檎の唄)
東京事変(積木遊び)
東京事変(駅前)
東京事変(御祭騒ぎ)
東京事変(その淑女ふしだらにつき)
東京事変(入水願い)
東京事変(ダイナマイト)
東京事変(歌舞伎)











2007⁄05⁄12 11:26 カテゴリー:東京事変 comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 辻希美と杉浦太陽の記者会見で避妊の話や中絶の質問が殺到。会見のお宝動画や加護亜依の温泉デートの動画やお宝映像など盛りだくさんヾ(∇・〃)ヾ(∇・〃)


W(ダブルユー)
辻希美結婚会見 避妊について

W(ダブルユー)は、ハロー!プロジェクトで活動していた歌手ユニットで、辻希美と加護亜依の2人による女性アイドルデュオである。

メンバー

* 辻希美(リーダー)
* 加護亜依(サブリーダー)

特徴

* ユニット名の由来は「双子じゃないのに双子みたい」と言う発想から、「W」の語源「DOUBLE U」にヒントを得て「YOU&YOU」、すなわち「あなたとあなた」である。
* 「リーダーの辻希美と、サブリーダーの加護亜依、2人合わせてダブル・ユーでーす!」と言う自己紹介テンプレートがあった。
* 2人は、モーニング娘。オーディション合宿参加者の中で、同年齢かつ最年少であったことから、「ASAYAN」(テレビ東京系)においてオーディションの模様を放送する中でも、この2人をセットで、或いは対比させて取り上げることがしばしば行われていた。モーニング娘。のメンバーとなってからも、「MUSIX!」(同)での「MUSIX!エレベーター」、「ティンティンTOWN!」(日本テレビ系)での「じぞぽん!」、「ハロー!モーニング。」(テレビ東京系)での「ハロモニ。劇場」での頑固ひとすじ・ふたすじなど、多くの番組でこの2人がセットで出演するコーナーが作られた。モーニング娘。のソロ写真集シリーズでも2人で1冊と言う形で出されるなど、結成前からペアで売り出される機会が多く、事務所非公認ながら「ぶりんこうんこ」と言うユニット名も存在した。「モーニング娘。のへそ」(同)の中で、後藤真希と加護がトークを行った後、後藤が「以上加護と後藤がお伝えしました。」と言うべき所を誤って「加護と辻が〜」と言ってしまった。このハプニングを収録したモーニング娘。のへそファンブックでも「ワンセットで言っちゃう気持ちは分かる。」とコメントされており、モーニング娘。のメンバーやスタッフの間でも、この2人はセットであるとの認識が強く存在したと見られる。またモーニング娘。の歴史において複数のメンバーの卒業が同時に発表されるケースはこれ以前にも(後藤真希と保田圭)これ以後にも(飯田圭織と石川梨華、紺野あさ美と小川麻琴)存在するが、モーニング娘。からの卒業自体を同時に行ったのはこの2人が初めてであり、かつ2007年現在唯一のケースである。
* デビュー曲はザ・ピーナッツ「恋のバカンス」のカバー。また2004年6月に昭和の女性デュオ13組15曲のカバーアルバムをリリースした。
* フジテレビ系のめちゃ×2イケてるッ!の企画である「私立岡村女子高等学校。」でナインティナインの岡村隆史に「バカ女」(辻)と「クソ女」(加護)の称号を与えられた。同時に「ツートップ」の称号も与えられる。後に2人は2005年7月にフジテレビ系で放送された「FNS27時間テレビ めちゃ×2オキてるッ!what A wide awake↑we are! 楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!」の全国一斉期末テストで、山本圭壱と濱口優と共に真のサマージャンボバカ/プロバカ王決定戦を行い、加護は1位・辻はギリギリ3位でバカ卒業となった。
* 波田陽区に「デブルユー」とギター侍のネタにされた。「Wファンから殺人予告が来た」(波田談)そうで、ネタ半分ながら、波田にしばらくの間身辺警護の警備員が付いた。
* キャラクターの性質上、コスプレの様な格好をさせられることも多かった。
* ユニットの趣旨に反し、加齢に従い、似ていない部分が目立つ様になり、2人の服装の傾向も分かれるようになった。
* 「恋のバカンス」と「あぁ いいな!」では、歌披露の最後に2人が「W」の指文字を作っていた。
* ユニットが結成した2004年にはBerryz工房も結成されたため、同年と翌2005年の夏に共同でコンサートを開催した。「あぁ いいな!」でBerryz工房がバックダンサーとして出演したり、「ロボキッス」でPVの途中にBerryz工房が現れるシーンがあったりした。さらに、松浦亜弥キャプテン公演「ハロ☆プロパーティー2005」ではメロン記念日と共に出演していた。2006年に行われた後藤真希キャプテン公演のハロ☆プロパーティーには、加護の謹慎処分の期間だったため、出演できなかった。
* 2005年末以降は、テレビ出演なども2人分かれての活動が目立っていた。また、W単独でのコンサートツアーは行われたことはなく、予定もされなかった。
* 2007年4月10日、加護の契約解除処分を受け、公式ホームページのアーティストリスト、ディスコグラフィーからWに関する項目は全て削除された。

略歴

2004年

* 1月3日 - 辻希美と加護亜依が同年8月にモーニング娘。を卒業し、事前にこの2人で新ユニットを結成する事が発表された。
* 3月 - ユニット名が「W(ダブルユー)」に決定。
* 5月 - ファーストシングル「恋のバカンス」をリリース。
* 8月 - 辻と加護がモーニング娘。を卒業。
* 12月31日 - モーニング娘。とのスペシャルユニットとして「NHK紅白歌合戦」に初出場。

2005年

* 3月 - W初主演ミュージカル「ふしぎ少女探偵 キャラ&メル」を上演。
* 10月 - 第22回全国都市緑化ふくおかフェア“アイランド花どんたく”にて初のW単独コンサートを行う。

2006年

* 2月10日 - 加護の不祥事による謹慎処分により、Wとしての活動を停止。それに伴い、翌3月に発売を予定していた作品3作(8日:シングル『どうにもとまらない』、15日:アルバム『W3:faithful』、24日のシングルV『どうにもとまらない』)は製作上の都合により発売を中止した。さらに同月29日のコンサートDVD『Hello! Project 2006 Winter 〜全員集GO!〜』も同様に発売中止となった(写真集は発売)。

2007年

* 3月26日 - 所属事務所が、再び不祥事を起こした加護を契約解除したと発表。これにより、加護は事実上、Wを脱退となる。

現状

略歴にある通り、2006年2月10日に加護が喫煙行為を行った事により謹慎処分を受けたため、今後の活動が白紙状態になっていたが、翌2007年3月26日に再び加護の喫煙行為が発覚した事に伴って、所属事務所から加護が契約解除され、その後W及び加護が公式サイトから削除になったため、事実上の解散となった。

2006年5月8日の報道で辻希美と杉浦太陽の電撃入籍&妊娠2ヶ月のため芸能活動を終える

音楽

シングル

1. 恋のバカンス(EPCE-5288 2004年5月19日)
* カップリング:月影のナポリ(TINTARELLA DI LUNA)/悲しき16才(HEARTACHES AT SWEET SIXTEEN)
2. あぁ いいな!(EPCE-5308 2004年8月18日 「ドラえもん」エンディングテーマ曲)
* カップリング:乙女の携帯電話の秘密
3. ロボキッス(EPCE-5312 2004年10月14日)
* カップリング:SEXY SNOW
4. 恋のフーガ(EPCE-5350 2005年2月9日)
* カップリング:ふりむかないで
5. 愛の意味を教えて!(EPCE-5368 2005年5月18日 毎日放送「っちゅ〜ねん!」オープニングテーマ曲)
* カップリング:ジンクス
6. Missラブ探偵(EPCE-5373 2005年9月7日)
* カップリング:FRIENDSHIP
o つんく♂から離れた外部プロデュース作品。作詞:森村メラ 作曲:JOEY CARBONE STEVEN LEE
o Wがリリースした最後のシングル。

アルバム

1. デュオU&U(EPCE-5289 2004年6月2日)
1. 恋のバカンス
2. サウスポー
3. 渚の「……」
4. 白い色は恋人の色
5. 大阪ラプソディー
6. 待つわ
7. 淋しい熱帯魚
8. かけめぐる青春
9. 渚のシンドバッド
10. 恋のインディアン人形
11. 好きよキャプテン
12. センチ・メタル・ボーイ
13. お誂え向きのDestiny
14. Give Me Up
15. 情熱の花 (PASSION FLOWER)
2. 2nd W(EPCE-5355 2005年3月2日)
1. Wのテ〜マ
2. デコボコセブンティーン
3. ロボキッス
4. 五月雨恋歌
5. あぁ いいな!
6. 抱きしめないで〜日記付き〜
7. 打武留友女子高等学校校歌
8. 18〜My Happy Birthday Comes!〜
9. 恋のフーガ
10. INTERLUDE

カラオケ店での恋のフーガのアウトロ、十七の夏のイントロ

11. 十七の夏
12. 17才よさようなら(ARRIVEDERCI)
13. まだ もうちょっと 甘えていたい

DVD(シングル)

1. シングルV・恋のバカンス (EPBE-5130 2004年6月23日)
2. シングルV・ロボキッス (EPBE-5163 2004年11月17日)
3. 愛の意味を教えて! (EPBE-5173 2005年6月18日)
4. Wの映像の世界Vol.1 (EPBE-5146 2004年10月14日)
5. Missラブ探偵 (EPBE-5180 2005年9月14日)

DVD(コンサート)

1. 2004夏 ファーストコンサートツアー〜Wスタンバイ!ダブルユー&ベリーズ工房!(EPBE-5151 2004年11月17日)
2. 2005年夏 W&Berryz工房コンサートツアー「HIGH SCORE!」 (EPBE-5183 2005年11月9日)

出演

テレビ

* ハロー!モーニング。 (2004年-2005 テレビ東京、地球戦士W)
* 恐竜は生きている!?〜よみがえる恐竜王国の大発見〜(2004年7月22日 TX系列:テレビ東京)
* おはスタ2部(スーパーライブ) (2004年-2005 テレビ東京、2004年はCDリリース日のみ、2005年1月11日からふしぎ少女探偵キャラ&メル、9月8日からMissラブ探偵としても出演)

インターネット

* 第5回ハロプロビデオチャット(2005年4月15日、ハロー!プロジェクト on フレッツ)

CM

* エルセーヌ スキママンボ (2004年) 石川梨華と共演
* 永谷園 電子レンジケーキ・モコモコシフォン (2004年)
* ロート製薬 メンソレータムアクネス (2004年-2005年 )
* ロート製薬 もぎたて果実 天使のくちびる (2004年)
* 永谷園 すし太郎 (2004年-2005年)
* トステム Duo PG (2004年)
* 驚異の大恐竜博 (2004年) イメージキャラクター“ツジラ”“カゴラ”
* エプソン カラリオ・年賀状大使 (2004年) 松浦亜弥、モーニング娘。と共演
* 新世紀・名古屋城博 (2004年-2005年)スペシャルサポーター
* エプソン カラリオ・まいど (2005年) 松浦亜弥と共演

アニメーション

* ドラえもん エンディングテーマ「あぁ いいな!」 (2004年6月-2005年3月)

ミュージカル

* ふしぎ少女探偵 キャラ&メル 魔のヴァイオリン盗難事件 (2005年3月18日-4月10日 横浜BLITZ 13公演、池袋サンシャイン劇場 21公演)

コンサート

* 2004年夏ファーストコンサートツアー〜Wスタンバイ!ダブルユー&ベリ−ズ工房!〜 (2004年8月10日-10月11日 13都市23公演)
* Hello! Project 2005 winter オールスターズ大乱舞〜A HAPPY NEW POWER!飯田圭織卒業スペシャル〜(2005年1月29日-30日 1都市4公演)
* ハロ☆プロ パーティ〜!2005 〜松浦亜弥キャプテン公演〜 (2005年5月21日-6月26日 11都市23公演)
* Hello! Project 2005 夏の歌謡ショー ―'05 セレクション!コレクション!―(2005年7月10日-24日)
* 2005夏 ダブルユー&ベリーズ工房! コンサートツアー 「HIGH SCORE!」(2005年8月6日-28日 6都市15公演)
* 松浦亜弥・W・メロン記念日 コンサート in 姫路城〜松浦亜弥 里帰りスペシャル〜(2005年8月20日)
* レディオキューブFM三重 開局20周年記念 松浦亜弥・Wコンサート(2005年9月24日 三重県文化会館・大ホール)
* ハロ☆プロパーティー!2005 〜松浦亜弥キャプテン公演NEO〜(2005年9月3日-12月4日 20都市38公演)
* 第22回全国都市緑化ふくおかフェア“アイランド花どんたく”(2005年10月15日 2公演)
* Hello! Project 2006 Winter 〜ワンダフルハーツ〜 (2006年1月2日-21日 3都市14公演)
* Hello! Project 2006 Winter 〜全員集GO!〜 (2006年1月28日-29日 1都市3公演)

イベント

* Peace Sphere Charity Concert in Tokyo 〜さだまさし遊援地〜 (2004年5月8日 味の素スタジアム)
* 第25回記念日刊スポーツ主催 2004神宮花火大会 ハナビアンナイト (2004年8月8日 国立霞ヶ丘競技場) 観覧会場の部で 松浦亜弥、Berryz工房と共演
* オールトヨタビッグホリディ (2004年10月3日)「ファミリー・コミュニケーション・タイム」出演
* W(ダブルユー)「愛の意味を教えて!」スペシャルイベント(2005年5月18日 タワーレコード渋谷店B1「STAGE ONE」)
* 新世紀・名古屋城博 スペシャルサポーターW(ダブルユー) スペシャルステージ(2005年5月20日)
* W(ダブルユー)NEWシングル「愛の意味を教えて!」発売記念 スペシャルイベント&握手会(2005年5月25日 大阪府豊中市 千里セルシー広場)

書籍

* W フォト&エッセイU+U=UU (2004年12月9日、竹書房) ISBN 4-8124-1947-6

写真集

* 辻希美・加護亜依写真集 「辻加護」(2002年5月22日、ワニブックス) ISBN 4-8470-2710-8
* 1st写真集 50W(2005年1月20日、ワニブックス) ISBN 4-8470-2840-6

コミック

* トキ♥メキW! (2004年、小学館 森江真子 小学一〜四年生連載)
* I LOVE W(2004年-2005年、小学館 北村有香 ちゃお連載)
* ふしぎ少女探偵 キャラ&メル(2005年、小学館 北村有香 ちゃお連載)
ダブルユー(Miss ラブ探偵)
ダブルユー(辻希美 できちゃった婚で!!)
ダブルユー(辻希美 妊娠2ヶ月)
ダブルユー(辻希美 結婚しちゃうの)
ダブルユー(加護実家に帰れない)
ダブルユー(加護ちゃんのパンチラ)
ダブルユー(加護がリストラ)
ダブルユー(加護ちゃんさようなら)
ダブルユー(加護ちゃん夜の温泉デート)
ダブルユー(白い色は恋人の色)
ダブルユー(恋のフーガ)
ダブルユー(淋しい熱帯魚)
ダブルユー(大阪ラプソディー)
ダブルユー(サウスポー)
ダブルユー(恋のバカンス)
ダブルユー(愛の意味を教えて!)
ダブルユー(17才よさようなら)
ダブルユー(ロボキッス)
ダブルユー(あぁ いいな!)
ダブルユー(不仲説)









2007⁄05⁄11 19:12 カテゴリー:W(ダブルユー) comment(0) trackback(1)
▲pagetop








 Def TechとSAKURAとのPVをUP&RIZEとのコラボ曲の動画やLIVEをUPしたよ(。・。・)y-。oO


Def Tech&SAKURA
いのり


メンバー
Shen(シェン、1981年5月9日)
中華人民共和国生まれ、米国ハワイ州オアフ島出身。
デビュー数年前から来日。
E.D.Oのメンバーとしても活動している。

Micro(マイクロ、1980年8月28日)

本名:西宮佑騎(にしみや ゆうき)
東京都大田区蒲田出身。
法政大学国際文化学部卒業。
実家はサーフショップで、幼少のころからよくハワイに行っていたという。

グループ名は「テクニックをひけらかさない」「超カッコいいテクニック」という意味。名付け親はRIZEのボーカルJESSE。 自らの音楽を「ジャワイアン・レゲエ(ジャパン+ハワイ+ジャマイカ)」という新しいジャンルとして位置づけている。
ヨコハマタイヤ「DNA S-drive」のCMのタイアップと、春のセンバツ高校野球のダイジェスト番組「みんなの甲子園」(毎日テレビ) で流れた曲『My Way』をきっかけに、1stアルバム[Def Tech]がオリコンの上位まで上り詰めた。
この『My Way』は大阪市のFMラジオ局・FM802の2005年3月のヘビーローテーション・J-POPナンバーに選ばれた。また、FM802のOSAKAN HOT 100の2005年の年間チャートで1位を獲得。
2005年、mixiにおいて創価学会に否定的な人達とのトラブルになり、退会するに至った。
また2006年11月には2人の不仲によりの解散可能性があることが報じられる。しかし後日Shenの結婚パーティにて、Microが舞台に立ち「Def Techは解散しない」と発言した。
2007年2月1日にユニバーサルミュージック内に自身のレーベル「プライマリー・カラー・レコード」を立ち上げる。
2007年3月24日に千葉マリンスタジアムで開催されたパリーグ開幕戦ロッテ対日本ハムでMicroが国家独唱を行った。
「ミュージックステーション」などに出演したほか、2005年のNHK紅白歌合戦に出場した。メジャー・デビュー前にインディーズからのNHK紅白歌合戦への出場はJ-POP史上初めてである。(ジャズに位置づけられている綾戸智絵は、現在に至るまでメジャーデビューしていないという例がある)NHK紅白歌合戦では金の扇子を振りながら歌った
Def Tech(Deep Blue)
Def Tech(Catch The Wave)
Def Tech(Heroes)
Def Tech(High on Life)
Def Tech(My Way)
Def Tech&SAKURA(いのり)
Def Tech&RIZE(このまま)
Def Tech&BENNIE K(Better Days)
Def Tech&SMAP(TV)
Def Tech&MAD Sequence(No Woman No Cry)
Def Tech(Irie Got ありがとうの詩)
Def Tech(Broken Hearts)
Def Tech(LIVE)
Def Tech(jump around)
Def Tech(Quality Of Life)











2007⁄05⁄11 12:29 カテゴリー:Def Tech comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 DJ OZMAと浜崎あゆみの幻のセッション音源動画&LIVEをUPしたよ。この2人のセッションはマジで幻(*μ_μ)♪☆☆


DJ OZMA
疾風迅雷〜命 BOM-BA-YE〜

DJ OZMA(ディージェイ・オズマ)は、音楽アーティスト。東芝EMI所属。生年月日は不詳(1982年生まれとの説があるが、後述の通り素性がほぼ判明しているため本来は1976年生まれとなる。また日刊スポーツの紹介記事によると4月26日生まれ。)、本名は尾妻野純直(おずまの・すみただ)と自称している。
その正体は、彼の「友人」であるヤンキー系ロックバンド『氣志團』のヴォーカル兼リーダーの綾小路翔である。(先に挙げた本名は歌手・東野純直のもじりで、「尾妻野」という苗字の存在は、日本では確認されていない。)

出身地は千葉県千倉町(現・南房総市)、幼少時は蔵の中に入れられ、鉄仮面を19年間かぶり続けて育ったと自称している。元ネタは『バイオレンスジャック』のスラムキング、または南野陽子が演じた二代目スケバン刑事と思われる。
「世界の夜はOZMAに任せろ!」をキャッチコピーに台湾を中心に活動を広げる、生粋の日本人。自ら音楽制作、イベント等のプロデュースも手掛けている。
また、ウエア、グッズ等の制作、販売を行うブランド「SMILE LOCOMOTION」をプロデュースしている。
2000年に韓国、2004年に台湾でデビューし、2006年3月22日に「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」が日本で発売。2006年3月31日に『ミュージックステーションSPECIAL』(テレビ朝日系)でテレビ初登場を果たす。
彼の正体同様に、バックダンサーのPANCHOは氣志團メンバーの早乙女光であり、夜王純一と微熱DANJIの星屑輝矢(高田馬場文夫・江張國光・安藤幸三)がそれぞれ同一人物では、と言わている。
2006年9月15日に韓国にて「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」「One Night」のオリジナル曲を歌う、韓国ヒップホップユニットDJ DOCとのジョイントライブを果たす。
2006年11月〜12月にかけて、自身初の全国ツアー「DJ OZMA "I ♥ PARTY PEOPLE" TOUR2006 LUV-XURY(ラブジュアリー)」を開催、東京・代々木第一体育館まで10公演を行った。
2006年12月31日、第57回NHK紅白歌合戦に初出場。
2007年3月、「第44回ゴールデンアロー賞」音楽賞を受賞。

『うたばん』(TBS系)出演時、履歴が書いてあるフリップで、「8才で男になる」と書かれていたため、司会の石橋貴明、中居正広に強く批判される。ちなみに、その初めての女性は実のおばであることも同時に告白した。
2006年12月6日、『2006FNS歌謡祭』(フジテレビ系)に出演した際、脱ぎパフォーマンスの話を振られ、前の歌がキグルミの「たらこ・たらこ・たらこ」だったことに引っ掛けて「今日は出ちゃうかもしれないですね〜、僕のタラコが」と発言し、司会から「生放送ですから!」と半ば本気で注意された。

紅白騒動について
2006年12月31日、『第57回NHK紅白歌合戦』に初出場。事前のスポーツ紙の取材に対し「開チン宣言」を行い、脱ぎパフォーマンスが行われることは確実視されていた。これに対して北島三郎がキレて「歌で勝負しろ」と窘められていたことがスポーツ新聞等で報じられていた。当日のステージは、通常のダンサーメンバーに加え、ピエロが加わり、夜王がマジックを披露。OZMAは演奏途中で消え、ワイヤーに吊るされ、最後は北島三郎と入れ替わるというイリュージョンパフォーマンスを披露した。この時、OZMAと一緒に演じた女性バックダンサーが、カーニバル風衣装の下の水着まで脱ぎ、裸体の描かれたボディースーツで踊るという演出を行った。視聴者から「裸ではないか?」との問い合わせが即時に寄せられ(放送内で対応できた分が約250 件、放送以後1800件。対応できなかった分を含めると数千件以上)、番組内で総合司会のNHK・三宅民夫アナウンサーが「裸ではない」と説明する事態となった。後日、NHK側は記者会見を行い視聴者へ謝罪した(衣装に関してOZMA側からは説明されていなかった、リハーサル時は水着は脱がなかった等と説明)。また、オズマ自身はブリーフ姿になり、ブリーフの股間部分に、男性器を模した模型をつけていた。所属事務所と東芝EMIはNHKに出向き経緯を説明した。なお、このパフォーマンスのため、紅白歌合戦を録画放送しているハワイの地上波放送局KIKU-TVでは、DJ OZMAの出演部分をカットして放送した(NFLスーパーボウルでのジャネット・ジャクソン胸出し事件で問題になったように、アメリカ合衆国では一般向けテレビ番組の放送コードは日本の比にならないほど厳しい為)。
この時使用されたボディースーツは、WAHAHA本舗が舞台で使用していたものからアイデアを得たものであった(直接WAHAHAから調達したという説もある)。ちなみに、WAHAHA本舗に所属しているタレントである久本雅美は、このパフォーマンスを賞賛した。
2007年1月1日未明、NHKより移動しTBS系『CDTVスペシャル』に出演、紅白歌合戦と同様のパフォーマンスを披露した。
2007年1月4日に、NHK会長橋本元一が新年の挨拶で、この件に触れ謝罪。1月11日に定例記者会見を行い、橋本元一会長がDJ OZMAに対して「現場で使いにくい状況だと思う」と述べた。また、1月10日までにコールセンターへ1,796件苦情があった。
自身のブログで、ファンに対してパフォーマンスの経緯等の説明がなされ、また、NHKの対応に対する怒りを露にし、自身が不満を抱いているNHKの関係者の実名を挙げた。
2007年3月1日に行われた「第44回ゴールデンアロー賞授賞式に出席し、騒動後初めて公の場に姿を見せた。その際インタビューで、NHKに対する本音を述べた。


DJ OZMA(超!)
DJ OZMA(ケジメなさい)
DJ OZMA(Together)
DJ OZMA(紅白歌合戦)
DJ OZMA(MY WAY)
DJ OZMA(LOVE&JOY)
DJ OZMA(純情〜スンジョン〜)
DJ OZMA(DISCO KING)
DJ OZMA(朝がくる度)
DJ OZMA(ゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士)
DJ OZMA(One Night)
DJ OZMA&浜崎あゆみ(DANCE SHOW)
DJ OZMA&浜崎あゆみ(HAPPY SONG)











2007⁄05⁄11 11:25 カテゴリー:DJ OZMA comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 更新履歴 DREAMS COME TRUEの発売前の新TOKIOの新曲PVからJ-FRIENDSの秘蔵動画まで10本もいっきにUP曲動画をUP&tetsuの未発表曲やファンクラブ限定LIVE


TETSUの未発表曲やファンクラブ限定LIVEの動画やTOKIOの新曲PVからJ-FRIENDSの秘蔵動画まで10本もいっきに動画UPや DREAMS COME TRUEの発売前の新曲動画をUP
YOUTUBE 動画 新曲 オリコン ドリカム TOKIO TETSU ジャニーズ
更新履歴










2007⁄05⁄10 19:47 カテゴリー:未分類 comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 DREAMS COME TRUEの発売前の新曲動画をUPしたよ(σ。σ;A)後、未来予想図のPVや大阪LOVEなんかもUPしたよ


DREAMS COME TRUE
大阪LOVER


DREAMS COME TRUEは、日本の音楽グループである。一般的な略称はドリカム。DCT、ドリとも呼ばれる。所属事務所はDCT entertainment、所属レコード会社はユニバーサルミュージック、DCT records。

メンバー
吉田美和・・・ボーカル
中村正人・・・ベース(リーダー)

1988年結成。当初は「CHA-CHA & AUDREY's Project」(チャチャアンドオードリーズプロジェクト)というグループ名を名乗っていたが、間もなく現在のグループ名に改名する。

1989年3月21日、シングル『あなたに会いたくて』とアルバム『DREAMS COME TRUE』の同時リリースでCDデビュー。

名実ともに90年代前半の邦楽界を代表するグループであり、特にアルバムセールスにおいて圧倒的な存在感を見せた。1989年の2ndアルバム『LOVE GOES ON…』および3rdアルバム『WONDER 3』は100万枚以上、4thアルバム『MILLION KISSES』から8thアルバム『LOVE UNLIMITED∞』までは200万枚以上を売り上げ、特に1992年の5thアルバム『The Swinging Star』では日本で初めて300万枚を超える売上を記録。初動売上枚数が100万枚を超えることもしばしばであった。1997年の9thアルバム『SING OR DIE』以降はそれ以前のような爆発的なセールスこそないものの、1999年の10thアルバム『The Monster』がミリオンセラーとなったのを筆頭にいずれも30万枚以上の売り上げを記録している。現在までに13枚のオリジナルアルバムを発表している。

シングルにおいても1990年発表の『笑顔の行方』でブレイク。その後、『決戦は金曜日』、『go for it!/雨の終わる場所』、『サンキュ.』、『LOVE LOVE LOVE/嵐が来る』の4作がミリオンセールスを記録。中でも『LOVE LOVE LOVE/嵐が来る』は200万枚以上を売り上げた。

1997年、レコード会社をエピック・ソニー・レコードからヴァージン・レコード・アメリカへ移籍し、アメリカに進出(国内販売は東芝EMIが担当)。2002年からヴァージン・レコード・アメリカを離れインディーズでの活動を行っていたが、2003年にユニバーサルミュージック所属となり、メジャー・レーベルに復帰した。
1991年から4年に1度、全発表曲から投票などで選ばれた曲を披露する公演「史上最強の移動遊園地 ドリカムワンダーランド(WONDERLAND)」を開催している。

主に吉田美和単独で企業のイメージキャラクターに起用され、資生堂、ソニー、コカ・コーラなどのCMに出演している。近年では2005年9月、ロッテ「ガーナチョコレート」のCMではフィギュアスケート選手の荒川静香、安藤美姫、村主章枝と共演(グループ企業であるロッテリアのトレーマットにも広告で掲載)。2005年10月に東芝「Vodafone 803T」のイメージキャラクターとしてCM出演。

ライブ時に登場するバックバンドとして「D.C.T.BAND」、ホーンセクションとして「The Dynamites」があるが、どちらもメンバーは固定されておらず、ツアー毎にメンバーが入れ替わることが多い。
「ドリカムワンダーランド '95」にはバックダンサーとしてZOOのメンバーのうち5人が参加しているほか、その中のSAE・CAP・HIROの3人は翌年「LUV DELUXE」を結成して、この年のドリカムのコンサートツアー「LOVE UNLIMITED∞」に参加している。
2002年の「2002:monkey girl odyssey arena-mix」からは、ドリカムが主宰するインディーズレーベル「DCT Records」に所属するアーティストが前座として登場するようになった。
「ドリカムワンダーランド2007」では、ツアーのテーマ「夢よみんなかなってしまえ!!!」で募集していた夢が実現されるという形で、バッキングヴォーカルをプロ・アマ、男女問わず、公募で選出される。

ライブで使用する舞台衣装のデザインの多くはファッションデザイナーの丸山敬太(KEITA MARUYAMA)が手がけている。

DREAMS COME TRUE&BOA(きみにしか聞こえない)
DREAMS COME TRUE&BOA(決戦は金曜日)
DREAMS COME TRUE&BOA(LOVE LOVE LOVE)
DREAMS COME TRUE(SUNSHINE)
DREAMS COME TRUE(朝がまた来る)
DREAMS COME TRUE(SNOW DANCE)
DREAMS COME TRUE(サンキュ)
DREAMS COME TRUE(朝がまた来る)
DREAMS COME TRUE(未来予想図)
DREAMS COME TRUE(JET!!!)
DREAMS COME TRUE(もしも雪なら)
DREAMS COME TRUE(マスカラまつげ)
DREAMS COME TRUE(晴れたらいいね)
DREAMS COME TRUE(やさしいキスをして)
DREAMS COME TRUE(何度でも)
DREAMS COME TRUE(サンキュ)
DREAMS COME TRUE(もしも雪なら)
DREAMS COME TRUE(今日だけは)
DREAMS COME TRUE(三日月)
DREAMS COME TRUE(はじまりのla)













2007⁄05⁄10 14:25 カテゴリー:DREAMS COME TRUE comment(0) trackback(9)
▲pagetop








 TOKIOの新曲PVからJ-FRIENDSの秘蔵動画まで10本もいっきにUPしたよ(∂_∂ 。)( 。∂_∂)(∂_∂。 )( 。∂_∂)


TOKIO
ひかりのまち

メンバー
城島茂(じょうしま しげる、1970年11月17日- O型)担当楽器はギター、(リーダー)。
山口達也(やまぐち たつや、1972年1月10日- O型)担当楽器はベース。
国分太一(こくぶん たいち、1974年9月2日- O型)担当楽器はキーボード。
松岡昌宏(まつおか まさひろ、1977年1月11日- A型)担当楽器ドラム。
長瀬智也(ながせ ともや、1978年11月7日- O型)ボーカル。

ジャニーズ事務所のグループとしては異色のバンド編成となっているが、コンサートではやはりジャニーズらしくダンスもする(2006年のライブでは、自分たちの音を聞かせたいためダンスは行わなかった)。 男闘呼組の後継者とされるが、男闘呼組はハードロック系統、TOKIOはパワーポップと音楽性は異なっている。また、サポートメンバーを必要とする(正式メンバーにドラムス担当がいない)男闘呼組に対し、TOKIOはバンドとして完結した構成である、という点が最大の違いと言える。

ライブなどでは楽器交換をして演奏することもあり、自分の担当楽器以外も演奏することができる。
実績は爆発的なものよりも、コンスタントなものが多い。
2008年で全員の年齢が30歳を越える。
リーダーの城島茂はギャグキャラの役回りを演じる事が多い(『ザ!鉄腕!DASH!!』でも女装して「茂子」として節約生活企画に挑戦するなど)。
ファンの間では山口達也・国分太一の下の名前のイニシャルがTで始まる2人を"T2"、身長180cm以上ある松岡昌宏・長瀬智也の2人を"ツインタワー"、日清オイリオグループの日清ヘルシーリセッタのCMに2人一緒に出演したことから城島茂・山口達也の2人を"リセッタコンビ"、身長がメンバー1高い長瀬智也とメンバー1低い国分太一で"凸凹T2"や"サッカー兄弟"(どちらもサッカー好きなため)、松岡が山口の事を「兄ぃ」と呼ぶことから「リズム兄弟」など、コンビ名をつけて呼んでいる(ちなみにこのコンビ・トリオ名はどの組み合わせにもある)。
『ザ!鉄腕!DASH!!』では各メンバーが体を張った数多くの企画をこなし(トーク主体のバラエティ番組全盛の今となっては貴重な番組でもある)、そこから老若男女不問の人気を確立した。
"TOKIO"結成以前の1989年、番組「アイドル共和国」内で城島茂と山口達也が「城島茂バンド」というユニットを結成(当初、このユニットは城島が事務所に無断で結成したものであったとされる)。その後、社長のジャニー喜多川が「TOKIO BAND」と改名させた。このTOKIO BANDが現在のTOKIOの直接の前身に当たる。

1990年、国分太一(城島、山口と同じく元平家派メンバーであった)、松岡昌宏、小島啓ら3人がSMAP学園選抜メンバーとして城島茂と合流し"TOKIO"を結成するが、その後、城島がジャニー喜多川に山口達也もメンバーに加えるように交渉して加入した。山口加入後、"踊るTOKIO"、"TOKIO BACKBAND"、"ブギウギ TOKIO"などバックダンサーや演奏等、担当・役割別にそれぞれ組み分けされたユニットが存在したが、しばらくしてそれらの組み分けは無くなり、 TOKIOに統一された。なお、組み分けが無くなるまでは、サポート的に一時的な加入・離脱があったが、91年頃に長瀬智也がジュニアとして頭角を現すと同時にサポートとして加入。それ以降、デビューまで雑誌・ラジオ等では長瀬を除く5人編成、TV出演は長瀬を含む6人編成という妙な構成で活動していた。 1994年、小島啓が留学を理由にデビュー前にジャニーズ事務所を辞めたため、長瀬智也が正式なメンバーとなった。
そんなTOKIOの各メンバーの個性や活躍ぶりから、今や『ジャニーズ所属者史上、最もジャニーズタレントらしくないグループ』と一部では言われている。また、先輩グループSMAPは冠番組で見せる体を張ったコントから『平成のドリフターズ』と呼ばれる事もあるが、ドリフのルーツを考えるとその称号はバンド活動を基盤に置いているTOKIOの方にこそ相応しいのではないか、という意見もある。
TOKIOのレギュラー番組『ザ!鉄腕!DASH!!』は現在毎週日曜18:55からであるが、同じTOKIOのレギュラー番組『メントレG』が2007年4月から毎週日曜21時に移行される予定で、これにより、TOKIOのメンバー全員が出演するレギュラー番組が日曜日の夜の時間帯に集中されることになる。

1994年9月21日に『LOVE YOU ONLY』でCDデビューする(売上52.0万枚)。同年にはデビューから3カ月10日という当時の史上最速記録(現在の史上最速記録はWaT)で『NHK紅白歌合戦』に初出場。 デビュー前には光GENJIのバックダンサーで出演、1996年の出演(『ありがとう…勇気』)では、玉置浩二『田園』でもバックを務め、2006年まで13年連続出場している。(連続出場では、90年代以降にデビューしたジャニーズ系アーティストとしては現在、最多記録である。なお、最多出場回数はSMAPの14回)1995年には『うわさのキッス』をリリースしてヒットした(売上39.2万枚)。
2001年にシングル『どいつもこいつも/ボクの未来』でソニー・ミュージックエンタテインメントからユニバーサルミュージックへ移籍。 同年、シングル『メッセージ/ひとりぼっちのハブラシ』でデビュー7年目にして初のオリコン1位を獲得した(売上42.9万枚)。
2002年、TBS系ドラマ『やんパパ』の主題歌『ding-dong』を含むシングル『ding-dong/glider』発売。TOKIOのシングルとしては初のクリスマスソングでオリコン1位を獲得(売上15.4万枚)。
2003年にはJR東海の東海道新幹線品川駅開業とタイアップした『AMBITIOUS JAPAN!』をリリース、オリコン1位を獲得した(売上21.0万枚)。また、同社所属の新幹線車両にこの曲のイントロのチャイムが採用され、現在に至る。
2004年9月1日にデビュー10周年記念アルバムとして出した、ジャニーズヒットソングのカバー・アルバム『TOK10』がオリコン1位となる(売上18.1万枚)。各曲のプロデューサーには、国内外のトップミュージシャンを迎えた。
2005年に『メントレG』(フジテレビ系)番組内でエンディングテーマを決めるに当たり、各メンバー作詞・作曲の楽曲を匿名で公開、視聴者の投票により、城島茂の『僕の恋愛事情と台所事情』に決まった。
2006年2月8日、TBS系金曜ドラマ『夜王〜YAOH〜』の主題歌でもある久しぶりのマイナー調歌謡ロック・ナンバー『Mr.Traveling Man』を発売、オリコンチャートで初動7.9万枚を売上げ、2年4か月ぶりのシングル初登場で首位を獲得した(売上14.4万枚)。
2006年6月21日にはシングル『Get Your Dream』がリリースされた。この曲はTBSサッカーワールドカップの応援歌となっていて、曲のタイトルはサッカー日本代表の中村俊輔選手が命名した。
2006年7月12日、TVなどで見せる「仲間同士で遊ぶ」というコンセプトにマッチしたという理由から、マイクロソフトのXBOX360のイメージキャラクターに起用が決定。
2006年8月23日、「宙船(そらふね)/do! do! do!」をリリース。収録されている「宙船」は長瀬智也主演ドラマ『マイ★ボス マイ★ヒーロー』の主題歌である。同曲の作詞・作曲を手掛けたのはシンガー・ソングライター中島みゆき。「ハードな歌謡ロック」をイメージしたという「宙船」により、TOKIO(ジャニーズ)と中島みゆきという異色かつ話題性溢れるコラボレーションが実現された。(中島みゆきがジャニーズのアーティストに楽曲を提供するのは初となった。)また、「do! do! do!」はXBOX360のCMソングである。なお、同曲はオリコンチャートで初登場1位を獲得した(通算5作目、ちなみにTOKIOが同じ年にシングル 2作で首位を獲得したのは初めてである)。

TOKIO(AMBITIOUS JAPAN!)
TOKIO(ラブラブ♥マンハッタン)
TOKIO(Mr.Traveling Man)
TOKIO(宙船)
TOKIO(do!do!do!)
TOKIO(Get Your Dream)
TOKIO(Mr.Traveling Man)
TOKIO(XBOX CM)
TOKIO(LOVE YOU ONLY)
TOKIO(花唄)
TOKIO(イメージ)
TOKIO(どいつもこいつも)
TOKIO(君を想うとき)
TOKIO(何度も夢の中でくり返すラブ・ソング)
J-FRIENDS(明日が聴こえる)
J-FRIENDS(Next 100 Years)
J-FRIENDS(Love Me All Over)
J-FRIENDS(ALWAYS)
J-FRIENDS(People Of The World)













2007⁄05⁄10 12:25 カテゴリー:TOKIO comment(0) trackback(1)
▲pagetop








 tetsuの未発表曲やファンクラブ限定LIVEの動画なんかをいっぱいUPしたよヽ(▽`llllllヽ)...(ノllllll´▽`)ノ


tetsu
Can't stop believing

tetsu(テツ、1969年10月3日 - )は日本のベーシスト、歌手。L'Arc〜en〜Cielのベーシスト・リーダー、P'UNK〜EN〜CIELのヴォーカリスト、ギタリストとして活動している。愛称は「てっちゃん」。またソロとしてはTETSU69名義でも活動していた。
その他にはギターやベースのコレクターとしても知られており、そのコレクションはベースを中心に120本にも上る。また大の機動戦士ガンダムファンである縁からバンダイの「MS IN ACTION!」のプロデュースを担当し、「MS IN ACTION! tetsu TOYS」が発売された。
使用ベースはESP製のシグネイチャーモデルをメインに使用。アンプはTrace Elliot製のものを愛用しており、機材ケースはシャア・アズナブルにちなんで長年赤を使っていたが、現在はアルミ製のものを使用。2006年にCreature Creatureのレコーディングに参加した際7弦ギタリストに合わせ5弦ベースを導入したが、L'Arc〜en〜Cielのライヴでもメインで使用するようになった。

幼い頃から手先が器用で、将来はF1レーサーかプラモデル屋をやることが夢だったという。幼なじみであるkenに「ベースやりなよ。ベースは弦が4本だから、ギターより簡単」と、ベースを勧められたところからベーシストとして活動を始めた。

中学校の文化祭でスコーピオンズのコピーバンドを組んで初舞台を踏む。高校進学後はPRISONERに加入し、後から加入したにも拘らずリーダーとなりその手腕を発揮する。その後 PRISONERはByston wellと改名し活動するもギタリストが脱退してしまう。そこでtetsuが声をかけたのがkenであったが結局kenは大学受験のために短い期間しかバンドに在籍しなかった。 ken脱退後からメンバー間の不和が決定的になりByston wellの活動はストップしてしまう。ちなみに活動休止直前にByston wellはとあるバンドコンテストに出場し、この様子はテレビ中継されtetsuは初のテレビ出演をしている。Byston well活動停止中に当時の大阪では有名だったビリーandザ・スラッツのsammyからギタリストhiroを紹介され意気投合する。Byston wellに見切りを付けたtetsuは新たなバンドを結成すべくメンバーを探し、大阪市で行われたとあるセッションに参加しhydeと出会う。ちなみにこのときhydeのことを女だと思っていてナンパのつもりで声をかけた。

hydeに惹かれたtetsuは自分とバンドを組むように説得するがJelsarem's Rod結成直後だったために断られてしまう。しかしtetsuは諦めずJelsarem's Rodの全てのライヴに足繁く通い、hydeを口説いた。そしてJelsarem's Rodの活動に見切りを付け、hydeがtetsuとのバンド結成を決意しtetsu、hyde、hiro、peroでL'Arc〜en〜Cielを結成する。

ちなみにラルクを結成する前に、大阪で同じくバンド活動をしていた西川貴教を「いいメンバーがいるから」と知人を通じて紹介されており、この時互いにバンドをしようと約束を交わす。しかしその時は連絡先も交換せず挨拶程度だけであり、おまけに知人とも連絡が付かなくなってしまい、結局tetsuはその後ラルクを結成して活動していく。そして数年後、2人はとあるTV番組で再会しプライベートなどでも交友を深める仲になった。ちなみに2人が出会った当時、西川はLuis-Maryというバンドで大阪では絶大な人気を誇っており、tetsuは「この人と組めるのか!」と、そうとう嬉しかった模様。この時の話を2人は2005年春、雑誌の対談で語っている。

ベースの奏法は時にルートやコードの流れから逸脱したフレーズを前に出した独特なもので、「歌うベース」などと評価される事も有る。また本人も過去のインタビューで歌メロとの絡みを意識している旨を語っている。そのベースラインの斬新さから国内外のベーシストからの評価も高い。レコーディングでは主に4弦(現在コンサートでは5弦)ベースを演奏するが、楽曲によっては6弦ベースを用いることもあり、『自由への招待』でも6弦ベースを使用している。

ライヴでは「俺のバナナが食べたいかー!」と言ってバナナを客席に投げるのが恒例になっている。マンゴーやズッキーニ、茄子、エリンギを投げることもある。これらには特製のステッカーが貼られている。
前述の通り、機動戦士ガンダム及びシャア・アズナブルのファンで前述の赤い機材ケースを使用していた件の他にもゲーム「激突トマラルク TOMARUNNER VS L'Arc〜en〜Ciel」ではシャアの名台詞を喋っている。

意外にもキーの高さはhyde並にあるらしい。
哲学等でのインタビューを読む限りかなりの合理主義者であることが伺える。
kenがダム好きであるのに対し、自身はビルフェチだと語っており、「Can't stop believing」の表裏両ジャケットにも、ビルが写っている。
メンバーの中でただ一人禁煙者である。


2001年7月18日、TETSU69として1stシングル「wonderful world/TIGHTROPE」でソロデビュー。
2002年6月、所属レコード会社であったKi/oon RecordsからWARNER MUSIC JAPANへ移籍。
2002年12月25日、ライヴ「TEZMANサンタpresents TETSU69 special Christmas night Sweet December at 赤坂BLITZ」開催。
2003年1月11日〜1月26日にかけて新星堂のイベントで全国各地を回る。
2003年8月19日、所属レーベルSPROUSEのライヴイベント「MAGNETIC LEVITATION 2003 SUMMER」に出演
2003年12月26日、L'Arc〜en〜Cielの所属事務所のイベント「天嘉 -弐- [DANGER II]」に参加。
2004年12月25日、イベント「天嘉 -参- [DANGER III]」に参加。
2006年12月25日、イベント「天嘉 -伍- [DANGER ]」に参加し、ソロでの名義をL'Arc〜en〜Cielと同様のtetsuに改める。
tetsu(WHITE OUT)
tetsu&hyde(インタビュー 1)
tetsu&hyde(インタビュー 2)
tetsu&hyde(インタビュー 3)
tetsu(Yahoo LIVE)
tetsu(タイ LIVE)
tetsu(empty tears)
tetsu(Pretender)
tetsu(The Story)
tetsu(Wonderful World)
tetsu(涙のキス)
tetsu(white out)
tetsu(ファンクラブ LIVE)
tetsu(TOKYO FM)
tetsu(赤坂BLITZ LIVE)
tetsu&hyde(秘蔵映像)
tetsu(TIGHTROPE)
tetsu(ラバーソール)
tetsu(蜃気楼)
tetsu(15 1/2フィフティーンハーフ)













2007⁄05⁄10 11:07 カテゴリー:tetsu comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 土屋アンナの海外LIVEの映像&プライベート動画もUPだよ。NANAのPVもUPしまくりだよ( *б-б)ρ(δ0δ* )


土屋アンナ
LUCY


土屋アンナ(つちや あんな、本名は同じ、1984年3月11日- )は日本の女性ファッションモデル、女優、歌手。東京生まれ。血液型はA型。日本人とロシア系アメリカ人のハーフ。10,20代のファッションリーダーとして知られる。しっかりとした体つきに革ジャンやジーンズ、といった「強い女性像」を体現する。モデル業以外ではバラエティ番組への出演も多い。

1998年、姉(アンジェラ)がモデルをしていたことがきっかけでモデルを始め、雑誌「SEVENTEEN」にてモデルデビューする。同誌の専属モデルとして一年間務めた頃から人気が出始める。
2002年11月、ロックバンド "Spin Aqua" (現在は解散)のボーカルとしてミュージシャンデビューする。
2003年度NHK イタリア語会話出演。
2004年、映画『下妻物語』で深田恭子とW主演に抜擢され、『茶の味』には女子高生役で出演。『下妻物語』公開直後の6月15日に結婚・妊娠を発表し話題に。相手はモデルで同じ事務所のジョシュア(モデル・タレントこずえ鈴の実弟)で、同年11月19日に長男を出産。
2005年8月、ソロでミニアルバム「Taste My Beat」をリリース。
2006年1月25日、シングル「Change your life」でメジャーデビューする。
同年4月5日から放映のアニメ、『NANA』に大崎ナナの歌唱キャストとして参加する。
同年5月27日公開の映画、『嫌われ松子の一生』に女囚役として出演する。
同年7月4日、夫であるジョシュアと離婚する。
同年12月6日発売の布袋寅泰のアルバム、「SOUL SESSIONS」 に "QUEEN OF THE ROCK"(「布袋寅泰 vs 土屋アンナ」名義)で参加する。
同年、パリでファッションショーとライブを行う。日本のガールズファッションが人気を集めている事や日本のカルチャー自体が注目を浴びている事、同年6月から『下妻物語』がフランスで『Kamikaze Girls』として公開された事などから、彼女も「日本のマドンナ」と注目を浴び、人気、知名度ともに上っている。
2007年2月24日公開の映画、『さくらん』に主役の花魁役で出演する。
土屋アンナ(さくらん)
土屋アンナ(MY FATE)
土屋アンナ(SLAP THAT NAUGHTY BODY)
土屋アンナ(rose)
土屋アンナ(NO WAY)
土屋アンナ(FROZEN ROSE)
土屋アンナ(CM)
土屋アンナ(Somebody Help Me)
土屋アンナ(黒い涙)
土屋アンナ(NANA 7to8 soundtrack)
土屋アンナ(NANA Live)
土屋アンナ(ファンクラブ 限定LIVE)
土屋アンナ(strip me?)
土屋アンナ(Sing Or Die)
土屋アンナ(ViENUS BLISS)
土屋アンナ(OFF SHOT)
土屋アンナ(stand by me)
土屋アンナ(Taste my skin)
土屋アンナ(Change your life)













2007⁄05⁄09 13:27 カテゴリー:土屋アンナ comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 CHARAの新曲PVをUPだよ!!Yen town bandのお宝映像もUPしたよ★o(б▽б*)/♪


CHARA
Crazy for you


CHARA(ちゃら、本名:綿引美和→佐藤美和、1968年1月13日 - )は日本のミュージシャン、女優。埼玉県川口市生まれ。
2006年より、ユニバーサルミュージック(ユニバーサルシグマ・A&Mレコード)所属。(デビュー時〜2004年頃までは、エピックレコードジャパン)
小学生の時、先生にチャラチャラしてるところから「チャラ」と命名され、このあだ名が定着する。小学校高学年のころから作曲をはじめ、高校2年からキーボード担当としてバンドに参加。20歳の時に自作の歌を歌うためにボーカルに転身、渋谷CLUB QUATTROなどで歌うようになる。1991年9月シングル『Heaven』でデビュー。1995年浅野忠信と結婚。1995年生まれの娘、1999年生まれの息子がいる。
1990年代には若い女性の間でファッション面でも話題になり、『アンアン』『オリーブ』などの雑誌に登場。『ロッキング・オン・ジャパン』の表紙を女性で初めて飾った。歌手のUAは親しい友人。
特徴的なささやくような歌声(ウィスパーボイス)で知られる。喋り声は低めで、歌声とのギャップが大きく、本人も歌は意識的に作った声で歌っていると述べている。
非常に癖の強い、甘いウィスパーボイスと、力強いソウルフルな歌い方が特徴的。ライブではつぶやくようなしっとりした歌から、激しいシャウトを交えたパワフルなステージパフォーマンスまでを見せる。恋愛や自己愛、母性愛を歌い、女性の美しさと脆さ、快活さと鬱屈、イノセンスと母性といった両極端的な要素を強烈に感じさせる。
現実に空想の入り混じったような特異な感覚に満ちた歌詞でも知られ、オリジナル曲の大半の歌詞を自作している。楽曲も自作がメインであるが、岡村靖幸、浅田祐介、渡辺善太郎、ジェームス・イハらから提供をうけている曲もある。
個性的な作風で他の歌手のイメージになじみにくいためか、楽曲の提供は一部に限られるが、中山美穂に「いたずらにまねしたり…」(1994年発表『Pure White』収録)やりょう、2004年にはMISIAにオリジナル楽曲「Mama Says」を提供している。
音楽的にはロック、ハウス、テクノ、ゴスペル、ブルース、オルタナティブ・ミュージックなどポップ・ミュージックの多様なスタイルを取り込んでおり、時とともに作風を大きく変えているが、美しくメランコリックなメロディーとファンクの影響を受けた独特のビートが全体を貫いている。1997年のアルバム『Junior Sweet』ではソウルミュージックの影響を消化したポップで華やかなメロディーが人気を呼んだ。

CHARA(FANTASY)
CHARA(タイムマシーン)
CHARA&YUKI(愛の火 3つ オレンジ)
CHARA(ミルク)
CHARA(大切をきずくもの)
CHARA(甘い鳥)
CHARA(光と私)
CHARA(世界)
CHARA(勝手にきた)
CHARA&Tei Towa(Let Me Know)
CHARA(やさしい気持ち)
Yen town band(My way)
CHARA(初恋)
CHARA(愛の自爆装置)
CHARA(Tiny Tiny Tiny)
CHARA(あたしなんで抱きしめたいんだろう?)
CHARA(スカート)
CHARA(ボクにうつして)
CHARA(罪深く愛してよ)
CHARA(Swwet)
CHARA(大きな地震がきたって)
CHARA(Heaven)
CHARA(YES-NO)













2007⁄05⁄09 12:08 カテゴリー:CHARA comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 DOUBLEの新曲「SPRING LOVE」や配信限定の「Emotions」や有名アーテイストとのセッション曲やなんかもたくさんUP!!UP!!(ノ_・。(〇=(^□^ lll)


DOUBLE
SPRING LOVE

DOUBLE(ダブル)は、日本の女性歌手TAKAKOによるソロ・プロジェクト。

三姉妹でそのうち次女SACHIKOと三女TAKAKOが音楽の道に進んだ。姉のSACHIKOとデュオとしてデビュー、活動していたが、1999年にSACHIKOが急逝したため、以降は現在の形態となった。所属レコード会社はフォーライフ・ミュージックエンタテインメント、所属プロダクションはアーティマジュ。ユニット名は「D♀uble」、「double」、SACHIKOの死後「Double」などの変名を経て、「DOUBLE」に。日本のR&Bを代表する女性アーティストとして知られている。2006年からはDJ Lilly(ディージェー・リリー)という名でDJとしても活躍している。

メンバー
TAKAKO(1975年3月14日 -)
本名:平澤貴子 (ひらさわたかこ)
出身地:新潟県新潟市
血液型:A型
星座:うお座

SACHIKO(1973年11月21日 - 1999年5月21日)
本名:平澤幸子 (ひらさわさちこ)
出身地:新潟県
血液型:B型
星座:さそり座
死因:くも膜下出血


姉妹デュオの頃は、主にSACHIKOが作詞、TAKAKOが作曲を担当していたが、ソロになった現在は作詞作曲にとどまらず、プロモーションビデオやジャケット製作など全ての過程で本人が関わっている。また、ラジオのパーソナリティやオリジナルファッションブランドのプロデュースなども手がけ、多彩な面が注目されている。ストリート系ファッション雑誌「LUIRE」(ルイール)」には新作の発表の直前直後など事あるごとにインタビューやグラビアページなどに登場する。その「LUIRE」では初の日本人表紙にも抜擢される。雑誌に登場する際の服は自前が多く、セクシーで露出度が高いファッションを基調とし、ネイルやメイクにもこだわりがある。露出度が高い服を着こなす為の体づくりにも力を入れている。

洋楽のR&BやHIP HOPに強い影響を受けているが、一方で自分が日本人である事に強いプライドを持っていることもうかがえる。姉妹デュオ時代は日本の和歌の描写(例えば、女性が泣く様を「袂が日に日に重くなる」とした表現など)を意識していると述べたり、ホームページ上ではお茶を嗜む様子が書かれたり、和服を着た写真を公開するなどしている。

AI、BOY-KEN、Full Of Harmony、Heartsdales、KOHEI JAPAN、Mummy-D、S-WORD、TOKONA-X、ZEEBRAなど、R&BやHIP HOPのアーティストを中心にコラボレーション活動も多い。海外のアーティストではAk'sent、Angela Johnson、De La Soul、Tashaなどと共演した。
全編英語歌詞の曲も歌うが、海外在住経験はない。

    
幼少時から三姉妹で自宅で歌っていた。自宅近くにアメリカ人の家庭があり、英語で交流する機会があった。長姉NORIKOがアメリカに留学。アメリカから持ち帰ってきたR&Bアーティスト(メアリー・J・ブライジやジャネット・ジャクソン等)のミュージック・ビデオを見たことをきっかけにSACHIKOとTAKAKOは本格的にR&Bに目覚める。ソロになってからのTAKAKOがミュージック・ビデオにおける表現にこだわっている原点は、姉が持ち帰ったアーティストのミュージック・ビデオにあると言える。妹のTAKAKOは短大時代から、歌う仕事を少しずつ始めていた。

1995年
フォーライフレコードのオーディションに合格、上京。

1997年
都内の米軍横田基地にあるライブハウスで定期的にライブを開く。日本人アーティストが在日米軍基地でライブパフォーマンスを行うのは27年ぶりという快挙。発売期間限定アルバム「Crystal Planet」には「Crystal」の楽曲の別テイクやリミックスバージョンなどと共に米軍基地ライヴ時期に収録された「Free Your Mind」(90年代活躍したアメリカの女性コーラスグループアン・ヴォーグ(En Vogue)の代表曲)や「Diggin’ On You」(90年代活躍したアメリカの女性R&BグループTLCの代表曲)、「Through The Fire」(70年代ころ活躍した女性シンガーチャカ・カーンの代表曲)が収録されている。

1998年
2月、1stシングル「For me」でメジャーデビューを果たす。その後、5月に2ndシングル「Desire」をリリース。しかし、2人はポップスにR&Bのエッセンスを加えるこの2曲が自分達の求めている音楽ではないと考えていた。そして、ようやく3rdシングル「BED」で自ら作ったメロディーを一部起用されるようになる。

1999年
3月に4thシングル「Shake」をリリース。R&Bを全面に押し出し、今井了介と共同プロデュースした、この曲をきっかけにブレイク。多くのリスナーに「DOUBLE」という名前が知れ渡った。しかし、5月21日に姉のSACHIKOがくも膜下出血で急逝。新潟での凱旋ライブを翌日に控えての悲劇だった。そして、6月にプロローグアルバム「Crystal」をリリース、12月にリミックスアルバムとプローモーションビデオとインタビューが収録されたVHSが付いた「Crystal Planet」をリリースした後、姉妹デュオとしてのDOUBLEの活動を終了させる。しばらくの間は休養に入らざるを得なかった。


2000年、7 月に同時発売のシングル「handle」「U」でソロプロジェクトとして復帰。その後、7thシングル「Angel」をリリース。「Angel」は亡き姉 SACHIKOのことを歌った曲であり、その後のアルバムのクレジット欄にも必ずSACHIKOの名前が含まれている。そして、3枚のシングルを含む 1stアルバム「double」(松尾潔プロデュース)で、ソロプロジェクトではあるが姉が健在だった頃のユニット名を残し、姉の遺志を受け継ぐと言うことを前面に出している。楽曲制作やプロデュースなどはアメリカのアーティストやプロデューサーに依頼、レコーディングもニューヨークで行った。リリース後、全国クラブツアーDOUBLE CLUB TOUR 2001 "with U"をスタートし、韓国・ソウルを含む計18カ所で1万5000人を動員した。
2001年、4月に「double」の前編英語歌詞バージョンに作り直された企画アルバム「double ENG ver.」と「double」のビデオクリップとインタビューが収録されたDVDを同時リリース。ジャケットはそれぞれ1stアルバム「double」の色付きと銅色バージョンになっている。
* 2002年、4月にGTSを中心に様々なリミキサーが参加した1stのリミックスアルバム「double GREATEST REMIX」をリリース。6月に今井了介とDJ WATARAIと共に製作した両A面の8thシングル「Driving All Night/You Got To」をリリース。このシングルはオリコン初登場6位を記録し、ソロのDOUBLEとして再び人気を獲得する作品となった。「Driving All Night」はダンスクラシックバンドA Taste Of Honey(テイスト・オブ・ハニー)の「今夜はブギ・ウギ・ウギ(Boogie Oogie Oogie)」をサンプリングしたもので、70年代に流行ったディスコ風のナンバーになっている。これが幅広い世代に知れ渡り、ヒットに繋がったと思われる。その後、9月にmarkeeプロデュースによる9thシングル「Who's That Girl」をリリース。オリコン初登場9位を記録し、連続トップ10入りをする。そして、10月に2ndアルバム「VISION」をリリース。オリコン初登場3位を記録し、大ヒットする。2ndのリミックスアルバム「Re:VISION」と合わせて50万枚のセールスを記録した。リリース後、初の本格的ツアーDOUBLE First Tour "LIVE VISION"もスタートさせ、大盛況の内に幕を閉じる。
2003年、4 月に過去のプロモーションビデオ(ただし、「For me」と「Desire」のプロモーションビデオは現在のDOUBLEのスタイルにそぐわない為、未収録。)とそのメイキング映像・秘蔵映像・ライブ映像が収録された「THE BEST VISION of DOUBLE」をリリース。その後、7月にNelly(ネリー)の代表曲「Air Force Ones」のトラックメイカーTrackboyzとmarkeeプロデュースによる10thシングル「Rollin'on」をリリース。その後、10月に11thシングル「destiny」をリリース。そして、11月に3rdアルバム「Wonderful」をリリース。オリコン初登場4位を記録する。
2004年、1月に3rdのリミックスアルバム「too Wonderful」をリリース。5月にはm-floのアルバム「ASTROMANTIC」で気鋭のジャズプレイヤーTOKUと競演したジャズナンバー「Life is beautifull」に参加する。それをきっかけに同タイトルのジャズアルバム「Life is beautifull」をリリース。アルバムには大野雄二、Frontpage Orchestra、Souliveがゲスト参加。Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)や安全地帯のカバー曲、姉妹デュオ時代の楽曲をアレンジした曲が収録されている。ジャケットはルパン三世の原作者であるモンキーパンチによる書き下ろしされた。オリコン初登場14位を記録し、ジャズ部門では異例のヒットを記録する。
2005年、昨年のジャズアルバムに続いてレゲトンやサルソウルなどラテンサウンドのブームを背景にしたラテン色の濃い作品の12thシングル「ROCK THE PARTY」(レゲエヒップホップMCの大御所であるBOY-KENと有名サルサバンドのオルケスタ・デ・ラ・ルスがゲスト参加。)をリリースするなど、既存のR&Bスタイルにとどまらないサウンドや独自の表現手法のスタイルを開拓し続けている。
2006年、3 月に13thシングル「Call Me」をリリース。その後、7月に配信限定の14thシングル「Emotions」をリリース。ノンタイアップにもかかわらず、10万ダウンロードのヒットを記録した。リリースと前後してDJ Lillyという名前でDJとしても活動し始める。クラブを中心に様々なイベントに参加している。
2007年、4月に15thシングル「SPRING LOVE」をリリース。ジャケットとプロモーションビデオでは本人のセミヌードを披露し、話題になった。


DOUBLE&m-flo(Make Me Happy)
DOUBLE(FOR ME)
DOUBLE(Rollin' on)
DOUBLE(ドキメント)
DOUBLE&平井堅(LOVE OR LUST)
DOUBLE(Shake)
DOUBLE&S-WORD(One Time)
DOUBLE(BED)
DOUBLE&Heartsdales(Should Have What!?)
DOUBLE(handle)
DOUBLE(You Got To)
DOUBLE(U)
DOUBLE(destiny)
DOUBLE(Crystal Planet DVD)
DOUBLE&BOY-KEN(ROCK THE PARTY)
DOUBLE&DJ KAORI(IN THE WORLD)
DOUBLE(Angel)
DOUBLE(Call Me)
DOUBLE(自宅公開)
DOUBLE(Driving All Night)
DOUBLE&AI(Rollin' on)
DOUBLE(Who's That Girl)













2007⁄05⁄08 11:45 カテゴリー:DOUBLE comment(0) trackback(1)
▲pagetop








 スピッツの新曲「ルキンフォー」のPVや名曲のPVやLIVEの動画をUP(*'(ェ)'*)まじで観る価値有りだよ


スピッツ
ルキンフォー


スピッツ(SPITZ)は、日本のロックバンドである。1987年結成。
『ロビンソン』や『チェリー』『空も飛べるはず』などの多くのヒット曲を持つ。
また、2006年度オリコン好きなアーティストランキングには2位に選ばれ、男女を問わず、子供から大人までの広い年代層に愛されるアーティストに成長した。

メンバー
草野マサムネ(くさの まさむね、本名:草野正宗 1967年12月21日 -)ボーカル、ギター、ソングライター
福岡市出身 福岡県立城南高等学校・武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業
三輪テツヤ(みわ てつや、本名:三輪徹也 1967年5月17日 -)ギター
静岡県藤枝市出身 藤枝明誠高等学校・文化服装学院卒業

田村明浩(たむら あきひろ、本名:同じ 1967年5月31日 -)ベース(リーダー)
静岡県藤枝市出身 静岡県立藤枝東高等学校卒業・東京造形大学中退
崎山龍男(さきやま たつお、本名:同じ 1967年10月25日 -)ドラムス
栃木県佐野市出身 栃木県立佐野高等学校・文化服装学院卒業

バンド名の由来は、ドイツ語で「尖っている」「辛らつな」という意味を持つ「spitz」(最初期はチーターズだった)。これは結成当初、パンク・ロックバンドであったことを物語る。「THE BLUE HEARTSになりたかった」と後に草野は語っている。 それは2007年にライブでリンダリンダをカバーしたことなどからもわかる。
ヒット曲を量産する正当なメジャーバンドとされる事には常に抗う。メンバーはあくまでも時代の流れに対抗した「『邪道』でいたい」と語っており、草野はインタビューで「自分たちの音楽を『王道ポップス』なんて言われると『それは絶対に違う』」と語る。
ライブは基本的に、コンサートホール以上の会場では、単独公演を行なわないことをポリシーとしている。これは、シングル『ロビンソン』でブレイクした後のコンサートツアーで、草野自身が「武道館では、ライブをやる気が無い。」とステージで公表した為。尚、本人はこの発言について、「やりたくないとは言ったけど、今はやりたくないだけであって、今後一切やらない、とは言ってない。」との発言もしているので、機会があればアリーナ以上の会場でも公演を行なうかもしれない

1991年3月25日インディーズアルバム『ヒバリのこころ』から、シングル『ヒバリのこころ』、オリジナルアルバム『スピッツ』でポリドールよりメジャーデビュー。
11月25日2ndオリジナルアルバム『名前をつけてやる』発売。
1992年4月25日初のミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』発売。
11月26日5thシングル『日なたの窓に憧れて』をリリース。
1993年7月25日6thシングル『裸のままで』を発売。この曲からプロデューサーがつく。
9月26日4thオリジナルアルバム『Crispy!』を発売。アルバムでは初のオリコンチャートインを記録した。
10月25日7thシングル『君が思い出になる前に』発売。『Crispy!』からのリカットとしてリリース。シングルでは初のオリコンチャートイン。
1994年4月25日8thシングル『空も飛べるはず』発売。
9月21日5thオリジナルアルバム『空の飛び方』発売。
1995年4月5日11thシングル『ロビンソン』発売。初のオリコンチャートTOP10入りを果たし、160万枚を超えるヒット。最大のヒットシングルとなる。1995年年間9位、歴代でも59位の売上
7月7日12thシングル『涙がキラリ☆』発売。『ロビンソン』同様、大ヒットとなる。
9月20日6thオリジナルアルバム『ハチミツ』発売。アルバムでは初のミリオンヒット。
1996年2月フジテレビのドラマ「白線流し」の主題歌になったことをきっかけに、1994年に発表された『空も飛べるはず』がリバイバルヒット。143万枚の大ヒットとなる。
4月10日13thシングル『チェリー』発売。タイアップなしでミリオンセールスに。1996年年間4位で、売上は161万枚。
9月9日4thシングル『渚』発売。約84万枚の売上。この頃からバンドとして一躍有名になる。
1997年4月23日16thシングル『夢じゃない』発売。1993年発売のアルバム『Crispy!』に収録されているが、テレビ朝日系ドラマ「ふたり」の主題歌となったため、急遽シングルカットとなった
1998年この頃から世間で認識された「ほのぼのとした優しい正統派イメージ」と、本来のロックバンドとしての方向性に矛盾を覚え、メンバーが悩み始める。一時草野は「解散・引退も考えた」と後のインタビューで語っている。
7月7日19thシングル『楓/スピカ』発売。両A面シングル
1999年1月1日セルフ・プロデュースによるEPアルバム『99ep』発売。
3月25日シングルのカップリング曲などを収録したアルバム『花鳥風月』を発売。
12月25日メンバーの意思に反し、当時のレコード会社ポリドールからベストアルバム『Recycle Greatest Hits of SPITZ』を発売。214万枚の大ヒットとなるが、常々「ベストアルバムは解散のときに出すもの」と考えてきたメンバーはこれに強く反発する。
メンバーがマイアミでアルバムを製作中に発売の決定が伝えられたことから、関係者の間ではこの騒動を「マイアミショック」と呼ぶ。
発売にあたって「最低限の仁義」として、アルバムタイトル、曲目の決定にはメンバーが強く関与。また、アルバムのマスタリング作業には、メンバー全員が立ち会った。そして、このアルバムではメディアでのプロモーション活動を一切しなかった。
なお、一連の経緯から、非公式アルバムとされ、公式サイトにこのアルバムの記載はない。
2000年7月26日9thオリジナルアルバム『ハヤブサ』を発売。それまでのイメージを覆し、ロックバンドの色彩を強めたアルバム。
因みに、収録曲『8823』は、椎名林檎がライブでのみカバーした事が有る。
2001年5月16日23rdシングル『遥か』発売。
12月12日25thシングル『さわって・変わって』発売。
このシングル以降、ユニバーサル側が邦楽でのポリドールレーベルの使用を縮小したこともあり、ポリドールからは決別。販売元がユニバーサルJに変更されている。
2002年8月7日26thシングル『ハネモノ』、27thシングル『水色の街』を同時発売。
2003年12月17日完全限定生産DVD BOX『放浪隼純情双六 Live 2000-2003』発売。
2004年1月21日28thシングル『スターゲイザー』発売。オリコンチャートでは、15thシングル『スカーレット』以来、7年ぶりに1位を獲得した。
11月10日29thシングル『正夢』発売。フジテレビ系ドラマ『めだか』、フジフィルム 企業CMのダブルタイアップ。
2005年1月12日11thオリジナルアルバム『スーベニア』発表。
4月20日30thシングル『春の歌/テクテク』発売。アルバム『スーベニア』からのシングルカット。
2006年# 1月1999年発売のベストアルバム『Recycle Greatest Hits of SPITZ』が1月をもって製造中止。
3月25日デビュー15周年記念日に30枚のシングル曲を収録したシングルコレクション『CYCLE HIT 1991-1997 Spitz Complete Single Collection』、『CYCLE HIT 1997-2005 Spitz Complete Single Collection』を同時発売。これによりデビューシングル『ヒバリのこころ』から20thシングル『流れ星』までの、8cmCDとして発売されたシングルが全て生産終了となる。
2006年度オリコン好きなアーティストランキング2位に選ばれる

スピッツ(魔法のコトバ)
スピッツ(スピカ)
スピッツ(メモリーズ)
スピッツ(さわって・変わって)
スピッツ(水色の街)
スピッツ(スパイダー)
スピッツ(スカーレット)
スピッツ(テクテク)
スピッツ(運命の人)
スピッツ(チェリー)
スピッツ(春の歌)
スピッツ(ロビンソン)
スピッツ(空も飛べるはず)
スピッツ(ハネモノ)
スピッツ(愛のことば)
スピッツ(自転車)
スピッツ(スターゲイザー)
スピッツ(さわって・変わって)
スピッツ(正夢)
スピッツ(ナンプラー日和)
スピッツ(ホタル)
スピッツ(ヒバリのこころ)












ジャンル:音楽 テーマ:スピッツを語る。
2007⁄05⁄08 10:56 カテゴリー:スピッツ comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 鈴木 亜美の新曲「CONNETTA」などいっきにPVを7本UPしたよ。秘蔵映像や水着なんかも・・・(笑)


鈴木亜美
それもきっとしあわせ

鈴木亜美(すずき あみ、1982年2月9日 - )は日本の女性歌手・女優である。身長159cm、血液型はA型。神奈川県座間市出身。日出女子高等学校卒業。愛称は「あみ〜ゴ」、「亜美ちゃん」。

1998年『ASAYAN』(テレビ東京)のオーディションで選ばれ、小室哲哉のプロデュースで鈴木あみとして歌手デビュー。女性アイドル歌手として人気を集め、ファーストアルバム『SA』はデビュー以来発売した全シングルに新曲収録という事実上のベストアルバム形態で発売され、約250万枚の大ヒットとなった。

このころは若者のファッションリーダーであることやキャラなどから「浜崎あゆみのライバル」としてよくテレビで紹介され、何度か“ライバル同士での競演”も果たしている。ASAYANでモーニング娘。とオリコン順位を競う企画をした事もありこの時は鈴木の完勝であった。
小室ファミリー晩年期において三曲で一位を獲得する等存在感を示したが、 一部には歌唱力を疑問視する声が根強くあった。シングル「BE TOGETHER」「OUR DAYS」「THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY」やアルバム『SA』『infinity eighteen vol.1』等でオリコン1位を獲得。
2000年、NHK総合テレビのテレビドラマ『ドラマDモード深く潜れ〜八犬伝2001〜』でヒロインとして好演。しかしその時共演のお笑い芸人千原浩史とキスシーンをさせられて、ファンが大変激怒したというエピソードがある。鈴木はキスシーンの時の感想で、「笑わないようにこらえていました」と余裕のコメントをした。
所属事務所とのトラブルが起こり、同年の紅白歌合戦、翌年春までのCM出演などを最後に、いったん事実上の引退状態に追い込まれるに至った。
このトラブルは、当時所属していた事務所の社長が所得隠しで摘発されたことで信頼関係が崩れたとして、両親が新たに個人事務所を立ち上げたことに始まる。但し、これが芸能界の常識に反するため、事実上いわゆる干される状態となった。さらに元の事務所だけでなくレコード会社ソニー・ミュージックエンタテインメントにも契約終了を求めて訴訟を起こし、裁判は長期化した。そして芸能界から引退。
同時期に、デビューシングル「love the island」をオリコンに再びランクインさせようとするファンのインターネット等での呼びかけが活発化し、スポーツ紙等で報道された。オリコンの2001年4月3日付のデイリーチャートでは「love the island」が50位に再登場した。だが結局、オリコンの週間チャートで100位以内に復帰させることはできなかった(ちなみにプラネットでは前週 691位→130位と急上昇したもののやはり100位以内には届かず。この1週間で約1000枚を売り上げた)。その後、芸能界に復帰。
そして全ての係争が決着。本名の鈴木亜美を名乗るとともに2004年4月22日、文藝春秋社から新曲CDと写真集をセットで(『強いキズナ」)発売。レコード会社との契約がないため出版社から書籍扱いで発売する苦肉の策だったが成功し、トーハンの 2004年4月27日付ベストセラーランキング・単行本ノンフィクション部門で1位になった。最終的には15万部以上を売り上げた。8月11日にはシングル「FOREVER LOVE」を自主レーベルAMITYから発売し、秋から学園祭ツアーを全国で展開、『AMI's LOVE FOR YOU-LIVE』。11月17日にはこの夏行われた神宮花火大会のライブ映像を収めた「2004 SUMMER FLY HIGH -ami shower-」を発売し、12月4日から出身地の神奈川県座間市から単独ライブ全4会場5公演を行い、最終公演の12月30日新宿厚生年金会館にて、エイベックス移籍を発表。
2005年1月1日よりエイベックスに移籍。同時に「Hopeful」を限定配信リリース。3月には「Reality」以来のメジャー復帰シングル「Delightful」発売。初登場3位を記録した。5月25日に2ndシングル「Eventful」をリリース。8月17日に3rdシングル「ねがいごと』をリリース。そして10月12日には実に5年半ぶり、エイベックス移籍後初となるオリジナル・アルバム『AROUND THE WORLD』をリリース。約4年のブランクは大きいものの人気は根強く、今後の活躍が注目される。
2006年には、アニメソングの5thシングル「Fantastic」、6thシングル「Alright!」、大塚愛による提供曲の7thシングル「Like a Love?」と1stリミックスアルバム『AMIx WORLD』をリリースした。同年8月、エイベックスが主催する夏のライブイベントa-nation '06に出演。
2007年は3週連続“join”完全限定生産シングルでスタート。「まだ見ぬ明日」をテーマに、2月28日から3月14日まで、シングルを3週連続でリリースした。これらはBuffalo Daughter、THC!!、キリンジと、それぞれ異なったアーティストとのコラボレーション作品である。3月21日には“join”アルバムと銘打った2ndエイベックスオリジナルアルバム『CONNETTA』をリリース。
鈴木 亜美(ねがいごと)
鈴木 亜美(O. K. Funky God)
鈴木 亜美(リトル クリスタル)
鈴木 亜美(Hopeful)
鈴木 亜美(Happy New Millenium)
鈴木 亜美(BE TOGETHER)
鈴木 亜美(alone in my room)
鈴木 亜美(青空とWater)
鈴木 亜美(強いキズナ)
鈴木 亜美(all night long)
鈴木 亜美&ハリセンボン(ドクターフィシュ)
鈴木 亜美(ハレもよう)
鈴木 亜美(Eventful)
鈴木 亜美(Delightful)
鈴木 亜美(Alright!)
鈴木 亜美(ねがいごと)
鈴木 亜美(愛してる きっと)
鈴木 亜美(Fantastic)
鈴木 亜美(水着撮影)
鈴木 亜美(Don't leave me behind)
鈴木 亜美(Reality)
鈴木 亜美(Nothing without you)
鈴木 亜美(# Like a Love?)
鈴木 亜美&THC!!(Peaceお届け!!♡)
鈴木 亜美(Crystal)












ジャンル:音楽 テーマ:女性アーティスト
2007⁄05⁄07 10:00 カテゴリー:鈴木 亜美 comment(0) trackback(1)
▲pagetop








 未発売のSMAP新曲「Mermaid」の動画をUP。かなりお宝映像になってますよc⌒っ*゚∀゚)っφ メモメモ


SMAP
Mermaid


SMAP(スマップ)はジャニーズ事務所所属のアイドルグループ。1988年4月結成。1991年1月に日本武道館で最初のコンサートを行い、同年9月9日、『Can't Stop!! -LOVING-』でCDデビュー。当初は光GENJIの弟分だった。所属レコード会社はビクターエンタテインメント。

メンバー
中居正広(なかい まさひろ、1972年8月18日- A型)
木村拓哉(きむら たくや、1972年11月13日- O型)
稲垣吾郎(いながき ごろう、1973年12月8日- O型)
草剛(くさなぎ つよし、1974年7月9日- A型)
香取慎吾(かとり しんご、1977年1月31日- A型)

1988年4 月グループ結成。結成当時の年齢はそれぞれ中居15歳、木村15歳、稲垣14歳、森14歳、草13歳、香取11歳。結成=CDデビューのグループが多い中、SMAPはCDデビューまでのJr内グループ期間が3年以上に渡り、その間アイドル番組やドラマ、舞台などに出演し、小中高生の間でアイドルとしての人気を確保していった。アイドル雑誌やメンバーのラジオには季節の変わり目になるとSMAPがCDデビューしないことについての疑問や怒りのハガキが届き、メンバーも「いつかはするから待っててね」のような発言を再三していた。
しかしデビュー半年後の1992年4月、当時若者に絶大な人気を誇ったフジテレビの通称「Panasonic枠」にて、『夢で逢えたら』の後番組として開始した『夢がMORIMORI』が、彼らの転機となる。アイドルであるにも関わらず、彼らは本格的なコントを、出演しているドラマのパロディを、「アイドル」という自分たちを笑い飛ばした。当時彼らの発言に度々出てくるキーワードは「俺たちは身近にいる男の子って感じ」。「光GENJIが『ザ・アイドルそのもので王子様』だったのなら、自分たちは『みんなの身近にいる普通の男の子』だ」という発言。また、現在ではどのユニットでも当たり前のこととなっているが、彼らはCDデビュー後も個人活動を推進した。これはデビュー直後のグループとしては当時とても画期的なことだった。この個人活動の中でドラマの出演が多かった木村・稲垣・森を「ドラマ班」、バラエティ出演が多かった中居・香取を「バラエティ班」と呼ぶようになる。
それまではジャニーズの中の1アイドルに過ぎなかったSMAPが1994年頃から老若男女・多くの層への人々に普及しだし、1995年、アルバム『SMAP 007 〜Gold Singer〜』で海外から大物ミュージシャン参加で話題を呼んだ。1996年、森且行が子供のころから憧れていたオートレースの選手になるためにグループを脱退(オートレースの養成学校に入れるのは23歳が上限であるため、22歳のときに脱退)。木村拓哉の人気が絶対的なものとなったのもこの頃。「視聴率は取れるが歌は売れない」と言われていたCDもそれまでの「ジャニーズ的」な曲からスガシカオ・山崎まさよしらから提供されるようになってからは「アーティスト」としての一面が強くなり、多くのミリオンセラーを記録、史上空前の大ヒットを起こした。日本全国規模で人気が急上昇し、ドラマ、バラエティ、CM、コンサート、舞台と多方面で活躍し始めた。そして今やアジア全域での認知度も高まり、知らぬものはいないほどの国民的アイドルとなった。
2003年、フジテレビドラマ『僕の生きる道』の主題歌にアルバム『Drink! Smap!』に収録された「世界に一つだけの花」が起用される。ドラマ人気と相まってこの歌も注目をあび、急遽シングルカットを行い、250万枚を超える大ヒットとなった。『第54回NHK紅白歌合戦』ではグループとしては史上初、ポップス歌手としては25年ぶりに大トリを務めるという快挙をあげた。レコード大賞の候補に選ばれたが、歌の歌詞どおり「ナンバーワンでなくオンリーワンでありたい」との理由から大賞を辞退した。
2005年、2年ぶりにコンサートツアーを開始し、7月30日の札幌ドームを皮切りにスタートさせアーティストの単独公演としては初の国立霞ヶ丘陸上競技場でコンサートを行ったとして話題になった。ツアー開始に合わせ、シングル『BANG!BANG!バカンス!』とアルバム『SAMPLE BANG!』を同時発売し、発売当日でシングル、アルバム共にランキング初登場1位を記録し、3人組以上のグループの同じアーティストの同じ発売日のシングル・アルバムで同時に1位を記録するのは1993年のWANDS以来12年ぶりの快挙であった。以前『SMAP×SMAP』のBISTRO SMAPコーナーに宇宙飛行士の毛利衛・野口聡一が出演してこの時の勝者(稲垣吾郎・香取慎吾ペア)の料理と野口が希望した草剛が作ったカレーと共に、野口聡一がスペースシャトル「ディスカバリー」に乗り込んだ。また、モーニングコールとして野口聡一が「世界に一つだけの花」をセレクトし機内で流れた。また、宇宙ステーションでは、そこにあった電子ピアノで演奏もした。各メディアから「SMAP、宇宙デビュー」などと報道された。2年ぶりに出場した紅白歌合戦では2度目の大トリを努めた。またスキウタアンケートで1位に選ばれた「世界に一つだけの花」を見事歌い上げ、視聴率上げに大きく貢献し、2005年の紅白はSMAP色に染まった。日刊スポーツでは「神様・仏様・SMAP様」と書かれた。紅白の影響が強かったのか「世界に一つだけの花」がオリコンベスト100に返り咲くという現象が起きた。
NHK紅白歌合戦には、1991年より、ほぼ毎年出演し、1997年、1998年、2006年には、メンバーの中居正広が白組司会を務め、2003年と2005年は大トリで歌った。尚、2001年は稲垣吾郎の不祥事により「5人で出演できないため」、また2004年は「新曲を発表していない」との理由で、出場を辞退している。ちなみに紅白でのSMAP出場シーンは毎年視聴率が高い。
5年毎の節目にグループへ災難が降りかかるジンクスがある。1991年のファーストコンサートに香取慎吾が骨折しコンサートに参加出来なかったことに始まり、デビュー5周年の1996年には森且行の脱退、10周年の2001年には前述の稲垣吾郎の不祥事、15周年の2006年には草剛のインフルエンザ、木村拓哉の副鼻腔炎、中居正広のはやり目、肋骨の疲労骨折、肉離れという災難が起こっている。これについて香取は「20周年はツヨポン、突き指」とネタにしている。ちなみに草は「(事件が)ちっちぇ〜」と言っている。
スマスマなどでの普通なら芸人がする『パイ投げ』などの体を張ったコントや、ビストロなどで見せるエンターティナー性からか、『平成のドリフターズ』と呼ばれる事もある。
2007年1月18日に、文化庁が日本PTA全国協議会とともに主催し、公募していた「親子で歌いつごう 日本の歌百選」の中に、「世界に一つだけの花」が選ばれた。「仰げば尊し」「蛍の光」や童謡など、日本でもよく知られている楽曲が多い中で日本のポップスの曲が選ばれたことは、異例中の異例と言える。


SMAP&木村カエラ(タイムマシーンにおねがい)
SMAP(セロリ)
SMAP(ありがとう)
SMAP(世界にひとつだけの花)
SMAP(オレンジ)
SMAP(Dear WOMAN)
SMAP(夜空ノムコウ)
SMAP(友だちへ)
SMAP(幸せの果てに)
SMAP(木村拓哉 PV)
SMAP(友だちへ)
SMAP(どんないいこと)
SMAP(freebird)
SMAP(らいおんハート)
SMAP(君は君だよ)
SMAP(正義の味方はあてにならない)
SMAP(スマイル戦士音レンジャー)
SMAP(Shiosai)












ジャンル:音楽 テーマ:音楽
2007⁄05⁄06 11:01 カテゴリー:SMAP comment(0) trackback(1)
▲pagetop








 4月18日発売の湘南乃風&INFINITY16&MINMI&MOOMINの夢のコラボ曲のPVをUPだよ(ёзё)このメンバーはやばすぎ!!


湘南乃風&INFINITY16&MINMI&MOOMIN
Dream Lover

湘南乃風(しょうなんのかぜ)は男性4人組のレゲエ(俗に言うジャパレゲ=JAPANESE+REGGAE)グループ。トイズファクトリー所属。
4人全員がDee Jay(MC)で、自らレーベル「134Recordings」を設立。2004年、2005年と横浜レゲエ祭、HIGHEST MOUNTAINに出演。元々、HAN-KUNとRED RICEが湘南で活動。のちにSHOCK EYE、若旦那と出会い、湘南乃風を結成。

メンバー
RED RICE (レッドライス (本名:森匠) 神奈川県藤沢市生まれ 1976年1月9日-)湘南乃風のリーダー
若旦那 (わかだんな (本名:新羅慎二) 東京都世田谷区生まれ 1976年4月6日-) A型
阪神タイガースの久保田智之の登場曲『札束(Hanshin Kubota Dub)』を歌う。これは阪神ファンの若旦那が自費でレコーディングし、一方的に久保田投手に送った曲。(公式サイトの本人によるブログ2006年9月17日分参照)
SHOCK EYE (ショックアイ (本名:植村家浩) 神奈川県鎌倉市生まれ 1976年12月14日-)
HAN-KUN (ハンクン (本名:半澤卓朗) 神奈川県鎌倉市深沢生まれ 1979年1月27日-)B型

湘南を拠点に活動するレゲエ/ダンスホール系グループ、湘南乃風。爽やかさ〜ポップ性と、熱烈さ〜ハードコア性のそれぞれよい側面を巧みに折衷させた、独自のディージェイを聴かせる才能の塊グループである。その周囲に振り撒かれるカリスマティック・オーラは、今後さらにビッグになるに違いない、大器たる片鱗を如実に窺わせる。
WOWOWのMUSIC@DXで、NANJAMANの「行きたきゃ行け」という曲の歌詞に影響を受けたと語った。(2007年3月27日のPunch Line総集編より
湘南乃風&山嵐(足跡)
湘南乃風(純恋歌)
湘南乃風(からす)
湘南乃風&MOOMIN(応援歌)
湘南乃風(覇王樹)
湘南乃風&MINMI(EVERYDAY)
湘南乃風(風)
湘南乃風(ROCK CITY 2)












ジャンル:音楽 テーマ:HIPHOP,R&B,REGGAE
2007⁄05⁄06 09:05 カテゴリー:湘南乃風 comment(0) trackback(1)
▲pagetop








 椎名 林檎と斎藤ネコの期間限定のPVをたくさんUPしましたよ!!椎名林檎とイチローのセッションもヤバイですω(゚∀゚ )≡


椎名林檎&斎藤ネコ&椎名純平
この世の限り


椎名林檎(しいな りんご 1978年11月25日- )は、日本のロック歌手、シンガーソングライター。 埼玉県浦和市(現さいたま市)に生まれ、父親の転勤により静岡県清水市(現静岡市清水区)を経て福岡県福岡市で育った。福岡市立百道中学校卒業。福岡県立筑前高等学校中退。 有限会社黒猫堂、東芝EMI所属。別名義、シーナ・リンゴ。血液型はO型。
2004年にソロ活動を停止しバンド東京事変として活動を開始する。 愛飲するタバコはハイライトであったが2004年後半に禁煙。兄の椎名純平も歌手。

当時に彼女が気に入って聴いていたと思われるミュージシャンがしばしば実名で登場する。例として、シングル『ギブス』の詞には「カート」「コートニー」という名前(カート・コバーンとその妻のコートニー・ラブ)が出てくるが、これは以前の恋人の趣味で聴いていたもので、自分の趣味ではないと言う。また、アルバム『無罪モラトリアム』収録の『丸の内サディスティック』には、BLANKEY JET CITYの浅井健一の愛称である「ベンジー」という名前が登場する。浅井健一はその後、『ギブス』と同時発売のシングル『罪と罰』にエレキギターで演奏参加している。さらに、『シドと白昼夢』(シングル『真夜中は純潔』収録)『ここでキスして。』(アルバム『無罪モラトリアム』収録)の「シド」はセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスを指している。彼女の楽曲にちりばめられたこのような仕掛けについて語るのがファンの一種の楽しみともなっている。
2003年に発表した「りんごのうた」は、今までの作風と一味違い、NHKのみんなのうたの曲に使用されるなど、子供にも親しまれるように、歌詞カードも全て平仮名で書かれている。
彼女の楽曲や演奏のスタイルは、特徴的であるが故に逆にカテゴライズの的となることも多い。例として、彼女の歌唱法にアラニス・モリセットの影響を指摘したり、歌詞のスタイルが中島みゆきや戸川純に類似しているという声もしばしば聞かれる。また、メロディを長9度で終止させる癖がある。
音楽プロデューサーはスピッツや平井堅、Do As Infinityなどのプロデュースも手がけるベーシストの亀田誠治を始め、森俊之、斎藤ネコといった面々である。
カヴァー曲も多い。2002年5月発売のアルバム『唄ひ手冥利〜其ノ壱〜』だけでなく、シングルのカップリングでも披露。2000年1月発売のシングル『ギブス』では、ザ・ピーナッツの『東京の女(ひと)』を、同『罪と罰』では『君ノ瞳ニ恋シテル』を収録。更に、1999年に発売された松任谷由実のカヴァーを収録したオムニバスアルバム『Dear Yuming〜荒井由実/松任谷由実カバー・コレクション〜』では、荒井由実時代の曲『翳りゆく部屋』をカヴァーし、収録されている。因みに同曲は2002年に発売されたトリビュートアルバム『Queen's Fellows: yuming 30th anniversary cover album』にも収録されている。
2000年7月30日に開催されたインターネットライブ「椎名林檎-稀実演キューシュー座禅エクスタシー」の瞬間同時アクセス数が17,300ストリームの当時の日本記録を樹立した。
漫画家の吉田戦車に強い影響を受けており「椎名林檎(しいなりんご)」という芸名は、「吉田戦車(よしだせんしゃ)」の語感を参考にしたという。これとは別に、子供時代血行不良で頬が林檎のように赤かったからという説もある。また、鼻の下のほくろ(現在は整形手術にて除去)は子供の頃、沢口靖子に憧れてペンで書いていたら本物になったという話もあるが、本人の虚言癖と判断するファンも多い。
2007年に公開される映画、「さくらん」の音楽監督に就任し、劇中での全ての音楽を作曲する事が決定。それに伴い、3年ぶりとなる椎名林檎名義でのニューシングル・ニューアルバムの発売が決定された。
広末涼子、ともさかりえ等に音楽提供している。その際に「シーナ・リンゴ」と表記している。
またプライベートでの交友幅も広く、特に2005年には三谷幸喜・平井堅・aiko・Crystal Kay・一青窈 ・山口智充・清水ミチコ・SOFFetらという、テレビでも滅多に見られない総勢18人の豪華な組み合わせでカラオケに行った事も、三谷幸喜のコラムをはじめとするあらゆる所で語られていて有名である。

椎名 林檎&斎藤ネコ(さくら)
椎名 林檎&斎藤ネコ(花魁)
椎名 林檎&斎藤ネコ(ハツコイ娼女)
椎名 林檎&イチロー(インタビュー)
椎名 林檎(幸福論)
椎名 林檎(歌舞伎町の女王)
椎名 林檎(迷彩)
椎名 林檎(りんごのうた)
椎名 林檎(闇に降る雨)
椎名 林檎(真夜中は純潔)
椎名 林檎&SOIL&"PIMP"SESSIONS(カリソメ乙女)
椎名 林檎(虚言症)
椎名 林檎(真夜中は純潔)
椎名 林檎(錯乱)
椎名 林檎(ポルターガイスト)
椎名 林檎(ここでキスして)
椎名 林檎&斎藤ネコ(浴室)
椎名 林檎(ニュースステーション)
椎名 林檎&向井秀徳(KIMOCHI)
椎名 林檎&向井秀徳(夢のあと)
椎名 林檎(パパイヤマンゴー)
椎名 林檎(林檎新聞)
椎名 林檎&斎藤ネコ(夢のあと)
椎名 林檎&長谷川きよし(灰色の瞳)
椎名 林檎(ギブス)
椎名 林檎(性的ヒーリング 当選者限定PV 1)
椎名 林檎(性的ヒーリング 当選者限定PV 2)
椎名 林檎(ギャンブル)
椎名 林檎(レア インタビュー)
椎名 林檎&斎藤ネコ(意識)
椎名 林檎&斎藤ネコ(ポルターガイスト)
椎名 林檎(罪と罰)
椎名 林檎(映日紅の花)
椎名 林檎(茎)
椎名 林檎(意識)












ジャンル:音楽 テーマ:女性アーティスト
2007⁄05⁄05 11:03 カテゴリー:椎名 林檎 comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 5月16日発売のZEEBRAとFoxxi misQの話題のコラボPVが発売前にUPだよ(*´Д`)


ZEEBRA&Foxxi misQ
Luxury ride


ZEEBRA(ジブラ、本名:横井 英之(よこい ひでゆき)、母親が一時期再婚していた期間の本名は「坂倉 英之」。1971年4月2日 - )は日本のヒップホップMCである。東京都出身。慶應義塾幼稚舎〜慶應義塾高等学校中退。文化学院中退(ムック本「Street Dreams」参照。尚、当時同級生には中嶋朋子も在籍した)。口癖は「間違いない!」
レコード会社はポニーキャニオン/UBG Records。事務所はSOLOMON I&I PRODUCTION。
ヒップホップユニット「キングギドラ」の一員。ホテルニュージャパン事件で有名な横井英樹の外孫にあたる。SPHERE of INFLUENCEは異父弟にあたる。20歳のころに結婚をし、2人の息子を授かるもすぐに離婚。2人の子供はZEEBRAが引き取ることになった。現在の妻は元モデルの中林美和。現在の妻との間にも2人の娘がおり、4人の子供の父でもある。
ジャパニーズ・ヒップホップ界のパイオニアの一人でもある。

1993年K DUB SHINE、DJ OASISとキングギドラを結成。
1995年 - キングギドラとしてインディーズアルバム「空からの力」を発表。
1996年キングギドラとしての活動を停止。
1997年「FUTURE SHOCK」レーベルよりシングル「真っ昼間」をリリースし、ソロメジャーデビュー。
1998年1stソロアルバム「THE RHYME ANIMAL」をリリース。
1999年Dragon Ashのシングル「Grateful Days」にゲストボーカルとして参加した。また女性歌手Sugar Soulとのコラボレートシングル「Siva 1999」「Zeus 2000」を同年にリリース。
2000年ノンフィクションを歌詞に多く盛り込んだと言われる、アルバム「BASED ON A TRUE STORY」をリリース。オリコン3位獲得。
2001年北野武監督の映画「BROTHER」にインスパイアされ、シングル「Neva Enuff feat. AKTION」を発表。AKTIONとは同映画にも出演した真木蔵人。また、11月にはFM FESTIVAL'01にてRIZEとのコラボレーションを実現。その年の12月には日本武道館でのライブでの競演も果たしている。
2002年キングギドラを再始動。しかし、2枚同時発売のシングル両方で、楽曲の歌詞の内容が問題になり回収された。ソロベストアルバム「THE FIRST STRUGGLE」を発表。また今井了介と共にプロデュースユニットFIRSTKLASを結成し、安室奈美恵のプロジェクトであるSUITE CHICなどの曲に参加。
2003年シングル「Perfect Queen」のPVでは、当時は雑誌CanCamモデルだった中林美和と共演、この撮影後に再婚。また3rdアルバム「TOKYO'S FINEST」をリリース。
2005年フジテレビの深夜ドラマ「15歳のブルース」(5月19日より、毎週木曜1:28〜1:58(全4回))で家庭教師役を務める。また、6月には同ドラマのテーマ曲である「Wildin'」も収録された「Street Dreams」がリリース。球団のヤクルトスワローズおよび明治神宮野球場の空間プロデュースに関わるなど、精力的に活動を続ける。9月には、先の「Street Dreams」の続編的ナンバーとなるカップリング曲「Slow Down」を収録した「Oh Yeah」をリリース。10月からは、巡回クラブツアー『THE LIVE ANIMAL '05 BACK TO THE STREET TOUR』を展開。またNTTドコモの携帯端末、Music Porter II のプロモーションに参加。店頭POPではラップで商品PRをした。
2006年2月15日、1年5ヵ月ぶりの4thアルバム「The New Beginning」をリリース。安室奈美恵やAIなどの国内メジャー歌手や、スコット・ストーチ(Scott Storch)、スウィズ・ビーツ(Swizz Beatz)、ジャズ・オー(Jaz-O)など海外の大物プロデューサーも参加。
8月TBSテレビとSKY PerfecTV!で放送された世界バスケのイメージソング「Top Of The World」を制作。この曲は当初リリースする予定はなかったが大きな反響がありレコード会社に問い合わせが殺到。そのため急遽、インターネット配信という形にすることになった。(着うた、着うたフル、iTunes Music Store(現iTunes Store)で2006年8月23日から配信開始された)


「ヒップホップはアングラ(underground)でなくてはいけない」という常識は、特に日本のヒップホップ界にとって足かせになっていると考えているようで、メディアへの露出を嫌がらない珍しいMCである。テレビのバラエティ番組などへの出演も多く、これまでに「笑っていいとも!」、「タモリ倶楽部」、「チューボーですよ!」、「踊る!さんま御殿!!」、「ディスカバ!99」などお笑い番組にも積極的に出演する。

また、2006年10月5日〜2007年3月29日の間、毎週木曜日(25時35分〜26時5分)に日本テレビで放送されたヒップホップ番組「シュガーヒルストリート」の司会も勤めた。

ZEEBRA(BIG BIG MONEY)
ZEEBRA&AKTION(Neva Enuff)
ZEEBRA(真っ昼間)
ZEEBRA&安室奈美恵(After Party)
ZEEBRA(Stop Playin' A Wall)
ZEEBRA(NIKE CM)
ZEEBRA(城南ハスラー)
ZEEBRA&OZROSAURUS(Disrespect 4 U)
ZEEBRA(Streeet Dreams)
ZEEBRA(Stop Playin' A Wall)
ZEEBRA&LISA&Dj Kaori&AI&HI-D(上を向いて歩こう)
ZEEBRA(ZEUS 2000)
ZEEBRA&AI&安室奈美恵(Do What You Gotta Do)
ZEEBRA(Street Dreams)
ZEEBRA&JINO(Go for da Gold)
ZEEBRA(タモリ倶楽部 LIVE)
ZEEBRA&長渕剛(しあわせになろうよ 04)
ZEEBRA(THE RHYME ANIMAL)
ZEEBRA(PARTEE CHECKA)
ZEEBRA&ACO&Dragon Ash(Grateful days)













2007⁄05⁄05 09:30 カテゴリー:ZEEBRA comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 柴咲コウの新曲「ひと恋めぐり」や他にもPVをいっぱいUPしたよ。今では観れない秘蔵動画なども必見ですよ(=゚ω゚)ノ(=゚ω゚)ノ


柴咲コウ
ひと恋めぐり

柴咲コウ(しばさき こう、1981年8月5日 - )は、女優、歌手。東京都豊島区出身。スターダストプロモーション所属。血液型はB型、身長は約160cm。最終学歴は東京都立板橋高等学校中退。芸名は、かわかみじゅんこの漫画『GOLDEN DELICIOUS APPLE SHERBET』(短編集『少女ケニヤ』収録)の登場人物・柴崎紅が由来。

デビューは1998年に放送された番宣番組『倶楽部6』(TBS)。1999年放送の日本リーバ(現ユニリーバ・ジャパン)の「ポンズ・ダブルホワイト」のCMでブレイク。以後は映画『バトル・ロワイアル』や『GO』での演技が評価され、数々のドラマや映画に出演した。
『GO』での演技が認められ、数々の賞を受賞し女優としての地位を確立した。
主な出演映画代表作は、『黄泉がえり』(03年)、『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05年)、『日本沈没』『県庁の星』(06年)など。柴咲が出演したほとんどの映画は大ヒットを記録している。
2007年には、妻夫木聡とダブル主演を努める『どろろ』、堤真一・阿部サダヲとトリプル主演を務める『舞妓Haaaan!!!』の公開が控えている。
おもな主演ドラマ代表作は『GOOD LUCK!!』(03年)、『オレンジデイズ』(04年)、『Dr.コトー診療所』(03年,04年,06年)など。いずれも高視聴率を記録した。特に『GOOD LUCK!!』は最高視聴率37%を記録し、柴咲の影響で整備士を志願する女性が急増した。
歌手として、ユニバーサルミュージックから2002年にシングル「Trust my feelings」でデビュー。2003年、RUI(ルイ)の名義でリリースした映画『黄泉がえり』の主題歌「月のしずく」が100万枚を超える大ヒットとなる。オリコンチャートでは最高位1位、年間チャートでも3位を記録した。翌2004年には、ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』の主題歌「かたち あるもの」(最高位2位)が60万枚を超える大ヒットを記録し、年間チャートでもトップ10入りした。ほとんどの作品は柴咲自身が作詞を担当しており、2006年のドラマ『白夜行』の主題歌「影」(最高位2位)や『タイヨウのうた』主題歌「invitation」など、本人による歌詞は原作の内容をよく理解して作られており、作詞に関する評価も得ている。しかし本人は女優活動を重視しており、歌手として歌番組に出る事は滅多にない。
髪型はかつてロングヘアーだったが、現在はショートカット。

柴咲コウ(at home)
柴咲コウ(invitation)
柴咲コウ(Sweet Mom)
柴咲コウ(CM)
柴咲コウ(いくつかの空)
柴咲コウ(影)
柴咲コウ(Trust my feelings)
柴咲コウ(眠レナイ夜ハ眠ラナイ夢ヲ)
柴咲コウ(かたち あるもの)
柴咲コウ(月のしずく)
柴咲コウ(actuality)
柴咲コウ(Orange Days NG集)













2007⁄05⁄04 14:10 カテゴリー:柴咲コウ comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 サザンオールスターズの幻の曲「汚れた台所」や名曲「いとしのエリー」「結婚宣言LIVE」など今では観れない映像ばかりをUPだよ


サザンオールスターズ
汚れた台所


サザンオールスターズ(Southern All Stars, 中国訳:南天群星、台湾訳:南方之星、韓国訳:서던올스타즈または사잔올스타즈)は、日本の音楽バンド。略称は「サザン」。「SAS」と略記されることもある。リーダーは桑田佳祐。所属事務所はアミューズ、レコード会社はビクターエンタテインメント(ビクターTAISHITAレーベル)。これまでのアルバム、シングルの情報についてはサザンオールスターズのディスコグラフィを参照。

メンバー
桑田佳祐/リードボーカル、ギター(リーダー)
関口和之/ベース、コーラス、ボーカル
松田弘/ドラム、コーラス、ボーカル
原由子/キーボード、ボーカル、コーラス
野沢秀行/パーカッション、コーラス
大森隆志/リードギター、ボーカル(2001年8月7日付けで独立)

1975年頃、青山学院大学で活動が始まり、現在までも引き継がれている音楽サークル“Better Days”(ベター・デイズ)のメンバーだった桑田を中心に母体となるバンドが結成される。初期の頃は“温泉あんまももひきバンド”、“ピストン桑田とシリンダーズ”、“ピストン桑田と脳卒中”、“桑田佳祐とヒッチコック劇場”など、奇抜なバンド名でコンテスト毎に何度もバンド名とメンバーを変更していたが、最終的には原由子参入の際、桑田の友人が風呂の中で安易に思いついたという、サザン・ロックとファニア・オールスターズを組み合わせた“サザンオールスターズ”を使用する。この「オールスターズ」には、これ以上バンド名を考えるのが面倒で、また、メンバーチェンジがあっても良いように流動的に入れ替わる全てのメンバーを総称してのバンド名という意味もあった。

当初は“ピストン桑田&サザンオールスターズ”、続いて“桑田佳祐&サザンオールスターズ”と名乗っていたが、後にサザンオールスターズに落ち着く。その後、幾度かのメンバーチェンジがあったのち、1977年にアマチュアバンドのコンクールである「ヤマハEastWest'77」に出場し桑田がベストボーカル賞を獲得。この頃には、青学の学生ではなかった松田弘・野沢秀行も加わりメンバーはデビュー時の6人に固まった。この編成は、サザン・ロックの雄・リトル・フィートの、リードギター・サイドギター・ベース・ドラムス・キーボード・パーカッションの6人編成と同じという所以もある。

1978年6月25日にシングル『勝手にシンドバッド』でビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)からデビューを果たし、それまであった歌謡曲やロックなどのジャンルに全く当てはまらない、衝撃的な印象を残す。年内には同曲のスマッシュヒットで一躍スターダムにのし上がった。だが、当初は桑田の「目立ちたがり屋の芸人です」発言、ジョギングシャツ+ジョギングパンツスタイル、「何を言っているか聞き取れない」と言われた歌などからコミックバンドと評される向きもあった。

だが、翌年の3月25日に発売した3rdシングル『いとしのエリー』の発表後から「本格派の音楽バンド」という評価を受け始めるようになり、その人気を確実なものにした。しかし、その中での多忙な生活は桑田を苦しめ、一時期ノイローゼになるほどに疲れきっていたと語っている。そのような中“FIVE ROCK SHOW”と銘打って「テレビなどに一切出ず、楽曲製作やレコーディングに集中する」と発表することになる。

音楽製作に専念〜『KAMAKURA』後サザン活動休止へ

1980年、“FIVE ROCK SHOW”計画がスタート。「5ヶ月の中で毎月1枚ずつシングルを出す」と発表したが、そのシングルはメディアへの露出が大幅に減ったのも影響したのか、どれもスマッシュヒットには至らなかった。この間1981年発売のシングル『Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)』は現在でもサザンの全シングル中ワーストの売り上げを記録している。

4thアルバム『ステレオ太陽族』は八木正生を共同作業に迎え、ジャズセンス溢れる完成度の高いアルバムとなっており、桑田は「やっと自分の納得できるアルバムが出来た」と語っている。

アルバムは毎回チャート1位を獲得するもののシングルが低迷期の中にあった状態が続いたが、1982年、1月21日に発売したシングル『チャコの海岸物語』が大ヒットした。桑田は当時人気絶頂であったアイドル・田原俊彦の声色を意識して歌うなど、起死回生を賭けた開き直りの歌謡曲だった。この直後、桑田と原は結婚を発表し、TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』などでも祝福され、結婚式にはファンを呼ぶなど公私共に祝事が続いた。

その後アルバム『綺麗』の頃は少し売り上げを落としたが、翌年のアルバム『人気者で行こう』は代表曲『ミス・ブランニュー・デイ』のシングルヒットもあり好調な売り上げを記録、そして1985年にはサザンとしては初の2枚組オリジナルアルバム『KAMAKURA』を発売した。長期にレコーディングを重ねたこの濃密なアルバムは、サザン史上最高のアルバムとして評されている。同製作時期に原が産休に入り、サザンとしての活動も1つの頂点に達してしまったため、一旦活動を休止。桑田はKUWATA BANDとしての活動の後個人ソロを開始し、他のメンバーもそれぞれソロ活動に入った。

活動再開〜小林とのコラボ、黄金期へ

1988年6月25日、デビュー10周年の日にシングル『みんなのうた』を発売し、サザンとしての活動を本格的に再開した。ここで初めてサザンに小林武史がアレンジ面、プロデュース業に加わり、桑田が「あのシングルは開き直り」と言うほど、それまでのサザンには無い斬新な仕上がりで、その後のサザンライブの定番曲となった。この前年に桑田はソロアルバムで小林と共同プロデュースを行い、非常に完成度の高いアルバムを作っていた。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と自著で語っており、その流れでサザン本体にも合流したものとされる。

翌年にはシングル『さよならベイビー』でデビュー11年目にして初のオリコンシングルウィークリーチャート1位を獲得した。桑田は映画『稲村ジェーン』の監督も手掛け、その主題歌『真夏の果実』は売り上げ的に大ヒットにはならなかったが、現在では夏をイメージさせるJ-POPの定番曲となるほどの人気を博している。

この頃から楽曲製作に関しては「桑田(+アレンジャー)+スタジオ・ミュージシャン+プログラマー+マニピュレーター」という図式が成り立つようになり、現在では「桑田の密室芸」、「ワンマン製作」などとも言われている。特に小林武史とタッグを組んでいた時などはその傾向が色濃く見られたが、パートナー関係が離れてからも製作はそのようなメンバーで進むようになった。小林はまた桑田とともに原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』のプロデュースも担当し、桑田はソロライブで「彼が嫌だと言っても、これからのサザン関係巻き込んでいきます!」と小林を絶賛していた。

1991年には関口が病気療養で休養に入るが、1992年、7月21日に『シュラバ★ラ★バンバ/君だけに夢をもう一度』『涙のキッス』を2枚同時発売し、サザン初、そしてオリコンとしても初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。『涙のキッス』はTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌に起用され大ヒット、1ヶ月近くオリコン首位をキープするなどサザン初のシングルでのミリオンセラー突破した。

1993年には『エロティカ・セブン』がフジテレビ系ドラマ「悪魔のKISS」の主題歌に起用され再びミリオンを超える大ヒットを記録。そんな中、1994年には桑田がソロ活動を再開、サザンの活動は約1年間休止となった。

セルフアレンジ時代へ

小林武史がアルバム『世に万葉の花が咲くなり』、シングル『クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)』を最後にサザン(桑田ソロ含め)との共同作業から離れる。このはっきりした理由はファンに明らかになっていないが、桑田は「(小林は)危ないヤツと分かった」という風に雑誌で語っており、蜜月の終わりを示唆している。一方小林はその後「(いわゆる王道を求める)サザンファンの気持ちを捉える難しさを感じ、その代わりをMr.Childrenに委ねた部分がある」「でもまた、いつか一緒にやれたら…と思う」と語っている。その後この小林との縁で桑田佳祐&Mr.Children名義でのチャリティー活動や、小林とMr.Childrenの桜井和寿らが中心となって活動するap bank fesへの出演など、作品面以外での交友が続いている。

これ以降、プロデュース名義はサザンのみとなり、一部のミュージシャンが共同製作にあたるものの、小林ほど深く指揮をとっているわけではない。自身のラジオ番組『桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド〜やさしい夜遊び〜』で桑田は「アレンジってやってみるととても楽しい」とその後よく語っているが、一方で専門的知識を必要とするアレンジ作業に苦しむコメントも窺え、また、リリースにも多くの時間がかかるようになった。

1995年、関口が長期の休養から復帰し、5月22日にシングル『マンピーのG★SPOT』で活動を再開。直後に発売されたシングル『あなただけを 〜Summer Heartbreak〜』はフジテレビの「月9」枠ドラマ「いつかまた逢える」の主題歌として起用され、ミリオンを超えるセールスを記録した。その後も1996年に『愛の言霊 〜Spiritual Message』がミリオン突破するなどし、アルバム『Young Love』は過去最高のアルバム売り上げを上げた。

しかし、1997年あたりからサザンのイメージである「夏」「爽やか」などの売れ線系路線の曲とは程遠い、ハードロックなどを意識した曲を多くリリースするようになり、ライトファン離れが急激に加速していった。1998年にはベストアルバムリリースブームの中『海のYeah!!』を発売、大ヒットを記録するが、直後発売したオリジナルアルバム『さくら』は暗い作風や、上記のハードロックを意識した作品であることもあり、過去3作連続で記録したミリオンを僅かに下回り、1999年には初のドームツアーを行い人気の健在振りを示したものの、『イエローマン 〜星の王子様〜』がノンタイアップとはいえ、累計で10万枚を(オリジナル盤)下回った。

『TSUNAMI』記録的ヒット、大森の脱退

1999年9月26日、27日、ファンクラブシークレットライブ「'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町」を行う。桑田曰く「ファンの空気に触れて刺激を受けた」とのことで、その当時レコーディングしていた曲(桑田ソロ『可愛いミーナ』の元曲など)も方向性がガラッと変わり明るくなったという。翌2000年、1月26日にシングル『TSUNAMI』を発売。この曲は前述のイベントから生まれた曲であり、「売れるものを作った」などと桑田自身も語っている。このヒット以降、サザンはある程度保守的な方向性へとシフトチェンジしていく。

当時大人気だったTBS系バラエティ番組『ウンナンのホントコ!』のコーナー『未来日記III』のテーマソングとなり、名曲「栞のテーマ」を思わせるかのような切ないラブバラードのこの曲は、日本音楽史上記録的な大ヒットとなる。再発盤のシングルも含め293万枚を売り上げ、オリコン歴代シングル売り上げランキングで3位に、シングルCDとしては現在1位に付けている。かねて何度も逃したレコード大賞も獲得した。この曲を機にサザンはセールス低迷から脱け出し、続く『HOTEL PACIFIC』もヒットを記録、夏には桑田の地元である神奈川県茅ヶ崎市の地元住民の署名運動の結果、2日間のスタジアムライブを行った。

一方、そのライブが終了した直後大森が休養を発表し、翌2001年には正式に独立を発表しメンバーから脱退した。その前後から桑田らは再びソロ活動を開始。シングル「波乗りジョニー」「白い恋人達」がそれぞれミリオンを超える大ヒットを飛ばした。

現在

2003年6月25日にデビューから25周年を迎え、それを記念してデビューシングルの復刻盤CD「勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス」をリリース。同作は1週間で約22万枚を売り上げオリコンウィークリーチャートで1位を記録。発売から25年かけての1位は異例だった。また同日にFMラジオ局のいくつかが24時間サザン特集を実施するなど、今なお幅広い人気を見せ付けている。

7月23日、シングル『涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜』をリリースし活動再開。直後には大規模な野外・スタジアムツアーを行い、復活をアピールした。ただ、ファンの間からは「復活以降のシングルは売れ線ばかり」「『さくら』の頃のようなロックな曲が聞きたい」などとの声も上がっている。2005年には『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナルアルバム『キラーストリート』を発売し、『Young Love』以来のミリオンを記録する。

デビューシングル「勝手にシンドバッド」から28年以上経った現在でも、老若男女問わず高い人気を集める、まさに日本の”モンスターバンド”である。デビュー当時こそ”コミックバンド”として扱われていたが、ヒットアルバムの『KAMAKURA』は、日本音楽界の歌謡曲からポップミュージックへの転換を決定付け、『世に万葉の花が咲くなり』などに見られる日本語への拘り、また、軽い楽曲の中にも様々な形で社会風刺を織り込むなど、バンドの方向性も大きく成長した。一部には「似たような売れ線の曲が多い」との批判もあるが、イントロを聞いただけでサザンの楽曲であることが分かるような、そんな予定調和的な部分を多くのファンが望んでいることも事実である。実際にヒット曲のいくつかは、そうしたファンのニーズに沿って作製されたものであるが、しかしアルバム収録の曲を例にとれば分かるように、そうした”売れる曲”ばかりがサザンの音楽ではない。数多くの洋楽のエッセンスやパロディを取り入れたコアな音楽もまた、ファンをも引き付ける要因となっている。

サザンオールスターズ(THE夢人島fes)
サザンオールスターズ(結婚宣言LIVE)
サザンオールスターズ(みんなの歌)
サザンオールスターズ(TSUNAMI)
サザンオールスターズ&Mr.Children(奇跡の地球)
サザンオールスターズ(Ya Ya あの時代を忘れない)
サザンオールスターズ(HOTEL PACIFIC)
サザンオールスターズ(DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜)
サザンオールスターズ(波乗りジョニー)
サザンオールスターズ(夢見るアニバーサリー)
サザンオールスターズ(真夏の果実)
サザンオールスターズ(雨上がりにもう一度 キスをして)
サザンオールスターズ(胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ)
サザンオールスターズ(サザン誕生物語)
サザンオールスターズ(Highway Star)
サザンオールスターズ(死体置場でロマンスを)
サザンオールスターズ(涙のキッス)
サザンオールスターズ(いとしのエリー)
サザンオールスターズ(I Need To Be In Love)
サザンオールスターズ(希望の轍)
サザンオールスターズ(太陽に吠える!!)
サザンオールスターズ(神の島遥か国)
サザンオールスターズ(横山ノックのブルース)
サザンオールスターズ(愛と死のロンド)
サザンオールスターズ&さんま(アミダばばあの唄)
サザンオールスターズ(愛の言霊 〜Spiritual Message)
サザンオールスターズ(チャコの海岸語)
サザンオールスターズ(リボンの騎士)
サザンオールスターズ(慕情)
サザンオールスターズ(夢に消えたジュリア)
サザンオールスターズ(さくら)
サザンオールスターズ(彩 〜Aja〜)
サザンオールスターズ(この青い空、みどり〜BLUE IN GREEN〜)
サザンオールスターズ(BLUE HEAVEN)












ジャンル:音楽 テーマ:歌謡曲
2007⁄05⁄04 14:09 カテゴリー:サザンオールスターズ comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 更新履歴 SEAMOの大人気のMONKEY MAJIKのコラボ曲やJUDY AND MARYの1000人限定アコースティクLIVEやSHAKALABBITSのインディーズ時代のPVやをUPだよ( ゚д゚ )( ゚д゚ )


SHAKALABBITSのインディーズのPVやJUDY AND MARYの幻の1000人限定アコースティクLIVEやSEAMOの大人気のMONKEY MAJIKのコラボ曲などをUPしたよ( 。A。)
YOUTUBE オリコン 新曲 インディーズ 音楽 LIVE PV
更新履歴






2007⁄05⁄03 19:51 カテゴリー:未分類 comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 SEAMOの大人気のMONKEY MAJIKとの曲やインディーズ時代の音源なんかもUPしたよ( ゜д゜ )さすが音楽三昧


SEAMO&AZU
心の声

SEAMO(シーモ、1975年10月31日 - )は、愛知県一宮市出身のラッパー。シンガーソングライターでもある。名城大学付属高等学校卒後、愛知学院大学文学部宗教学科卒。血液型はA型。本名及び作詞・作曲のクレジットは 高田 尚輝(たかだ なおき)。ただし"Naoki Takada"とローマ字表記することが多い。

以前はシーモネーター(下ネタ)という名前で、ライブでは海パンに天狗のお面を着けるというスタイルでギャグも交えたラッパーとして活動していたが、「シーモネーターとしての活動はやりつくした」ということでレコード会社移籍を期に「SEAMO」に改名した。愛称は「塾長」。
汗かきな体質なのかステージ上でのパフォーマンス中、非常によく汗をかく。空手をやっていたこともあり、細いわりに筋肉が引き締まっており「良い身体」をしている。
同じ名古屋出身のHOMEMADE家族、Nobodyknows+ やギャングスタ系の"E"qualや故TOKONA-Xとも親交があった。
シーモネーターとして一度NHKのポップジャムに出演時はジャンプスーツを使用した。
どうしても自分を大きく見せがちなラップにおいて、背伸びしない、等身大の作詞を心がけている。作詞の際には普通のJ-POP曲の歌詞も参考にしているそうだ。「浪漫飛行」や「関白宣言」などJ-POPのリメイクを何度かリリースしているのもその表れと言えるだろう。
原点のストロングスタイルはダンス甲子園に出演していた山本太郎が影響している。
2005年3月、シングル「関白」でソロデビュー。2006年、シングル「マタアイマショウ」「ルパン・ザ・ファイヤー」のヒットで一躍注目を集め、同年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たした。
セカンドアルバム『Live Goes On』が2006年10月2日付オリコン週間アルバムチャートで初登場1位を獲得した。これは日本のHIPHOPソロアーティストとしては、KREVAの愛・自分博に次ぎ、2番目の快挙である。
愛知出身で、現在も名古屋在住ということもあり、プロ野球中日ドラゴンズの大ファン。最も好きだったのは今中慎二投手。サッカーも地元である名古屋グランパスエイトを応援。
愛知県を中心に展開する弁当チェーンベントマンのCMソングを歌っているのは、当時はシーモネーターとして活動していたSEAMOである。

2006年の第57回NHK紅白歌合戦では大御所歌手が歌詞を忘れる等のアクシデントが続発し、初出場のSEAMOも背景の映像が機械の故障で出ないというトラブルに見舞われた。それでも無事に歌い切り、「クラブで何度もアクシデントに遭っているので大丈夫」とコメントした。
『クレヨンしんちゃん』(2007年1月26日放送分)エンディングでしんちゃんから「SEAMOさんは昔、シーモネーターと言う名前で活動したことが」と言われてSEAMOが(仕事に支障をきたしたらヤバイと思ったのか)焦ったことがあった。

SEAMO&BENNIE K(A love story)
SEAMO(ルパン・ザ・ファイヤー)
SEAMO&MONKEY MAJIK(卒業、そして未来へ。)
SEAMO&長州小力(怒りの鉄槌)
SEAMO(Golden Time)
SEAMO&天上智喜(The Club)
SEAMO(インディーズ音源)
SEAMO&DJ TAKI-SHIT(半熟ラバーズ)
SEAMO(マタアイマショウ)
SEAMO(Golden Time)
SEAMO&中林芽依(Fallin' in or Not)













2007⁄05⁄03 17:17 カテゴリー:未分類 comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 JUDY AND MARYの1000人限定アコースティクLIVEやYUKIのパンチラ動画をUPしたよ( 。A。)


JUDY AND MARY
We Love Music


JUDY AND MARY(ジュディ アンド マリー) は、日本のロックバンドである。略称は「ジュディマリ」あるいは「JAM」。

1992年にYUKI、恩田快人を中心に結成される。同年11月にサポートメンバーだった五十嵐公太が正式に加入、1993年2月16日にTAKUYAが加わり、9月22日にシングル『POWER OF LOVE』でメジャーデビュー。1995年にシングル『Over Drive』でブレイク、1996年にシングル『そばかす』がオリコンチャート初登場1位を獲得。その後にも『クラシック』や『散歩道』などヒット曲を出し続け、1998年には「紅白歌合戦」に出場。その後活動を一時休止し、2000年に活動再開。2001年3月8日の東京ドームライブを最後に解散した

メンバー
YUKI(ゆき、1972年2月17日 -、北海道出身)ヴォーカル
TAKUYA(たくや、1971年9月9日 -、京都府出身)ギター
恩田快人(おんだ よしひと、1963年12月13日 -、兵庫県出身)ベース リーダー
五十嵐公太(いがらし こうた、1963年1月17日 -、神奈川県出身)ドラム
名前の由来は、JUDYはポジティブな女の子の象徴的な名前であり、MARYはマリファナを連想させるネガティブな名前である。ポジティブとネガティブが織り混ざった音楽を作りたい、ということで恩田快人の発案により命名された。

恩田はメジャーデビューしていたヘヴィメタルバンドジャクスンジョーカーのメンバーであり、映画の撮影で訪れた北海道で「おっかけ」の友人と一緒にエキストラとして参加したYUKIと知り合った。別ユニット結成に動いた際にヴォーカルとして売り込みをしてきたのがYUKIだというのが結成エピソードとして有力な説(異説としては、恩田とYUKIは知り合った際に「恋仲」 (?)になり、東京に出て歌手に成りたい旨を伝え、それに恩田が答えてバンド結成したというもの。さらに派生した異説としては、北海道で燻りたくなかった YUKIは歌手になるための足がかりとして計画的に恩田に接近したというもの。どちらも「POWER OF LOVE」の歌詞を拡大解釈したものである。ただし、JAM BOOKには「バンドをやりたいけどどうすればいいのかわからない」と映画スタッフたちとの飲み会の場でYUKIが恩田に相談したというのが結成のエピソードとして語られている。尚、同書によれば「POWER OF LOVE」はJUDY AND MARY結成と同時期にYUKIが付き合っていた彼氏との遠距離恋愛をモチーフにしている歌詞なのだそうである。)

JUDY AND MARY結成後は、ジャクスンジョーカーのファンの女性から、YUKIがステージで罵声を浴び、ブーイングで散々な目に遭う。これは、当時は断然恩田の方が有名であり、YUKIは無名に等しかったからである。それでもYUKIは歌い続け、その姿勢が後の成功につながった。YUKI本人が自著でデビュー当時の壮絶さを述べている。

ほとんどの曲の作詞はYUKIが行い、TAKUYAと共作したものはTack & Yukky(またはTack and Yukky)というクレジットになっている。初期の曲は恩田快人が作曲しているものが多いが、中期以降はほとんどの曲がTAKUYA作曲になる。メインソングライターの変更には「YUKIをメインに据える」というレコード会社の意向が強く働いたと言われ、中期から解散までの間、恩田脱退の噂がついてまわった。皮肉な事に、当人たちの気持ちをさし置いて、YUKIと恩田の立場が逆転してしまったと言える。

ポップな曲調で知られるJUDY AND MARYだが、恩田のコンセプトの参考が「DAISY CHAINSAW」であったことも影響して初期はパンクバンドと言っても過言ではなかった。デビュー当時のシングルこそライトな曲調だったが、アルバム第1作『J・A・M』にはパンキッシュな曲が多く含まれている。因みに服装についても、YUKIとTAKUYAがミニスカートやチェックの服などライトなもので、五十嵐が若干ワイルドなものだったのに対し、恩田はタイトな革服に濃い化粧、逆立てた髪など明らかにパンク路線だった。

また、同アルバムの帯のコピーは「夢を追いかける全ての人へ」であったが、後にYUKIが「COKE HYPER RADIO」(TOKYO FM系)で、当時を振り返り、「全然意味がわかりませんでした」と述べていたので、おそらくレコード会社が勝手につけたものと思われる。

メジャーからのアルバム第2作『ORANGE SUNSHINE』からは、プロデューサー佐久間正英の参加で一気にポップ色が強くなり、それとともにバンドの人気も急上昇した。JUDY AND MARYがブレイクするきっかけとなったアルバムである。このアルバムでは、ボーカルYUKIの「ポップさ」「かわいらしさ」を素直に前面へ出しており、それがそのままバンドのイメージとなった。

3作目『MIRACLE DIVING』では、バンド全体が、単なる「ポップさ」「かわいらしさ」だけでなく、「微妙に変」な雰囲気を持ち始めた。この頃は、小室哲哉サウンドの全盛期だったが、JUDY AND MARYはその独特の雰囲気により、音楽界において確固とした位置を占めることとなる。すなわちバンドの成熟期に入ったと言える。

4作目『THE POWER SOURCE』、5作目『POP LIFE』は、いずれもバンドの最高傑作とする声が多い。4作目のレコーディング時に「LOVER SOUL」も一緒に録音されたが、収録するとアルバムの完成度が高くなりすぎるという理由で見送られた。両アルバムでバンドの持つ「ポップさ」「かわいらしさ」「不思議さ」が最高潮に達した。特に「不思議さ」はビデオクリップに顕著に見られ、『くじら12号』(爆発コント)、『ミュージックファイター』(曲自体が意味不明)、『手紙を書くよ』(宇宙遊牧民風)などがその代表である。このころから作品制作の主導権をTAKUYAが握り始め、ファンクを彷彿とさせる独特のテクニカルなギターサウンドが多く導入された。また、他のメンバーにも演奏面での細かい指示を出すようにもなった。

約1年間の休止の後、活動再開。しかし再開するにあたりバンド内の話し合いで恩田が脱退を申し出た(当初、目指していたポップな楽曲が陰を潜め TAKUYA中心となっていったためという説と、恩田と五十嵐の間で違いが大きかったとする説がある)。後の話し合いにより解散が決定。解散発表と同時にリリースされたラストアルバム『WARP』は全体的にどことなく、名残惜しい、さみしい雰囲気が漂う作品となっている。しかしサウンドアンサンブルにはワタナベノブタカとの共同プロデュースによりエレクトロニカ色までもが持ち込まれ、TAKUYAの飽くなき音楽追求のひとつの完成形として体裁をなしている。

また、インディーズ時代は地元・函館で開催されていたロック・フェスティバルに出演しており、そこにはGLAYも出演していた。

J-POPシーンに残した功績は多く、その後の女性ボーカルのロックバンド(特にボーカル以外のパートを男性が固めるバンド)の比較対照として引き合いに出される事が多く、JUDY AND MARYのコピーバンドから始まったHysteric Blueにも大きく影響を与えている。


JUDY AND MARY(解散TV)
JUDY AND MARY(ラッキープール)
JUDY AND MARY(手紙をかくよ)
JUDY AND MARY(PEACE)JUDY AND MARY(POWER OF LOVE)
JUDY AND MARY(ドキドキ)
JUDY AND MARY(LOVER SOUL)
JUDY AND MARY(散歩道)
JUDY AND MARY(DAYDREAM)
JUDY AND MARY(小さな頃から)
JUDY AND MARY(Yuki ものまね十番勝負)
JUDY AND MARY(そばかす)
JUDY AND MARY(お宝CM)
JUDY AND MARY(おっぱいが!!)
JUDY AND MARY(YUKI 自宅公開)
JUDY AND MARY(散歩道)
JUDY AND MARY(Blue Tears)
JUDY AND MARY(Brand New Wave Upper Ground)
JUDY AND MARY(もっと)
JUDY AND MARY(イロトリドリノセカイ)
JUDY AND MARY(クリスマス)
JUDY AND MARY(くじら12号)
JUDY AND MARY(Over Drive)
JUDY AND MARY(メドレー)
JUDY AND MARY(KYOTO)
JUDY AND MARY(ひとつだけ)
JUDY AND MARY(YUKI パンチラ)
JUDY AND MARY(1000人限定アコースティクLIVE)













2007⁄05⁄03 15:02 カテゴリー:JUDY AND MARY comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 THE ALFEEの新曲やLIVEなんかもUPしたよ。懐かしいあの曲なんかもあるよ(#・∀・)


THE ALFEE
Innocent Love


THE ALFEE(ジ・アルフィー)とは、1974年8月25日にデビューした、日本で最も長い歴史をもつJ-POPバンドの一つ。東芝EMIのレーベル、EXPRESSとVirgin RECORDS双方に同時に所属。

代表作は『メリーアン』(1983)、『星空のディスタンス』(1984)、『Promised Love』(1992)、『Love Never Dies』(1996)、『希望の鐘が鳴る朝に』(1999)など。

メンバー
桜井賢(さくらい まさる・1955年1月20日 - 、A型)(埼玉県秩父市出身)
ボーカル、ベース

坂崎幸之助(さかざき こうのすけ・1954年4月15日 - 、O型)(東京都墨田区出身)本名・坂崎幸二(さかざき こうじ)。
ボーカル、アコースティックギター(6弦・12弦・ガット・マンドリン)、パーカッション、ブルースハープ

高見沢俊彦(たかみざわ としひこ・1954年4月17日 -、A型 )(埼玉県蕨市出身)
ボーカル、エレキギター、アコースティックギター、ピアノ、リーダー、作詞、作曲、楽曲プロデュース

高校在学生を中心としたコンフィデンスというグループだったが、メンバーの入れ替わりを経て、コンフィデンスにいた桜井賢(Vo, B)と、都立墨田川高校に在学していた坂崎幸之助(Vo, A.G., Perc)、明治学院高校にいたものの、別のバンドにいた高見沢俊彦(Vo, E.G.)、コンフィデンスのオリジナルメンバーだった三宅康夫(G)の四人でデビュー。諸事情あり1975年頃三宅が脱退し三人になり、現在に至る。(アルフィーの歴史を描いた漫画「ドリーム・ジェネレーション(作・吉岡つとむ)」によれば、三宅(作中では「南」)の父が倒れたため、唯一長男だった彼は、家業の電気屋を継ぐため、脱退した、となっている。しかし、その記述が出てくるのはこの漫画のみで、他では一切語られていない。三宅の写真は「THE ALFEE BOOK vol.1」などで見ることができるが、現在の消息は不明)

元来はフォークグループだったが、ロックサウンドも取り入れるようにもなって以降、ヘヴィメタル、プログレッシブ・ロック、あるいはダンスミュージックなどのジャンルを取り入れて融合している点が特徴である。そのため、音楽番組等でも他と一線を画している場合が多い。アルバム「夢幻の果てに」のインタビューで、高見沢は「レゲエだけはどうしても理解できない」と話している。逆に言えば、ほとんどの音楽に造詣があるということらしい。

1986年、シングル「SWEAT&TEARS」のジャケットから、グループ名をALFEEからTHE ALFEEに変更。 以降ライブ活動時にはサポートメンバーの山石敬之(Key)、元サポートメンバーの長谷川浩二(Ds)や菊地圭介(Key) なども含めて「バンド」THE ALFEEとする時期があり、CD・レコードのジャケット・歌詞カードにもTHE ALFEEとして5人が長い間列挙されていたが、彼ら以外のミュージシャンもサポートに付くこともあり最近ではあくまでサポートミュージシャンであると区別されている。しかし現在に至るまでTHE ALFEEの生み出すサウンドには欠かせない存在であり、彼らのファンも多い。

1994年、20周年を記念してポニーキャニオン内に独自レーベル(BE∀T BOYSも含む)「Zeit」が立ち上がる。また、同年9月より毎月20日を「THE ALFEEの日」と銘打ち、数ヶ月間シングルまたはアルバムを定期的にリリースした。

1997年に東芝EMI(EXPRESS,Virgin)に移籍し、活動を続けている。


明治学院高校在学中に、桜井の美声に目をつけた同級生が誘ってフォークグループ「コンフィデンス」を結成、サイモンとガーファンクル等のコピーをしていた。同時期高見沢は、別のクラスでロックバンドを結成し、レッド・ツェッペリン等をコピー。
ある日コンフィデンスが出場したアマチュアフォークコンテストに、それまで別グループで活動していた坂崎が一員として飛び入り参加して出場。小室等に注目され、デビューのきっかけをつかむ。
それぞれが明治学院大学に進学し、メンバーの脱退でロックバンドを解散した高見沢を坂崎が引き入れ、四人になった。 当初は全員が作詞・作曲していたが、以降はほぼ全て高見沢が作っている。

コンフィデンスの名はデビューに際して、オリコン株式会社の音楽業界誌「オリジナル・コンフィデンス」と混同の恐れがあるとして、所属事務所の田辺エージェンシーがなかば強引に「ALFIE(アルフィー)」と決めたらしい。因みにこのバンド名については、諸説があるがいずれも真偽不明となっているため、はっきりとした由来及び語源は未だわかっていない。 デビューのためにリーダーがいた方がいいだろうと、しゃべりの達者な坂崎が自然にリーダーに選ばれたようだ。
ビクター音楽産業からアイドルフォークバンドとして、ヒットメーカー 松本隆・筒美京平が作詞作曲(余談だが、作詞:松本隆,作曲:筒美京平のコンビによって制作された楽曲はこれが最初である)した「夏しぐれ」でデビューする。デビュー記念日は1974年8月25日で、銀座の山野楽器でイベントを行っている。しかし、このデビュー曲はヒットには至らず、続く「青春の記憶」も同様であった。
さらに1975年、三宅康夫が脱退、3人になった直後の3枚目のシングル「府中捕物控」(作詞・作曲:山本正之)が発売日直前に会社の意向で一方的に発売中止となった(同曲は三億円強奪事件のパロディソングであり、「犯罪者を礼賛している」「社の良識に合わない」などの意見が上層部から出された為と言われている)のを機にビクターとの契約は打ち切ってしまう。
その後、レコード会社の所属のない浪人時代(彼らはこの頃のことを下積み時代ではなく、上積み時代と強調する)が続き、事務所(田辺エージェンシー)の先輩である研ナオコ・由紀さおり・かまやつひろし等のバックバンドを務めながらライブハウスで地道に活動を続けた。 1979年にALFEE(アルフィー)と改称してキャニオンレコードから「ラブレター」(作詞・作曲:高見沢俊彦)で再デビューする。


フォークグループとして、高見沢も長年アルフィーではエレキギターを弾かない事にこだわっていたらしいが、1980年に出された3rdアルバム「讃集詩」のプロデューサー井上鑑の提案で、「落日の風」の間奏でエレキのソロを入れる。またその頃、雑誌のインタビューで「アルフィーの曲は室内向けだよね」と言われたことに高見沢が猛反発。翌年の夏に野外イベントを開催することになる。また1982年リリースの5thアルバム「doubt,」から大幅にロックアレンジの曲を増やし、さらにリーダーを高見沢俊彦に交替し、ロックグループとしての色彩を強くする。
1982年夏に、所沢航空記念公園で行われた初の野外イベント「ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT」では、サポートメンバーを加え、完全なバンドスタイルで演奏を行った。
この年の暮れに発売されたシングル別れの律動以降、再デビュー時から用いていた「Alfee」のロゴマークを変更し「ΛLF'EE」 とした。 この年よりキーボーディストの山石敬之(86年頃に菊地圭介に交代。その後95年に再び山石と交代している)を、さらに83年12月の渋谷公会堂公演からドラマーの長谷川浩二(長谷川加入以前は富岡=グリコ=義弘が担当)をサポートメンバーとして加え、ハードロックやへヴィメタル調の曲が作られ演奏されている。
1983年に発売された7thアルバム「ALFEE'S LAW」では、完全なロックアルバムとしてのスタイルを確立。1984年の8thアルバム「THE RENAISSANCE」は、プログレ色の強いロックアルバムとして、ファン以外からの評価も高かった。

特徴的なのは、ロック編成初期の頃から、ドラムはツーバスセットとなっている点である。当時、ハードロックバンドの一部では、このスタイルが多かったものの、少し前までフォークグループと言われていたバンドにしては、急激な変化であった。 1984年のツアーから正式にサポートに入った長谷川浩二は、当時高校を出たばかりだったが、いきなりこのセットでのデビューとなった。
また、高見沢が、マーシャルのギターアンプにこだわり、1983年初の日本武道館公演で、セット背面にマーシャルのスピーカーを積み上げた。その為、日本中のマーシャルがかき集められ、当時マーシャルを愛用していたLOUDNESSの高崎晃が文句を言った、というエピソードがある。(高見沢俊彦と高崎は、以前より交流があったらしい)
これは、フォークグループとしてのイメージを、急激にロックバンドへ転換する為の高見沢俊彦の戦略であろう。実際、これ以降著名なグループとなったため、一般にはこのグループがフォークバンドであったことを知らない向きも多い(坂崎がアコースティック・ギターをメイン楽器とし続けている点にかつての名残はあるが)。


口コミで人気が広まっていき、あとはヒット曲を待つだけであった1983年、8月24日にヒット曲がない状態で初の日本武道館公演を成功させる。それに並行する形でデビュー10年目にして、実はアルバムのために作った「メリーアン」がブレイクした(「メリーアン」のリリースは武道館公演より前の6月21日。武道館公演当時はチャートの30位ほどで、チャート上位に入ったのは同年の9月のことであった)。これに続いて翌年には「星空のディスタンス」、「STAR SHIP-光を求めて-」などのヒット曲が続き、ヒットチャート番組の常連ともなった。この頃の歌の多くが今でもカラオケでリリースされていることなど、当時のインパクトの強かった事が伺える。 以来、今でも年間70本近いコンサートを行うなど、現在活躍するJ-POPミュージシャン達の先駆者的存在である。

1983年発売の「メリーアン」以降のシングルCD(レコード)が39作連続でオリコンのランキングトップ10に入り続けている。だが、ミリオンヒットは無く、売上最高は1992年発売のPromised Loveの65万枚である。オリコンのチャートは比較的短期間に集中してリリースする事で新記録を樹立することも多いが、延べ23年間に渡っての39作連続トップ10入りと言う記録はそうそう簡単に創られるものではないだけに価値があると言えるだろう。

毎年1月末に行われる「大阪国際女子マラソン」のテーマソングを1987年の第6回大会における『夢よ急げ』以来担当し続けている。大阪城公園内の入り組んだ場所を走るコース設定のために当時の中継技術では映像、音声が途切れる可能性があり、それが放送に影響しないようにと考え出されたテーマ曲の挿入ではあったが、今では女子マラソンといえばアルフィーの曲というイメージで定着した。

THE ALFEE(SWEAT&TEARS)
THE ALFEE(学生街の喫茶店)
THE ALFEE(太陽は沈まない)
THE ALFEE(Dear My Life)
THE ALFEE(LOVE NEVER DIES)
THE ALFEE(UNCROWNED KINGDOM)
THE ALFEE(星空のディスタンス)
THE ALFEE(宛先のない手紙)
THE ALFEE(希望の橋)
THE ALFEE(ジェネレーション・ダイナマイト)
THE ALFEE(大きな古時計)
THE ALFEE(恋人達のペイヴメント)
TEH ALFEE(挽歌)
THE ALFEE(うつろな瞳)
THE ALFEE(聖夜 二人のSilent Night)
THE ALFEE(Boy)
THE ALFEE(タンポポの詩)
THE ALFEE(Funky Punky)
THE ALFEE(Love Never Dies)
THE ALFEE(さよならの鐘)
THE ALFEE(エピキュリアン)
THE ALFEE(Masquerade Love)
THE ALFEE(Justice For True Love)
THE ALFEE(シンデレラは眠れない)
THE ALFEE(100億のLove Story)
THE ALFEE(孤独の影)
THE ALFEE(希望の鐘が鳴る朝に)
THE ALFEE(メリーアン)
THE ALFEE(Juliet)













2007⁄05⁄03 12:21 カテゴリー:THE ALFEE comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 SHAKALABBITSのインディーズ時代のPVやLIVEをUPしたよ( ゚д゚ )( ゚д゚ )


SHAKALABBITS
シルク


SHAKALABBITS(シャカラビッツ)は、スカコア、メロディックハードコアを演奏するロックバンドである。インディーズ時代はLimited Records所属。現在はevil design/XTRA LARGE RECORDS(販売はポニーキャニオン)に所属している。

メンバー
UKI(ウキ、1980年2月14日 -)ヴォーカル・ハーモニカ・鍵盤ハーモニカ
TAKE-C(タケスィ、1979年5月26日 -)エレキギター・アコースティックギター・ウクレレ
KING(キング、1979年9月26日 -)ベース
MAH(マー、1980年1月7日 -)ドラム・アコースティックギター

99年5月、東京の音楽専門学校(ミューズ音楽院)で、同期の仲間(UKI、MASSY、KING、MAH)が集まり、SHAKALABBITSの前身バンド[住-SHOCK]結成。(当時KINGがスキンヘッド≒住職であり、MAHがG-SHOCKを着けていたというだけで命名)しかし、同年7月、住職よりもお釈迦様の方が立派だろうという事と、UKI の好きな動物「うさぎ」=「RABBITS」に、英語で「SKA Love it」の意味を込め、SHAKALABBITS誕生。02年5月22日、アルバム「EXPLORING OF THE SPACE」内の「ROLLIE」をシングルカットしてリリース。同時にメジャーデビューとなった。間もなくギターのMASSYが脱退し、その後TAKE -Cが加入し、現在に至る。 インディーズ時代の175Rとは繋がりが深く、02年7月24日にSplit Maxi Single「STAND BY YOU!!」にて共作を実現。ツアーも行なった。

これまで【Maxi Single】12枚 【Split Maxi Single】1枚 【Full Album】4枚 【Live Best Album】1枚 【DVD】3枚を発表すると共に、LIVEも精力的に行う。SHAKALABBITSのLIVEチケットは各地完売と入手困難なプレミアムチケットとしても有名。2004年には初のホールでのLIVE代々木第2体育館でカウントダウンライブを行い、2005年8月には日本武道館で単独ライブを行い成功を収めた。
UKI(Vo.)はZipper、CUTiE、SEDA、NYLON JAPAN等ファッション誌の表紙等でも活躍中。

SHAKALABBITS(僕の声)
SHAKALABBITS(ROLLIE)
SHAKALABBITS(人魚のうた)
SHAKALABBITS(MONSTER TREE)
SHAKALABBITS(THAT THING YOU DO!)
SHAKALABBITS(80)
SHAKALABBITS(d.d)
SHAKALABBITS&175R(STAND BY YOU!!)
SHAKALABBITS(Ladybug)
SHAKALABBITS(手ノヒラ宝石)
SHAKALABBITS(Pivot)
SHAKALABBITS(ダズリングスープ)
SHAKALABBITS(モノローグ)
SHAKALABBITS(虹が語る夢)
SHAKALABBITS(マッシュルームキャットナンバープレート)
SHAKALABBITS(満点の星を探そうとも空は見ない)<
SHAKALABBITS(EVEN IF I'M ALONE)
SHAKALABBITS(GO GIRL)
SHAKALABBITS(COMEBACK ANYTIME)
SHAKALABBITS(カレイドスコープ)
SHAKALABBITS(headーscissors)
SHAKALABBITS(SHAKALABBITS(FLAPPER)
SHAKALABBITS(オレンジライオン)
SHAKALABBITS(G☆S☆G)
SHAKALABBITS(出囃子)
SHAKALABBITS(少年と白い犬)
SHAKALABBITS(ROLLIE)
SHAKALABBITS(SO EXCITED!)
SHAKALABBITS(88 ROYAL SKA)












ジャンル:音楽 テーマ:女性アーティスト
2007⁄05⁄03 11:32 カテゴリー:SHAKALABBITS comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 シドの秘蔵DVDがついに音楽三昧だけに5本UPだよヽ( ´▽`)ノ後、ファンクラブ限定の映像も見どころだよ


シド
smile


シドは日本のインディーズ・ヴィジュアル系ロックバンド。所属レコード会社はデンジャークルー。

メンバー

マオ/Vocal 10月23日生まれ・AB型・173cm・54kg・福岡県出身

しんぢ/Guitar 2月8日生まれ・O型・178cm・57kg・埼玉県出身

明希(あき)/Bass 2月3日生まれ・B型・175cm・55kg・東京都出身

ゆうや/Drum 12月9日生まれ・A型・180cm・60kg・千葉県出身

なお、マオとゆうやは2002年までバンドSHULAで活躍していた経歴がある。
しんぢ・ゆうやは初期はサポートして参加、のちに正式メンバーとなった。(2004年1月14日正式加入)

マオ(Vo.)、ゆうや(Dr.)、しんぢ(Gt.)、明希(Ba.)からなるヴィジュアル系バンド。2003年にマオを中心にゆうやと結成し、後にしんぢ(Gt.)、明希(Ba.)が加わる。結成わずか一年で渋谷CLUB QUATTOROでワンマンライブを行い完売。2004年に発売された1stフルアルバム『憐哀-レンアイ-』は10.000枚限定盤で予約で完売する人気ぶりをみせた。その後のツアーでも軒並みソールドアウトが続き、一気にヴィジュアル系バンドの中心的存在となっていった。2005年11月には2ndアルバム『星の都』をリリースし、哀愁漂う切な系サウンドから、疾走感溢れるポップな楽曲と展開を広げ、新たな進化を遂げている。

最近(2006年〜)はメイクを落として活動していることから、通常のロックバンドとしての見方をする人も多い。
哀愁漂う切ないバラードから、疾走感あふれるポップスまで幅広い音楽性を持つ。
シングル「chapter 1」、ついで「御手紙」がそれぞれオリコンシングルチャートトップ10に入ったことで、現在人気急上昇中のバンドである。

作詞はすべてマオが担当、作曲はしんぢと明希が主に行っている。

シド(ミルク)
シド(アリバイ)
シド(紫陽花)
シド(白いブラウス 可愛い人)
シド(Expect Rush)
シド(Chapter 1)
シド(汚れた指)
シド(Sweet?)
シド(妄想日記)
シド(微熱)
シド(インタビュー)
シド(ホソイコエ)
シド(秘蔵DVD1)
シド(秘蔵DVD2)
シド(秘蔵DVD3)
シド(秘蔵DVD4)
シド(秘蔵DVD5)
シド(秘蔵DVD6)
シド(秘蔵DVD7)
シド(吉開学17歳 無職)
シド(FanClub DVD MAGAZINE)
シド(御手纸)
シド(刺と猫)













2007⁄05⁄03 10:27 カテゴリー:シド comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 更新履歴  倖田來未のダウンロード限定の新曲をUP& ケツメイシの新曲「トレイン」をUP&コブクロと奥田民生のセッションの音源などUPしまくりだよ


コブクロ 奥田民生 ケツメイシ 倖田來未のLIVE音源やPVや秘蔵映像などを更新しましたよ。
YouTube オリコン 新曲 PV
更新履歴





2007⁄05⁄02 20:02 カテゴリー:未分類 comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 倖田來未のダウンロード限定の新曲をUPしたよ(ёзё)CDすら発売してないので観るべし


倖田來未
BUT


倖田來未(こうだ くみ、本名・神田 來未子(こうだ くみこ)、1982年11月13日 - )は、日本の女性歌手。京都府出身。エイベックス・rhythmzone所属。身長154cm。
歌手のmisono(元・day after tomorrow)は実妹である


ドリカムに憧れ芸能界入りを志す。1999年、京都精華女子高等学校在学中にテレビ東京で放送していたオーディション番組「ASAYAN」内「モーニング娘。追加メンバーオーディション」において、後藤真希とその座を争ったが、先行して行われていたエイベックス(エイベックスエンタテインメント)主催のオーディション「avex dream 2000」にて準グランプリを受賞。これにより同社でレッスンやトレーニングを無償受講できる権利、同社との専属契約権を獲得した。

2000年12月6日、エイベックスのrhythm zoneレーベルよりデビュー決定。先にアメリカで「KODA」名義でデビューし、1枚目のシングル『TAKE BACK』は全米で先駆けて発売。全米ビルボードダンスポップセールスチャートで初登場19位、最高18位を記録。更に2枚目のシングル『Trust Your Love』がビルボード総合セールスチャート初登場39位にランクイン、日本人のチャートインとしては7人目で、またダンスポップセールスチャートでは初登場1位を獲得した。

華々しく「凱旋デビュー」を飾る予定だったが、その目論見は外れ、オリコンチャートでは『TAKE BACK』が初登場59位、『Trust Your Love』が初登場18位でスマッシュヒットという結果に終わった。さらに続く3枚目のシングル『COLOR OF SOUL』、4枚目のシングル『So Into You』でも、高い歌唱力と定評のあるダンス力で着実にファンを増やすものの、ヒットとはならなかった。当時は音楽番組に出演しない路線をとり、専らクラブなどで歌っていた。本人はその時を振り返り「辛かったけど夜中3時ごろに歌ったりして、声帯が強くなったり度胸が据わったりした。下積み時代に感謝している」と述べている。

そんな彼女に転機が訪れた。2003年にスクウェアソフト(現スクウェアエニックス)から発売された大作ゲームソフト「ファイナルファンタジーX-2」のテーマ曲で7枚目のシングル『real Emotion/1000の言葉』がオリコンチャート初登場3位で累計23万枚のヒットで知名が急上昇。しかしその後の8枚目のシングル『COME WITH ME』や9枚目のシングル『Gentle Words』はセールスには余り恵まれなかった。元来太りやすい体質であったが、当時の彼氏の励ましもあり8kgのダイエットに成功したのはこの頃で、現在の「エロカッコいい」とマスコミから呼ばれる彼女のスタイルが確立されたのは、10枚目のシングル『Crazy 4 U』(TVアニメギルガメッシュ主題歌、avex mode)の頃。この頃から、クリスティーナ・アギレラなどの海外アーティストから大きな影響を受けるようになり、露出度の高い服装やPVなどがマスコミによって大きく話題にされた。

そして2004年、本人も友情出演した映画「キューティーハニー」の主題歌「キューティーハニー」を収録した11枚目のシングル『LOVE & HONEY』が久々のオリコンチャート初登場4位を記録。13枚目のシングル『奇跡』(NHK2004〜2006年サッカー中継テーマソング)もTOP10入りを果たし、徐々にマスコミによって大きく取り扱われるようになっていった。しかし、この頃から初期の正統派路線が失われたことを嘆くファンも多く、コンサートでコンドームを客に投げつけるといった日本ではやりすぎの演出も指摘されている。

2004年の末頃から人気音楽番組に出演するようになり、4枚目のアルバム『secret』がオリコンチャート初登場3位、累計50万枚のスマッシュヒット。ライブやPVではバストや美脚を強調した露出度が高い服装や、バニーガール、女教師などのコスプレを披露し、その独特のスタイルが「エロカッコイイ」「エロかわいい」「エロカッコかわいい」と形容される。

2005年になって16枚目のシングル『Butterfly』が初登場2位と自己最高記録を更新。その勢いに乗り5年間の集大成となるベストアルバム『BEST〜first things〜』を発売。倖田は総合的に人を楽しませるエンターテイナーを目指しており、ベストアルバムの発売時に「ベストアルバムがミリオンセラーしたら、クラブのママをやります」と宣言した。ベストアルバムの純売り上げ枚数はミリオンを記録、1日限定で銀座に「club 倖田」を開店。セールスは更に伸び続け累計は140万枚を記録した。この頃から、浜崎あゆみと肩を並べるエイベックスの稼ぎ頭となる。

そんな中、彼女が取り組んだのが、同年12月7日から2006年2月22日まで、原則として毎週水曜日ごとに12週連続で新作シングルをリリースする世界初の試み"12週連続シングルリリース"である。第一弾シングル『you』は、自身初のオリコンチャート初登場1位(初動7.2万枚)を記録。続く『Birthday Eve』(5万枚限定生産)『D.D.D. feat. SOULHEAD』(5万枚限定生産)も好セールスを記録した。

同年12月31日、「Butterfly」で第47回日本レコード大賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも初出場。しかしレコード大賞受賞には、レコード大賞が掲げる『大衆に影響を与えた楽曲』という条件を満たしていないのではないか(「Butterfly」は最高2位・年間85位)という指摘があり、本人もレコード大賞終了後に「今年は露出で注目されたけど、来年はもっと音楽で注目されたい」と発言している。

2006年も年明け早々オリコンチャートで3楽曲同時Top10入りという2003年のB'z以来、そして女性アーティストでは初の快挙を成し遂げた。同年3月8日に12週連続発売シングルを全て収録した(但し「Boys♥Girls」、「Sweet Kiss」は未収録)ベストアルバム『BEST〜second session〜』を発売する。

その後も『恋のつぼみ』『4 hot wave』などタイアップ色の強いCDリリースや初の写真集「MAROC」の発売、そして12月には5枚目のオリジナルアルバム『Black Cherry』を発売。勝負作として150万枚を初回出荷したこの作品は、初動売上枚数50.2万枚(オリコン)を記録した。これは、2006年発売の女性アーティストのオリジナル盤としては最高となっている。

同年12月16日には第39回日本有線大賞、12月30日には、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。2005年に続いてのレコード大賞V2は達成できなかったものの、2005年は衣装などで注目されたが2006年は「歌唱」の分野での受賞なため、倖田は受賞時にその旨語り涙して喜んだ。

ただし、初期のファンは既に離れつつあり、リリースラッシュによる楽曲そのものの低下や過剰なエロ路線への方向転換により、「決して売れないけれども作りこまれた音楽」であった最初期を好むものは既に現在の体制に対しては厳しい意見を述べるものも多い。こういったブレイク前のファンとブレイク後のファンとの間で見解に食い違いが生じているのが現状である。また、ベストアルバムのようなアルバムをほぼ半年に1回という驚異的なペースでリリースし続けたことから、音楽ファンからは「商業主義的」として忌み嫌われる傾向もある。

倖田來未(愛証)
倖田來未(you)
倖田來未(feel)
倖田來未(夢のうた)
倖田來未(今すぐ欲しい)
倖田來未(HEY!HEY!HEY!)
倖田來未(Cherry Girl)
倖田來未featKM-MARKIT(RAINY DAY)
倖田來未(Get It On)
倖田來未(Hot Stuff)
倖田來未(Butterfly)
倖田來未(WIND)
倖田來未(キューティーハニー)
倖田來未(オッパイ丸見え)
倖田來未(乳輪出ちゃった)
倖田來未(Venus)
倖田來未(Live Tour 2005)
倖田來未&SOULHEAD(XXX)
倖田來未(人魚姫)
倖田來未(運命)
倖田來未(Shake It)
倖田來未(real Emotion)
倖田來未&後藤真希(モー娘オーデション)
倖田來未(きぐるみ初めてのLIVE)
倖田來未(夢のうた)













2007⁄05⁄02 17:37 カテゴリー:倖田來未 comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 ケツメイシの新曲PV「トレイン」をUPだよ( ゚∀゚)( ゚∀゚)後、インディーズ時代の曲などもUPだよ


ケツメイシ
トレイン


ケツメイシは、男性4人で構成されるヒップホップグループ。1993年(平成5年)に結成され、1996年(平成8年)に現在のメンバーで新たに発足して活動を開始した。所属レコード会社はトイズファクトリー。

メンバー
Ryo(りょう 本名:田中 亮 1972年11月26日 - )RAP&MC担当 東京都港区白金生まれ 獨協高校、東京薬科大学出身。最年長なので、影のリーダーとも言われる。かなりのラーメン好きで、1日たりともラーメンを愛してないと言う日がないほどである。
メジャーデビュー前に結婚。2人の子供に愛情を注ぐ優しい父親でもある。

Ryoji(リョウジ 本名:大塚 亮二 1974年12月14日 - )Vo担当 神戸市灘区出身、現在の妻はタレントの石川亜沙美。
2006年7月13日に石川亜沙美とできちゃった結婚。Ryojiは2度の離婚を経て3度目の結婚。
2007年1月23日午前3時頃、東京都内の病院で第1子となる男児が誕生。

大蔵(ダイゾウ 本名:吉田 大蔵 1976年3月14日 - )RAP&MC担当 ケツメイシのリーダーである。兵庫県 神戸市東灘区出身 東京薬科大学出身:2004年には元モデルの浮田佳奈と結婚。
浮田は『よる☆かぜ』のPVに出演。2005年03月09日に第1子誕生、2006年6月29日に第2子が誕生した。

DJ KOHNO(ディージェイ コウノ 本名:河野 健太 1977年6月28日 - )DJ担当 広島県廿日市市出身
2003年に結婚。2006年6月に第1子(長女)が誕生した
2007年2月4日に長男が誕生。「家族が4人になった」とブログで掲載されていた。


1993年に「ケツメイシ」として活動を開始。
トヨタ自動車の運営サイト「GAZOO.com」のCMにてTV初出演。使われた楽曲は『こっちおいで』。
NHKから2005年の「紅白歌合戦」への出場を依頼されるが、辞退した。
アルバムとDVDのジャケットは全て、沖縄県の首里城で撮影したものである。ケツメイシのメンバーがケツノポリスのジャケット撮影の前日に飲みすぎて二日酔いになり、階段を上れなかったために階段の下での撮影となっているらしい。またジャケットの右下の撮影日付の部分がそのCDやDVDの発売日になっている。
有名人にもファンが多く、ベッキー、島谷ひとみ、上戸彩、安田美沙子、安田大サーカス、サッカー選手の大黒将志、田中達也、平川忠亮などが有名である。また田中達也はRYOの大ファンらしく子供が男の子だったら亮と名付けようとしてたらしい。実際は女の子だった。
ライブツアーは過去3回全て、沖縄でファイナルを迎えている。
ライブで販売されるTシャツは「ケツT」と呼ばれ、デザインが良いためファンからは普段も着るほど愛用されている。胸や背中にKTMと書かれているのが特徴。
KTMはケツメイシの略ではなく、キャンタマの略であると『女将さん!!もうこんなに入ってますけどよろしいんでしょうかFES平成17年』のなかでRYOがMCで語っているが、冗談であるのは言うまでもない。
ツアーのグッズはチケットを持っていなくても購入できる。
ライブでは『はじまりの合図』で始まるのがお決まりで、最後に『ビールボーイ』を歌うことが多い。しかし、『はじまりの合図』発売以降、『春だ二晩!ケツメイシ祭り!二日間だけお願いやらせて!』というライブでの二日間だけ『痔持ち一代』で始まった。
ライブでメンバーはタオルを持ちながら歌う。
ライブではアンコールの代わりに、会場のファンが『もっと』を歌うことがお決まりである。
RYOはライブ会場にファンと同じ入り口から入るが気付かれないらしい。また、警備員に止められ「ダンサーの方ですか?」と言われたことがある。
『よる☆かぜ』は、香港の歌手陳冠希(エディソン・チャン)に『陳冠希edison夜風』というタイトルでカヴァーされ、台湾で1位になった。
『トモダチ』は、「若者の心を打つアーティスト、歌詞」として現代社会の教科書に載り、紹介されたことがある。
『幸せをありがとう』はDJ KOHNOの結婚を祝って他のメンバーが「アルバム作成合宿(沖縄)」で極秘に作った曲だが、結婚式までに完成が間に合わなかった。結局結婚式当日は、メンバーでかくし芸を披露した。DJ KOHNOの結婚を祝って作った曲だが実際は、大蔵が今の奥さんと仲直りするきっかけになった曲らしい。
RYOは『サミー777タウン』というケータイサイトで毎週火曜日更新のコラムを書いている。
RYOが吸っている煙草は、マールボロメンソールライトのBOXである。
ケツメイシを好きな人が集まり飲み会をすることを「ケツ会」と呼び、カラオケに行くことを「ケツカラ」と呼ぶ。また、ケツメイシファン同士のトモダチを特に「ケツ友」と呼ぶ。またケツメイシの話題で会話をすることを「ケツトーク」と呼ぶ。
ケツメイシファンのことを、「ケツメバカ」という。
ケツメイシにとってファンは「トモダチ」である。
ライブは缶ビールを飲みながら行う。大蔵の一気飲みは早くて有名であり、缶ビールをこぼす速度と同じである。
ちなみに『女将さん!!もうこんなに入ってますけど、よろしいんでしょうかFES平成17年』で飲んでいるのは、「麒麟淡麗(生)」と「アサヒ スーパードライ」である。
大蔵はライブでよく「頑張っている自分に拍手!!」と言う。
大蔵は鍼灸師・薬剤師 亮は薬剤師の資格を持っている。
DJ KOHNOが歌に参加したライブもある。
DJ KOHNOは週に1回、「JOY RIDE」というクラブのイベントに参加している。
DJ KOHNOは日本のサッカーチームでは浦和レッドダイヤモンズを応援しており、前出の平川忠亮ら一部の選手と交友関係がある。
「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に3回参加している。
ますだおかだが『さくら』をテレビ番組「お笑い紅白歌合戦」で歌ったが、おかだのラップ部分がファンから批判されるほど酷かった。
RYO以外のメンバーはサッカーが好きで、「ケツメイシFC」というフットサルチームを作り活動している。
2006年7月13日、RYOJIがタレント・女優の石川亜沙美と結婚したと、双方の事務所が発表。又、発表当時既に石川は妊娠していた。2007年1月23日に男児が誕生。
RYOはバイアグラという犬を飼っている。

ケツメイシ(さくら)
ケツメイシ(涙)
ケツメイシ(太陽)
ケツメイシ(よる☆かぜ)
ケツメイシ&CHEMISTRY(Point of No Return)
ケツメイシ&GAKU MC&アルファー(お客様が神様です)
ケツメイシ(花鳥風月)
ケツメイシ(手紙)
ケツメイシ(東京)
ケツメイシ(こっちおいで)
ケツメイシ(トモダチ)
ケツメイシ(三十路ボンバイエ)
ケツメイシ(旅人)
ケツメイシ(わすれもの)
ケツメイシ(ファミリア)
ケツメイシ(夏の思い出)
ケツメイシ&アルファ(SUSHI BOMBER)
ケツメイシ(男女6人夏物語)
ケツメイシ(君にBUMP)
ケツメイシ&Dragon Ash(INDEPENDIENTE)
ケツメイシ(はじまりの合図)
ケツメイシ(ケツの穴初級編 裸祭り)
ケツメイシ(新生活)













2007⁄05⁄02 15:38 カテゴリー:ケツメイシ comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 コブクロの新曲「蕾」のPVや奥田民生とのセッションなどをUPしたよ(*´д`*)( ゚Д゚ )


コブクロ


メンバー
小渕健太郎(こぶち けんたろう、1977年3月13日 -)
宮崎県出身。O型。身長168.2cm。宮崎県立宮崎工業高等学校卒業。通称「コビィ」・「主任」・「ケン坊」。
ギター・ボーカル 担当。他にブルースハープ、三線、指笛を演奏することもある。コブクロの楽曲の多くを作詞作曲している。アーティストグッズやツアーTシャツのデザイン、イラストも手がける。中学時代は水泳部に所属。高校時代は陸上部に所属するも1年で退部。その後、ギターを持ちあちこちのバンドを掛け持ちして文化祭やライブに出ていた。高校卒業後、大阪でシロアリ駆除会社サニックスに就職。セールスマンとして弱冠19歳で主任に昇格し、多くの部下を抱えていた。音楽活動専念の為退社すると会社に申し出たところ、会議室に閉じ込められ8時間もかけて説得されたという。現在のトークもセールスマン時代に培われたもの。ダーツにはまっていて、ダーツの大会にも参加したことがある。しかし、すごい運動音痴らしくライブ前に黒田とキャッチボールをしたところ黒田曰く「右利きの人が左手でボールを投げたくらい下手」と言われるほど。初の紅白歌合戦で黒田が歌詞を間違えるがなぜか正月に実家に帰ったら親戚にさんざん「お前が歌詞を間違えたんやろ?」と言われた。名前を知らない一般人からは「コブクロの小さいほう」と呼ばれる事が多い。しかし小さいほうとは言いつつも168.2cmと平均的で、身長はさほど低くない。小学生の頃に、九州全県で放送されたローカル番組なぜなぜ九州に出演した事がある(テトラポッド編)。絵を描くのが得意で、大阪でストリートをやっていた頃、商店街のシャッターに車が突っ込み、その車は逃走したが小渕が一瞬で車の運転手の顔を記憶し、その運転手の似顔絵を書き、警察に提供したところ、車の運転手は後日逮捕された。

黒田俊介(くろだ しゅんすけ、1977年3月18日 - )
大阪府堺市(現在の)南区出身。O型。身長193.4cm。大阪体育大学浪商高等学校卒業。通称「黒ちゃん」・「ロダー」。
ボーカル担当。今ギターは小渕の担当だが、出会った頃は、黒田もギターを弾いていた。当時、指弾きは、小渕より上手かったとか。小渕に比べて作曲した曲数は少ないが、9thシングル「DOOR」などは詞曲ともに彼により手がけられた楽曲である。野球部に所属していた。その後、大阪社会体育専門学校に進学。体育系の様々なライセンスを持つ。テレビゲームが趣味で、スキマスイッチの常田真太郎にウイニングイレブンで勝負を挑まれた。キン肉マン、北斗の拳、キャプテン、キャプテン翼など、ジャンプ漫画が好き。漫画喫茶へ行ったら仕切りから頭が出てるのに誰も興味を持たれない。ビートルズ、スティービー・ワンダー、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなど洋楽全般を好む。特にスティービー・ワンダーの大ファンで朝日新聞21STREET では自称「難波のスティービー・ワンダー」と言っていた。初の紅白歌合戦で歌詞を間違え、朝日新聞21STREET でさんざん反省していた。「コブクロの大きいほう」と呼ばれる事が多い。


1998年5月、サニックスという会社のセールスマンの傍ら路上ライブをしていた小渕と、ストリート・ミュージシャンをしていた黒田が、堺市の堺東銀座通り商店街で出会い意気投合。 同年9月、小渕が黒田に曲を書いて、黒田から一緒に組もうと声をかけた。小渕はこれを「出来ちゃった結成」なのだと「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」出演時に話していた。 この時の曲がのちに代表曲となる「桜」である(インディーズ盤「Root of my mind」・5thアルバム「NAMELESS WORLD」に収録)。

ユニット名は、2人の名字、小渕(コブチ)と黒田(クロダ)から名づけた。のちにそのネーミングのアイデアは吉本興業所属のお笑いコンビ、FUJIWARAから来ていることを明かしている。(過去に心斎橋筋で演奏中にFUJIWARAの原西孝幸にからまれたこともあるらしい)ちなみに小渕が黒田に初めて作った曲の歌詞カードに「コブチとクロダでコブクロでええか」と書いていたのがきっかけ(子宮の意味があることは知らなかった)。SPOON(スプーン)という候補もあった。フォーク以外もでき、ナイフ(ロック)みたいに鋭くなく、人の心を掬うという意味。

二人の身長差は25cmあり、黒田が大柄で小渕が小柄であると思われているが、前述の通り黒田が193cmと極めて身長が高いため、168cmの小渕が小柄に見えるだけである(ちなみに彼らとは逆に爆笑問題やナインティナイン、中川家は片方が身長が低いためもう片方の身長が高く見える)。

ライブやメディア上でのトークの面白さに定評があり、ライブのMCをみたファンからは「ネタ帳があるんですか?」と聞かれるほど。また、ナイナイサイズ!に出演した際にはナインティナインに「M-1グランプリに出ろ!」と言われたり、HEY!HEY!HEY!に出演した際もダウンタウンの松本人志に「もうコブクロじゃなくて笑い袋でしょ?」と言われるなど、大物芸人からの定評も高い。
ストリート時代、神戸の三ノ宮で歌っていたらその日はいつも以上に客が多かった。それは向かい側にストリート漫才をしているコンビの客を取ってしまったからである。そのストリート漫才をしてたコンビが当時アマチュアだったお笑いコンビのNON STYLEである
彼等の昔からのファンを「コブファミ」と呼ぶ。これはFM802のDJ・ヒロ寺平が命名した。
ミノスケオフィスコブクロという個人事務所に所属しているが、研音と業務提携している。


コブクロは1998年9月、コブクロ結成。
2001年、「YELL〜エール〜」でメジャーデビュー。オリコン初登場10位、最高位4位のヒットとなった(彼らの地元大阪チャートでは、1位を獲得)。この頃は19やゆずに次ぐ「第三のネオ・フォークデュオ」と言った紹介がなされていた。
2004年9月23日、歌手でタレントの所ジョージと組んでトコブクロ結成。毎朝、ボクの横にいて。 をリリース。
2006年9月27日にはシングル(両A面含む)コレクション「ALL SINGLES BEST」を発売し、オリコンウィークリーチャートで4週連続1位を獲得。累計売上が200万枚を超える大ヒットとなる。
2007年1月8日から放送中のフジテレビ系月9の速水もこみち出演連続ドラマ「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜」の主題歌「蕾(つぼみ)」を書き下ろし、2007年3月21日に発売。
2007年2月28日に同じレコード会社の所属である、絢香と組んだスペシャルユニット「絢香×コブクロ」としてのシングル「WINDING ROAD」を発売。
2007年3月13日、「ALL SINGLES BEST」が第21回日本ゴールドディスク大賞でアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
2007年6月16日〜8月12日、KOBUKURO LIVE TOUR '07 “蕾”開催予定

コブクロ(ここにしか咲かない花)
コブクロ(永遠にともに)
コブクロ&絢香(WINDING ROAD)
コブクロ(願いの詩)
コブクロ(風)
コブクロ(全力少年)
コブクロ(雪の降らない街)
コブクロ(ミリオンLive)
コブクロ&所ジョージ(毎朝、ボクの横にいて)
コブクロ(YELL〜エール〜)
コブクロ&佐藤竹善(木蘭の涙)
コブクロ(桜)
コブクロ(Million Films)
コブクロ(六等星)
コブクロ&奥田民生(桜)
コブクロ(君という名の翼)
コブクロ(blue blue)
コブクロ(同じ窓から見てた空)













2007⁄05⁄02 13:32 カテゴリー:コブクロ comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 後藤真希4月11日発売の新曲「シークレット」のPVをいち早くUPしたよ( 。A。)後、尾崎豊の名曲OH MY LITTLE GIRLのカバーもUP


後藤真希
シークレット



後藤真希(ごとう まき、1985年9月23日 - )は、日本の歌手、女優である。ハロー!プロジェクトの一員で、元モーニング娘。のメンバー。日出女子学園高等学校中退(普通科中退→通信制編入→中退)。アップフロントエージェンシー所属。東京都江戸川区出身。血液型はO型。身長は158.8cm(本人談)。愛称はごっちん、ごっつぁん、ごまちゃん。

ハロー!プロジェクトメンバーの中でも「スタイルが良い」と評される事が多く、写真集等のグラビア媒体でも活躍している。二十歳(はたち)を過ぎてからはセクシー路線を打ち出している。
モーニング娘。加入当時は金髪だったが、本人曰く「学校が夏休みだったから金髪に染めた」と言う。その後、グループ黄金期の中心格メンバーとなった事もあり、象徴色として金色(ゴールド)が使われていた(#アルバム・#コンサートのタイトルを参照。但し後述の「可愛らしい一面」を大事に考えるファンからは支持されない場合がある)。
モーニング娘。に加入した当初、「教育係」として市井紗耶香が就いた。因みに、これが初の「教育係」であった。翌年の次の新メンバー加入時には一人一人に教育係が就く事になり、後藤は早くも加護亜依の教育係に指名された。
歌う時のマイクの持ち方が特徴的で、殆どの場合、左手の小指をマイクに沿わして平行に伸ばして持つ。松浦亜弥によれば、ごまっとうでこの持ち方に合わせる事になった為、苦労したとの事。因みに、田中れいなも同じ持ち方をしている。
マスコミや一般人から「ゴマキ」と呼ばれる事が多いが、かつて後藤久美子が「ゴクミ」と呼ばれる事を快く思っていなかったのと同じく、後藤本人も「ごっちん」「ごっつぁん」と呼んで欲しいと語っており、ファンも「ゴクミ」を捩って造られた呼称である「ゴマキ」とは呼ばない。ただ、後藤本人や事務所の意向をかなり尊重しているものの、ハロー!モーニング。のキャラクターで「ゴマキペンギン」「ゴマキスズメ」の様に使われる事が有る。尚、本人は自分の事を「後藤」と言う。
ハロー!プロジェクトの中でもトップクラスの運動神経の良さを持ち、ハロー!モーニング。での運動神経テストではパーフェクトの数値を記録した事が有る。
腕相撲は辻希美と1・2位を争う強さを誇り、矢口真里が両腕でやっても勝てないと言う状況で、ライブ等でも筋肉質の鍛えられた肢体を披露しているが、本人は寧ろ女性らしい体型を望んでおり、筋肉が付く事を嫌がっている。
デビュー時の印象や外見から、クールで大人っぽいという一般的なイメージが有るが、それとは裏腹に、無邪気な言動や料理やお菓子作りが趣味と言う可愛らしい一面がインタビューやラジオ番組等で明らかにされている。
他にメジャーな愛称が有るハロー!プロジェクトのメンバーを独特の愛称で呼ぶ傾向が有る。例えば、松浦亜弥(「あやや」)を「まっつー」(この愛称は、安倍なつみも使用している事から、「後浦なつみ」内での共通の愛称であると推察される。)、吉澤ひとみ(「よっすぃ〜」)を「よし子」、新垣里沙(「豆」「ガキさん」)を「ニイニイ」、道重さゆみ(「さゆ」「しげさん」)を「ミッチー」と呼んだりしている。
ソロデビュー曲「愛のバカやろう」によって、オリコン初登場1位最年少記録(15歳6ヶ月)保持者となった。
視力は両眼とも2.0。カラーコンタクトを着用しているのはオシャレのため。
とんねるずのみなさんのおかげでしたの食わず嫌い王決定戦で、ダチョウ倶楽部と対戦。アナゴのにぎりが苦手。
イグアナを3匹飼っている(ただし、2007年2月現在は家族に子供がいるため預けている)。名前はパパ(雄)、ママ(雌)、アベちゃん(雄)。アベちゃんはうたばんの企画でプレゼントされた、後藤真希と同じくらいの身長のグリーンイグアナで、名前は番組プロデューサーの阿部龍二郎から。散歩に連れて行ったり、テレビ番組やコンサートでイグアナのかわいさを熱弁したりするイグアナ好きだが、イグアナ以外の爬虫類は特に好きではなく、ヘビなどは苦手。

1999年
8月 -モーニング娘。第2回追加オーディションに合格してモーニング娘。第3期メンバーになる。
本来2人追加される予定だった(1999年9月9日に9人になると発表された)が、つんく♂曰く「10年に1人の逸材」「才能が飛び抜けていた」と言う理由で後藤1人が合格した。
9月 - 加入直後にリリースされたシングル「LOVEマシーン」で、いきなりグループのセンターポジションを担当。
11月 - 保田圭・市井紗耶香と3人でグループ内ユニット「プッチモニ」としてもデビュー。シングル「ちょこっとLOVE」は110万枚の売上げを記録。
2000年
4月 - テレビ東京系列にて「ハロー!モーニング。」スタート。初代司会者に就任。
2001年
3月 - シングル「愛のバカやろう」でソロデビュー。オリコン初登場1位。
7〜9月 - 連続テレビドラマ初出演「マリア」(TBS系)で、4姉妹の末っ子の役を担当。
2002年
9月23日 - 17歳の誕生日にモーニング娘。を卒業。前日の9月22日にはテレビ東京系列にて「生中継!後藤真希・モーニング娘。卒業!ファイナルステージ」という特別番組が組まれた。中山秀征・中澤裕子の2人を司会に据え、更に夏まゆみ・市井紗耶香の2人をゲストに迎えて13人での最後のテレビ出演を無観客状態の横浜アリーナから生中継で行なった。
11月 - 松浦亜弥・藤本美貴とユニット「ごまっとう」を結成。シングル「Shall We Love?」をリリース。
2003年
ミュージカル「けん&メリーのメリケン粉オンステージ!」、映画「青春ばかちん料理塾」でそれぞれ初主演。
12月31日 - ソロとして「第54回NHK紅白歌合戦」初出場。
2004年
10月 - 安倍なつみ、松浦亜弥と、ユニット「後浦なつみ」を結成。シングル「恋愛戦隊シツレンジャー」をリリース。
10月、12月 - テレビ朝日の音楽特番で特捜戦隊デカレンジャーとの夢の競演を安倍なつみと松浦亜弥とで果たす。
12月31日 - 「後藤真希&松浦亜弥」として「第55回NHK紅白歌合戦」に出場。2回連続の出場を果たす。
2005年
大河ドラマ「義経」出演(能子役)。
1月10日 - 「110番の日」、警視庁にて一日通信指令センター長を務める。110番通報を受けるデモンストレーションを行う。
10月 - 安倍なつみ、松浦亜弥、石川梨華と共に「DEF.DIVA」を結成、シングル「好きすぎて バカみたい」を発売。オリコン初登場1位(5つの名義での首位獲得を達成)。しかし、このユニット名で「義経」の裏番組「歌笑HOTヒット10」に出演した。
12月31日 - 「DEF.DIVA」及び「モーニング娘。ドリームチーム」として3回連続のNHK紅白歌合戦出場。
2006年
2月 - 急性腸炎を発症し、舞台「ハロ☆プロ オンステージ!」(2月15〜19日)を降板して休養。同21日に復帰。
6月 - 「後藤真希シークレットライブ」(シングル「ガラスのパンプス」購入者特典イベント)において、初めてライブハウスでのソロライブを行なった。
9月 - 韓国で現地のファン1200人とイベントを行なった。併せて韓国で発売するベストアルバムのプロモーション活動を実施。
11月 - 韓国で自身初の海外ライブを行なった。
12月 - SanDisk(デジタルオーディオプレーヤーSansa、フラッシュメモリ製品)のイメージキャラクターに起用された。
2007年
1月24日 - モーニング娘。結成10周年を記念するユニット「モーニング娘。誕生10年記念隊」に3期メンバーとして参加、シングル『僕らが生きる MY ASIA』をリリース。

後藤真希(OH MY LITTLE GIRL)
後藤真希(寒い夜だから...)
後藤真希(渡良瀬橋)
後藤真希(SOME BOYS! TOUCH)
後藤真希(スッピンと涙。)
後藤真希(水着!?)
後藤真希(うわさのSEXY GUY)
後藤真希(じれったい)
後藤真希(シークレット)
後藤真希(恋愛戦隊シツレンジャー)
後藤真希&安倍夏美(Summer Candles)
後藤真希(激しい恋)
後藤真希(プレイバックPART2)
後藤真希(さよなら「友達にはなりたくないの」)
後藤真希(原色GAL 派手に行くべ!)
後藤真希(FOXY FUNGO)
後藤真希(19歳のひとり言)
後藤真希(13歳オーデション)
後藤真希(溢れちゃう...BE IN LOVE)
後藤真希(秘密)
後藤真希(プライベート)
後藤真希&矢口真里(メドレー)
後藤真希(マリオネット)
後藤真希(ペイント イット ゴールド)
後藤真希(愛ってどんな×××?)
後藤真希(イベント前夜の後藤真希家の食卓)
後藤真希&メロン記念日(未来の扉)
後藤真希(手を握って歩きたい)
後藤真希(勝手にしやがれ)
後藤真希(横浜蜃気楼)
後藤真希(ガラスのパンプス)
後藤真希(幸せですか?)
後藤真希(エキゾなDISCO)
後藤真希(愛のバカやろう)













2007⁄05⁄02 12:15 カテゴリー:後藤真希 comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 CHEMISTRYの結成前の映像をUPしたよ。かなりお目にかかれない秘蔵Vだよ。他にもセッション曲なども追加UP(#・∀・)


CHEMISTRY
Top of the World

CHEMISTRY(ケミストリー)は、日本の男性デュオ歌手。略称“ケミ”。所属レコード会社はSME系列のデフスターレコーズ。所属事務所はニューカム(ソニー・ミュージックアーティスツ傘下)。中国語では「化学超男子」と記す。
テレビ東京のオーディション番組「ASAYAN」(当時司会:ナインティナイン、永作博美)が行った男性ボーカリストオーディションで選ばれた2人により結成。
2人の声が「化学反応」を起こすことを期待して音楽プロデューサー松尾潔が命名。
デビューから成功を収め、平井堅・ゴスペラーズ・EXILEらと共に近年の日本のR&B系男性ボーカリストを代表する存在で、曲が発売されると有線でのリクエストが多い

メンバー
堂珍嘉邦(どうちん よしくに、広島県高田郡八千代町佐々井(現安芸高田市)、1978年11月17日 - 身長174cm、血液型:O)
広島県新庄高等学校卒業。高校在学時より本格的に歌手を志すようになる。高校卒業後、広島のテレビ局のADや、広島市民球場で警備員を勤める。2004年6月13日に、ファッションモデルの森田あつ子(現・堂珍敦子)と、結婚、男児を授かる。広島東洋カープの大ファンで、2005年5月21日の対東北楽天戦(広島市民球場)で始球式を勤めた。天然ボケである。ゲーマーであり、プレイステーション2やプレイステーション3、Xbox、ニンテンドーDS Liteといったメジャーなゲーム機を数多く所有している。立ち位置は向かって左。

川畑要(かわばた かなめ、東京都葛飾区、1979年1月28日 - 身長172cm、血液型:A)
葛飾区立亀有中学校出身。中学卒業後バイトを転々とし、18、9歳頃より本格的に歌手を志す。デビュー前は建築関連のバイトをしており、東京ディズニーランドの「プーさんのハニーハント」の工事に携わった。趣味は筋力トレーニングとボイストレーニング。2006年頃よりピアノを学び始める。立ち位置は向かって右。

1999年8月 「ASAYAN」の企画「男子ボーカリストオーディション」の1次審査に川畑・堂珍共に大阪会場で参加し通過。その後、最終選考まで進出。このときは他にEXILEのATSUSHIも残っていた。
2000年12月15日 オーディション最終選考の一環で発売された仮デビューシングル『最後の夜』(作詞・作曲葛谷葉子。ユニット名は「ASAYAN超男子。川畑・堂珍」)が、オリコン初登場9位を記録。
2001年1月1日 オーディション最終選考で川畑と堂珍の2人が選ばれる。5人の中から最も支持の多い組み合わせ(DUO)を選ぶ企画だったが、当初から堂珍の女性人気が特に高く、堂珍と誰の組み合わせがベストか、という形になった。ユニット名が『CHEMISTRY』に正式決定(2001年1月21日放送)。
2001年3月7日 シングル『PIECES OF A DREAM』でデビュー。発売6週目でオリコン1位を獲得。ジャニーズ事務所所属のアイドルを除けば男性ボーカルグループでは21年ぶりという快挙。ロングヒットとなりミリオンセラーを達成した。
2001年11月7日 初のオリジナルアルバム『The Way We Are』発売。出荷枚数300万枚以上の大ヒットとなり、男性ボーカルグループとしては史上最多セールスを記録。
2001年12月31日 紅白歌合戦に初出場。新人ながら、この年の紅白最高視聴率52.4パーセントをマーク、関係者や世間を驚かせた。ここから2005年まで5年連続出演。
2002年3月13日 当時デビュー前だったSoweluと共に日本代表として、韓国のアーティスト(Brown Eyes、リナ・パーク)と合同ユニット「Voices of Korea/Japan」を結成。サッカーW杯日韓大会のテーマ曲『Let's Get Together Now』を発売。5月30・31日にソウルで開催されたW杯前夜祭・開会式にも参加。
2003年1月8日 2ndオリジナルアルバム『Second to None』発売。200万枚以上のヒットで、同年の年間アルバムセールス第1位となる。
2003年6月18日 リミックス曲を中心に収録した企画アルバム『Between the Lines』発売。
2004年2月18日 3rdオリジナルアルバム『One×One』発売。売り上げは約70万枚。プロデューサー松尾潔の元から離れ、新たな段階に入った。
2004年9月4日 コンサート「CHEMISTRY in SUNTORY HALL〜響〜」開催。東京フィルハーモニー交響楽団と、アコースティックバンドとの共演。
2005年1月5日 J-WAVEのラジオ番組「OH! MY RADIO」(月〜金 2200-2350)の水曜担当ナビゲーターになる。(同年9月28日終了)
2005年1月26日 バラードを中心に収録した企画アルバム『Hot Chemistry』発売。30万枚限定発売となった。コンサート「CHEMISTRY in SUNTORY HALL〜響〜」からの楽曲も。
2005年5月23日 インターネット音楽配信サイト「Mora」でそれぞれのソロ楽曲を24時間限定視聴&ダウンロード。なお、この楽曲は7月27日発売の15枚目のシングル『Wings of Words』の初回限定版に収録。
2005年10月5日 Crystal Kayとのコラボレーション楽曲『Two As One』をCrystal Kay×CHEMISTRY名義で発売。このバージョンは女性の視点から片思いを描写したものだが、後日発売された16枚目のシングル『almost in love』では、CHEMISTRY×Crystal Kay名義による男性の視点から片思いを描写した別バージョンが収録された。
2005年11月16日 前作『One×One』から1年9ヶ月ぶりとなる4thオリジナルアルバム『fo(u)r』発売。
2006年4月26日発売の森雪之丞のトリビュートアルバム『Words of 雪之丞』に参加。
2006年8月9日 リミックスアルバム『Re:fo(u)rm』発売。
映画「オープン・シーズン」日本語吹き替え版のイメージソングと挿入歌を担当。イメージソングには『Re:fo(u)rm』収録曲『伝説の草原(Patrick Stump Remix)』が起用され、挿入歌には『遠影 feat. John Legend』が起用される。
2006年11月22日 初のベストアルバム『ALL THE BEST』発売。『Hot Chemistry』以来1年10ヶ月ぶりのオリコンアルバムチャート初登場1位獲得。
2006年11月30日 デビュー以来の紅白歌合戦連続出場がストップ。


CHEMISTRY&槇原敬之(約束の場所)
CHEMISTRY&槇原敬之(PIECES OF A DREAM)
CHEMISTRY&槇原敬之(どんなときも)
CHEMISTRY(伝説の草原)
CHEMISTRY&Crystal Kay(Two As One)
CHEMISTRY(So in Vain)
CHEMISTRY&m-flo(Now or Never)
CHEMISTRY&EXILE(らいおんハート)
CHEMISTRY(涙のあと)
CHEMISTRY(It Takes Two)
CHEMISTRY(ama-oto)
CHEMISTRY(YOUR NAME NEVER GONE)
CHEMISTRY(PIECES OF A DREAM)
CHEMISTRY(FLOATIN)
CHEMISTRY&韻シスト(Long Long Way)
CHEMISTRY(My Gift to You)
CHEMISTRY(キミがいる)
CHEMISTRY(My Way)
CHEMISTRY&Keiko Lee(星たちの距離)
CHEMISTRY&Lena park(Dance With Me)
CHEMISTRY(almost in love)
CHEMISTRY(New Jersey United)
CHEMISTRY(遠影)
CHEMISTRY(Top of the World)
CHEMISTRY(Motherland)
CHEMISTRY(Point of No Return)
CHEMISTRY(白の吐息)
CHEMISTRY(ずっと読みかけの夏)
CHEMISTRY(デビュー前)













2007⁄05⁄02 11:38 カテゴリー:CHEMISTRY comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 氣志團のアルバム「SIX SENSES」の中から新曲PVをUPしたよ(´^ω^)音楽三昧だけのPVもチェックするべき


氣志團
The アイシテル


氣志團(きしだん)は、千葉県木更津市出身と鹿児島県出身のヤンキー系ロックバンド。東芝EMI社所属。
自らのロックをパンク・ロックとヤンキーの融合「ヤンク・ロック」と提唱する。
1980年代の不良行為少年を髣髴(ほうふつ)とさせるリーゼント&学ラン姿とそれに反して甘い青春を歌い上げる彼らは、KISSES(キッシーズ)と呼ばれるファンから熱狂的な支持を受けている。
『めちゃ²イケてるッ!』の人気コーナーだった「数取団」のモデルである。彼等も公認(ナインティナインと綾小路翔が「オールナイトニッポン」のパーソナリティ同士としてつながりがあったため)しており、同コーナーにゲスト出演もしている。

メンバー
綾小路 翔(翔やん):VOCAL,DRAGON VOICE,MC&GUITAR
「房総の狂犬」(1976年4月26日生まれ- B型) 誇り高き團長。千葉県君津市出身。DJ OZMAと同一人物。永遠の16歳。184cm、59kg。

早乙女 光(ひかる):DANCE&SCREAM
「森の堅者」(1月24日生まれ- A型) 千葉県木更津市出身。精神年齢4歳。173cm、62kg。

西園寺 瞳(トミー):GUITAR
「多摩の大巨人」(10月23日生まれ- B型) 東京都多摩市出身。早稲田大学卒。209cm、72kg。

星 グランマニエ(ランマ):GUITAR
「薩摩隼人は泣きの竜」(3月1日生まれ- A型) 鹿児島県鹿児島市出身。187cm、56kg。

白鳥 松竹梅(マツ):BASS GUITAR
「はちみつ大好きこぐまちゃん」(3月17日生まれ- A型) 鹿児島県鹿児島市出身。178cm、59kg。

白鳥 雪之丞(ユッキ):DRUMS&DRUNK
「美しき野獣(のけもの)」(1976年5月24日生まれ- A型) 千葉県君津市出身。183cm、57kg。
メンバーで唯一、本名を公開した。(というか、された。ただし公開された名前は「自称」本名であり、真偽不明)

木更津の不良界にカリスマ的存在として君臨した、「スーパースターヤンキー」綾小路“セロニアス”翔によって1997年結成される。名前の由来には「キシリトール、ダンケシェーン説」、「くるりの岸田君のファンだから説」(いずれも綾小路の発言)等が有るが、実際はマンガ『本気!』の“気志団”から来ているらしい。また、当時の通称は「房総の狂犬」だった。
「大胆かつハレンチに、Vのベルトはバレンチノ!!」を合い言葉にライブハウスで熱いGIGを展開する。なお、ライブやコンサートのことをGIGと呼ぶのは、BOØWYに倣ってのことである。
2000年10月にはファーストミニアルバム『房総与太郎璐薫狼琉』をティンスターからリリースする(「璐」(U+7490)は「玉偏に路」の字だが、この字はJIS X 0208にないため一部では「路」で代用されている)。なお、このアルバムは当時150枚程度しか売れておらず、倉庫には4000枚程度が眠っている、ということを綾小路自らが当時の深夜放送で語っていた。
2001年6月22日には大ヒット曲『One Night Carnival』をリリース(ティンスターより)。同年7月1日には、渋谷ON AIR WESTにてワンマン・ギグ“氣志團現象〜ハイウェイに乗る前に〜”を決行。GIGは大盛況となり、入りきれない関係者からクレームを受ける程となった。
人気を知った業界各社からオファーが殺到、母が死の間際に言い残した「もしも綾小路が女の子に生まれたなら、エミ(EMI)と名づけられた」という言葉を理由とし、他のオファーを断り東芝EMI社と契約する。(これも綾小路の冗談で、彼の母は今も健在。) 今一つの俗説として、綾小路が東芝EMIから千葉のロックシンガー・ジャガーのビデオを途中まで見せられ、「この先はハンコを捺してくれたら!」とビデオを止められたため、という物も流布されている。
2002年、テレビドラマ『木更津キャッツアイ』に出演。このドラマで氣志團の知名度が更に向上した。その翌年には同ドラマが映画化され、その映画内で氣志團が木更津で野外ライブを行った。
2002年3月7日、NHKのトップランナーに出演。この番組で、トークのおもしろさが知れ渡り、バラエティ番組のオファーが来るようになった。
2002年3月30日、代々木公園野外ステージにてフリーGIG・3.30原宿暴動を敢行。2万人の集客を得る。代々木公園野外ステージでのフリーライブは、他にもthee michelle gun elephant や175Rが行っている。
2003年8月30日に、ロックフェスティバル氣志團万博を開催。4万人の集客。前座はGLAYが務めた。その際、「あの宇多田ヒカルが『君が代』を歌うらしいよ」、「あの森山直太朗が『さくら (独唱)』を歌うらしいよ」との噂が流布したが、この噂の発端は綾小路らしいと言う説が有力である。
2004年1月3日、1月4日には、念願の日本武道館でGIGを敢行。アンコールでは爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」を熱唱した。
その後、アメリカで行われたSxSWに出演、言葉の違うアメリカで、ヤンク・ロックを魅せつけた。
2004年7月24日、7月25日は国立代々木競技場第一体育館でGIGをし、この模様はNHK(BS2)でも放映された。
最近では、CM出演、更にゴールデンタイムの番組にもゲスト出演などしている。
2004年11月25日にはベストアルバム発売、同日・弟分の微熱DANJIが氣志團の名曲「甘い眩暈」でデビュー。
2004年11月27日、一連の氣志團現象を総括する氣志團現象最終章のツアーファイナルは、当初幕張メッセと発表していた会場を変更し東京ドームでGIGを敢行。ギターの星グランマニエが転落事故(通称【ポトリコポトリカ事件】)で入院したため5人でのGIGとなったが、無事成功に終わった。年末には初となる紅白歌合戦にも出場した。星グランマニエの立ち位置には、彼を模した人形の安全太郎君がいた。ドラマ冬のソナタでブレイクしたペ・ヨンジュンが7人登場する等その年の出来事を基にしたパフォーマンスが話題を呼んだ。
2005年12月31日、2回目の紅白歌合戦出演。曲目は昨年と同じ『One Night Carnival』(スキウタで選ばれたため)。フルメンバーとしては初の紅白出場である。紅白ではリーゼントのカツラをとるパフォーマンスを見せたがリーゼントは本物である(2004 年の紅白歌合戦でも同様のパフォーマンスを披露した)。実際紅白で普段一時間以上かかるリーゼントを六分で仕上げたという記録の持ち主でもある。
2006年8月26日、27日の二日間、極東NEVER LAND(通常は富士急ハイランドと呼ばれている)にて『KISHIDAN 10th ANNIVERSARY SPECIAL 氣志團万博2006“極東NEVER LAND”』を開催。これで全都道府県を制覇した。
余談だが、彼らの身長は全てリーゼント込みなので、実質−10〜20cmである。

綾小路と白鳥(雪之丞)はまちゃまちゃの君津市立周西中学校時代の同級生。同校所在地は君津市のため、二人は正式には木更津市出身ではなく、隣町の君津市出身ということになる。綾小路と木更津の繋がりとしては、幼少時の一時期、同地に預けられていた過去がある。
綾小路は高校時代の卒業アルバムの写真が丸坊主である事を「高校生当時は真面目な生徒であり卒業アルバム撮影前に同級生の不良から坊主頭にされてしまった」と言っている。
宇多田ヒカルは綾小路の実家に遊びに行った事がある(2005年11月10日放送の「うたばん」より)。
彼らの曲のタイトルや歌詞は模倣が多いが、パロディとしてこれは誰にでも解るようにしているためである。特にBOØWY、尾崎豊からの引用が多い。
シングルやアルバムのジャケットも、過去の名盤のパロディである事が多い。メジャー第一弾アルバムは町田町蔵がリーダーだったINUの『メシ喰うな!』が、続く第二弾アルバムはブロンディの『妖女ブロンディ』(邦題)がモチーフになっている。ユニコーンの『服部』のパロディである『TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE』のジャケットには『服部』と同じ鳶職人のお爺さんの写真が使用されている。
メジャーデビュー前にウルフルズの「事件だッ!」のミュージック・ビデオに全員そのままの格好で出演している(不良生徒役)。
綾小路はB'z(主に稲葉浩志)好きとしても有名。
「SECRET LOVE STORY」のPVに出演している女優(メイン)はドラマ『タイヨウのうた』主演の沢尻エリカ。
綾小路と同一人物であろうとと言われていたDJ OZMAは、友人という発言をしていたが、結局彼の結婚報道でやはり同一人物という事が判明した。ちなみにDJ OZMAは『第57回NHK紅白歌合戦』における騒動を起こし、のちにNHK会長橋本元一が「現場で使いにくい状況だと思う」と述べ、これにより綾小路・DJ OZMAおよび氣志團がNHK出入禁止となったと報じられた。また、公式ブログでもこの騒動について「モラルは大事」とコメントした。
綾小路は自分のアイドルとして岡村靖幸の名を挙げTM NETWORKファンである事を公言するなど、80年代に活躍したミュージシャンを好きな事で知られており、彼等をトークの話題に出す事も多い。
綾小路が最も尊敬する人物は映画ビーバップハイスクールのヒロシ役でおなじみ清水宏次朗である。
綾小路は2006年12月7日に入籍、12月8日の公式のブログにて発表した。
氣志團のファンを総称して“KISSES(キッシーズ)”と呼ぶ。
メンバーの半分は本名と自称している

氣志團(SIX SENSES)
氣志團(One Night Carnival)
氣志團(黒い太陽)
氣志團(スウィンギン・ニッポン)
氣志團(極東NEVER LAND)
氣志團(You&Me Song)
氣志團(ふぞろいの不良たち)
氣志團(なんちゃって解散宣言)
氣志團(未発表曲)
氣志團(ゴッド・スピード・ユー)
氣志團(氣志團万博2003)
氣志團(ペッパー警部)
氣志團(インタビュー)
氣志團(族)
氣志團(1000人限定LIVE)
氣志團(キラ・キラ!)
氣志團(Secret Love Story)
氣志團(結婚闘魂行進曲「マブダチ」)
氣志團(夢見る頃を過ぎても)
氣志團(スウィンギン・ニッポン)
氣志團(愉快な仲間たち)
氣志團(恋人)
氣志團(不愉快な仲間たち)
氣志團(デリケートにキスして)
氣志團(俺達には土曜日しかない パーフェクト★レッスン)













2007⁄05⁄02 11:19 カテゴリー:氣志團 comment(0) trackback(0)
▲pagetop








 GAMのお宝LIVEをUPしたよ\(^O^)/ハロプロファンはかなり必見です。


GAM
Lu Lu Lu

GAM(ギャム)は、ハロー!プロジェクトの松浦亜弥と藤本美貴による女性歌手デュオユニット

「Great Aya x Miki」の頭文字を取って命名された。また、、つんく♂(シャ乱Q)によれば、GAMには英語スラングで「足の綺麗な女の人」、所謂“美脚”と言う意味がある。そのため「綺麗な素敵な脚」と歌で魅了させるユニットを目指すとのことである。(GAM結成時のつんく♂コメントより)
結成の第一報は2006年6月15日、つんく♂公式サイトのオフィシャルコメントにて報告された。
このユニットに後藤真希は加わっていないが、結成当初は「ごっちん(G)&あやや(A)&ミキティ(M)」でごまっとうと同じではないかと間違えられる事があった。
なお、同時期にリリースしたアーティストに、GYM(ジャニーズ事務所の山下智久らによるユニット)と言う似通った名前のユニットがある。当たり前だが2組には何の接点もない。
2006年12月31日にNHKで放送された第57回NHK紅白歌合戦に「GAM&モーニング娘。」としてモーニング娘。と共に出場した。これは、GAMとしては初出場であったが、松浦はソロとDEF.DIVA、藤本はソロとモーニング娘。として過去に出場したことがあったため、2人とも通算3度目の初出場となった。(史上4,5人目)
ハロープロジェクトのスペシャルユニットとしては異例ともいえる複数枚のシングル及びアルバムのリリース、コンサートツアーの決定など、非常に積極的な活動が続いているが、これはこの2人が非常に仲の良いことが知られており、本人たちのみならずファンも待望していたユニットであるためだと言える。過去のスペシャルユニットはそういった背景があまりなかったこともあり、シングル1枚をリリースして自然消滅してゆくものがほとんどであったが、そういった意味では従来のあらゆるスペシャルユニットの枠をはみ出したカテゴリーと言える。
東北楽天ゴールデンイーグルスの2007年新公式応援歌「ダイスキ楽天イーグルス」を歌う。2006年の「DEF.DIVA」のときと同様に、CDは一般のCDショップでは販売されず、楽天イーグルスオフィシャルショップ(Web販売含む)及びハロー!プロジェクトオフィシャルショップ等でのみ販売される。

GAM(決別?)
GAM(メロディーズ)
GAM(Thanks!)
GAM(パンチラ!!)
GAM(2006コンサート)
GAM(TV)
GAM(いつかのメリークリスマス)
GAM&モーニング娘(Thanks!歩いてる2006)
GAM(Live)
GAM(2006秋Live)
GAM(ファンクラブEVENT)
GAM(ハロプロ2007冬LIVE)
GAM(ダイスキ楽天イーグルス)
GAM(Hey!Hey!Hey!)
GAM(明るいニュース)













2007⁄05⁄02 11:02 カテゴリー:GAM comment(0) trackback(2)
▲pagetop








 KREVAの秘蔵PVをUPしたよ!!インディーズの時代のHIPHOPのKREVAをチェックするべき・・・


KREVA
アグレッシ部


KREVA(クレバ、本名:畠山 貴志(はたけやま たかし)、1976年6月18日-)はヒップホップMC、作詞家、作曲家。血液型:O型。東京都江戸川区出身、東京都立国際高等学校、慶應義塾大学環境情報学部卒業(SFC) 。ヒップホップグループ、BY PHAR THE DOPEST及びKICK THE CAN CREWのMC兼トラックメイカー。FUNKY GRAMMAR UNIT、神輿ロッカーズの一員。所属レコード会社はポニーキャニオン。所属レーベルはKnife Edge。

名前の由来は英単語clever(「ずる賢い」の意)から。

来歴

アンダーグラウンドでの活動では、CUEZEROと共にBY PHAR THE DOPESTの活動を長く勤め、アルバム『BY PHAR THE DOPEST』をリリースするまでに至る。

1997年からLITTLE, MCUとともに活動を開始したKICK THE CAN CREWでは、MCとほぼすべての曲のトラックメーキングを担当。2002年には「マルシェ」でNHK紅白歌合戦出場を果たす。

即興でリリックを作りラップをするフリースタイルのスキルには定評がある。

1999年から2001年の間、HIP HOP界の頂点を決めるイベントである「B-BOY PARK」のMCバトルにて史上初の3連覇を達成し、殿堂入りを果たした。特に2001年は、KREVAを意識したラッパーが続出する中での堂々たる優勝であった(2002年以降は、選手としては不参加)。

2004年6月、日比谷野外音楽堂での2daysライブを最後にKICK THE CAN CREWの活動を休止。同年、自らを「新人クレバ」と称し、インディーズからシングル「希望の炎」を自身の誕生日6月18日にリリース。そして9月8日、ポニーキャニオン内レーベルの"Knife Edge"から、シングル「音色」でメジャーデビューし、本格的なソロ活動を開始。10月には2ndシングル「ひとりじゃないのよ」、11月には1stアルバム『新人クレバ』をリリース。

2005年、インディーズデビューから約一年を経て、「新人クレバ」から「KREVA 2nd season」と銘を変え更なる活動を展開。「ファンキーグラマラス feat.Mummy-D(マボロシ/Rhymester)」、「イッサイガッサイ」、「スタート」、「国民的行事」と前年を超える4枚のシングルをリリースした。

2006年2月1日にはアルバム『愛・自分博』をリリースし、2006年2月13日付けで、HIP HOPソロアーティストとしては初となるオリコンウィークリーチャート1位を獲得した。 同アルバムのツアーである「KREVA TOUR 2006 愛・自分博 〜国民的行事〜」を名古屋、札幌、大阪、仙台、広島、福岡、東京で開催し、最終公演の東京では、こちらもまた邦楽ヒップホップソロアーティスト初となる日本武道館公演を果たす。 9月、「SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2006」で10年振りにBY PHAR THE DOPESTとしての活動を再開。シングル「恥じゃない」、アルバム『だからどうした!』を発売。収録曲全部が、生まれ年である1976年の楽曲をサンプリングしたトラックで構成されている。

2007年5月からは、TOKYO FM及びJFNのヒューマン・コンシャス・プロジェクトの一環として、久保田利伸とのツアーを実施し、久保田利伸 meets KREVA名義でコラボレーションシングルをリリースする予定である。また、6月からはヒップホップソロアーティストとしては初となる大ホールツアーとして「KREVA CONCERT TOUR '07 SEASON-1『意味深』」を東京、名古屋、大阪、福岡で実施する。

MC以外にも幅広い才能を見せている。平井堅、小柳ゆきなど様々なアーティストの楽曲のリミックスや客演を行い、また近年、CUEZERO、 SONOMIを率いて自らのレーベル「くレーベル」を発足し、プロデューサーとしても活躍している。DJ TATSUTAと結成した顔PASSブラザーズ、BLAST RAMPAGEの千晴と結成したストレスFREEとしても活動している。

KICK THE CAN CREWとしてのメジャーデビュー以前の2000年には、映画『ケイゾク』のオープニング/エンディングテーマ、ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の音楽を担当した。以降、堤幸彦監督作品には度々起用され、2006年にはドラマ『輪舞曲』の音楽も担当。

音楽以外の活動としては、2005年3月公開の映画『ローレライ』では小松春平役で俳優として映画出演。また、KICK THE CAN CREW時代からのスタッフ等で構成されるサッカーチーム「東京忍者」の代表でもある。

原宿のブティック「CRIB」のスタッフでもあり、同店から発売されるTシャツとタイアップしたCDを製作するなどの活動も行っている。

KREVA(THE SHOW)
KREVA(江戸川ロックオン)
KREVA(My Life)
KREVA(音色)
KREVA(スタート)
KREVA(LIVEで切れまくり)
KREVA(アグレッシ部)
KREVA(涙止まれよ)
KREVA(MC BATTLE 2000)
KREVA&ファンキーグラマラス(マボロシ)
KREVA(Have a Nice Day)
KREVA(お祭クレバ)
KREVA(国民的行事)
NEO&KREVA(Tiny Honey)
KREVA(ひとりじゃないのよ)
KREVA(希望の炎)
KREVA(H.A.P.P.Y)
KREVA(イッサイガッサイ)
KREVA(BY PHAR THE DOPEST)













2007⁄05⁄02 10:33 カテゴリー:KREVA comment(0) trackback(1)
▲pagetop








 宇多田ヒカルのアメリカでしか活動してないUTADA新作PV「This Is Love」やレコード限定「Fly Me To The Moon」をUPしましたよ(☆Э☆//)絶対に観なきゃ損だよ


宇多田ヒカル
Flavor Of Life


宇多田ヒカル(うただ ひかる、1983年1月19日 - )は、日本の女性シンガーソングライターである。本名:宇多田 光(読みは同じ)。アメリカ合衆国ニューヨーク州出身。身長158cm。血液型A型。コロンビア大学中退。生地主義のアメリカ合衆国で生まれ、日本人の両親を持つため、日米二重国籍が認められていた。日本の国籍法では22歳までに国籍を選択することを定めているが、2005年を過ぎても宇多田の国籍選択宣言については一切報道されていない。

演歌歌手であった藤圭子の娘としても知られる。愛称は「ヒッキー(Hikki)」で、ニューヨーク時代に友人からつけられた。邦楽において、他の追随を許さない独自の音楽性によってカリスマ的な存在感を持ち、「日本の歌姫」と称されるほどの実力派女性シンガーソングライターである。 また、身近な出来事の中にある深層心理を描いた歌詞世界は宇多田ヒカル独特の雰囲気を形作っている。 10代から40代と幅広い人気を誇るシンガーである。

所属事務所は「U3MUSIC」で、父親で音楽プロデューサーの宇多田照實がU3MUSICの代表取締役で、母親で演歌歌手の藤圭子はU3MUSICの役員として所属し、宇多田一家の音楽活動およびそのサポート業務を行っている。レコード会社は主に東芝EMI。


米国居住時代の1993年、U3(父:宇多田照實と母:藤圭子とのファミリーユニット)名義で『star』を発表。また同じく米国で1997年にCubic U(宇多田家の3乗の意味)としてソロシングル『Close To You』とアルバム『Precious』を発表。なお、日本では1996年に「藤圭子 with cubic U」としてシングル『冷たい月〜泣かないで〜』を発表、1998年5月28日に「Cubic U」としてNHK-BS2の番組「真夜中の王国」にテレビ初出演をしている。

1998年12月、宇多田ヒカルとしてシングル『Automatic / time will tell』でデビュー。プロモーションはラジオ出演のみだったが、印象的なR&Bのサウンドやプロモーションビデオ、また宇多田が弱冠15歳で作詞作曲を手がけ、アメリカでデビューしている帰国子女である事や、かつての演歌歌手・藤圭子の娘だという事など、多くの話題性で一気にその存在を強く印象づけた。その結果、デビュー曲でいきなりのミリオンセールスを記録。

1999年3月、1stアルバム『First Love』を発売。日本で860万枚以上(オリコンの売り上げデータは765万枚)、国外を含めると970万枚以上を出荷し、国内アルバム売り上げ史上歴代一位となる超メガヒットとなる(現在もこの記録は破られていない)この年に帰国し、活動拠点を日本に移す。それまでラジオ以外メディア露出はほとんどなかったが、6月18日の「ミュージックステーション」を皮切りに、「HEY!HEY!HEY!」「SMAP×SMAP」などのテレビ番組にも出演。いずれも番組最高視聴率を叩き出した。

2000年、調布市野水のインターナショナルスクール「アメリカンスクール・イン・ジャパン」を12年生で卒業し、米国の名門コロンビア大学に入学。その後、約1年で退学。同大のジェラルド・カーチス教授の発言により退学していたことが露呈するまでの間、日本国内では2002年から休学中であるという風に思われていた。「大学には私がおばあちゃんになったら戻るかもね」との発言をしている(アメリカの大学制度は、一度入学して在籍すると、復学が日本と違い容易。スティーブン・スピルバーグは、中途退学後に復学して卒業した。デーブ・スペクターによると、アメリカでは社会人の復学が多いとのことである。)。

2000年7 月、初めての全国ツアー「BOHEMIAN SUMMER〜宇多田ヒカル Circuit Live 2000〜」を開催。7月1日の国立代々木競技場第一体育館を皮切りに、全国10ヶ所で開催。徳島公演の際には腰痛でダウンするという緊急事態もあったが、見事乗り越え、名古屋レインボーホールでの最終公演の後、千葉マリンスタジアムで3日間にわたって追加公演を行った。いずれの公演のチケットもプラチナチケットと呼ばれ、電話予約開始から瞬時に完売、ネットオークションなどで高値で広く出回った。千葉マリンスタジアム3日目の公演では、この日のためにJam_and_Lewis が初来日し、演奏に参加した。“最初で最後の全国ツアー”などとうたわれたが、2006年夏に2度目のツアーを開催した。

2001年3月、2ndアルバム『Distance』を発売。発売日が浜崎あゆみのベストアルバム『A BEST』と重なり、「歌姫対決」と話題を集める。結果『Distance』の発売一週間の売り上げ枚数はオリコンで300.3万枚(邦楽アルバム初動売上1位)、プラネットで262.9 万枚、サウンドスキャンで244.3万枚を記録し、日本の3大チャートのすべてで宇多田が浜崎を上回った。最終的に双方とも売り上げ400万枚を超える大ヒットとなり、結果的には宇多田が勝利した。売り上げ約450万枚(オリコン)。オリコン年間アルバムチャート1位獲得。

2001年7月、Tezuka Osamu @ Cinema企画のインターネットアニメ「ブラック・ジャック」で、ピノコ役の声優に起用される。声優の仕事は本人初の試みである。

2002年1月、アメリカ合衆国のレコード会社「Island Def Jam Music Group」と契約。アメリカでのアーティスト名を「Utada」とし、本格的に米国進出を果たす。

2002年4月、卵巣腫瘍(良性)と診断され摘出手術を受ける。テレビ出演などプロモーション活動の中止を余儀なくされ、出演予定だった「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングは、急遽父親宇多田照實が代理で出演。術後も薬の副作用で体調が思わしくなくしばらく休養。

2002年6月、3rdアルバム『DEEP RIVER』発売。テレビ出演はなかったが、雑誌・ラジオ番組でプロモーション活動を行った。発売一週間の売り上げ枚数はオリコンで235万枚、プラネットで189万枚を記録した。売り上げ約360万枚(オリコン)。オリコン年間アルバムチャート1位獲得。

2002年9月6日、写真家で映画監督の紀里谷和明(きりや かずあき、1968年4月20日 - )と電撃結婚する。

紀里谷はアルバム『Distance』のCDジャケットや『traveling』『光』『SAKURAドロップス』3rdアルバムのタイトル曲となった『Deep River』などのプロモーションビデオを手がけた。

2003年1月19日、自身20歳の誕生日に、ライブストリーミング・イベント「20代はイケイケ!」を開催。トークの他ミニライブも行われ、井上陽水の「少年時代」のカバーなど全3曲を披露。約2130万件という驚異のアクセス数を記録している。

2004年3月、コンピレーションアルバム『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1』を発売。4週以上に渡ってオリコン1位を独走。250万枚以上のセールスを記録し、年間アルバムチャート1位に。

2004年2月、3日/4日/7日/8日/10日に、ライブ「ヒカルの5」開催。武道館での5日間限定ライブ。定員5万人に対して100万件以上の応募があり、プラチナチケットとなった。

2004年4月、シングル『誰かの願いが叶うころ』を発売。夫・紀里谷和明の初監督映画『CASSHERN』のテーマソングで、映画に関しては自ら音楽番組などでプロモーションに務めたおかげで興行的に成功したが、内容については評価が分かれた。

2004年10月、幾多の延期を経てアルバム『EXODUS』で全米メジャーデビュー。収録曲「Devil Inside」のリミックスシングルがダンスチャートで1位を記録するものの、アルバム自体はビルボードチャートで最高160位。2005年10月には同アルバムで全英デビュー。日本では全米発売から4週間早い2004年9月8日に先行発売され、全英語詞にも関わらずミリオンセラーを記録するヒットとなった。オリコンチャートで1位獲得。これ以降、日本でのシングルリリースがしばらく見られなくなる。

2005年9月にシングル「Be My Last」を発売し、その後も立て続けにシングルを発売。再び日本での活動が盛んになった。また、プロモーションで出演したTV番組内で「去年診断された、慢性すい炎が少し良くなっていた。」と明かした。卵巣の摘出手術以降も体調はすぐれないものと思われる。2月リリースの「Keep Tryin'」は200万ダウンロード突破。その後NHKみんなのうたで、ぼくはくまが起用される。
「誰かの願いが叶うころ」「Be My Last」「Passion」「Keep Tryin'」など、最近のシングルは作詞・作曲に加え編曲も宇多田自身が担当しており、活動の範囲を確実に広げている。NHK「トップランナー」では“シンガーソングライター”ではなく“音楽家”として紹介された。

2006年6月14日、4年ぶりとなる4枚目のオリジナルアルバム『ULTRA BLUE』リリース。この発売に先駆け、収録曲「This Is Love」を配信限定シングルとして販売した。このアルバムは初動50万枚を突破し、1stアルバムからの初動50万枚突破記録を更新し、歴代1位となった。オリコン2週連続1位獲得。

2006年、6年振り2度目となる全国ツアー「UTADA UNITED 2006」を開催。7月1日の宮城県総合体育館からスタートし、9月10日の代々木体育館まで全国11箇所全22公演行われた。国内でリリースされた曲の他にUtada名義でリリースした曲も披露し、まさに“集大成”となった。演出にはアリーナクラス最大規模のLEDを使い、夫・紀里谷和明もこれに演出監督として参加している。7月28日には、ZEPP大阪で限定シークレットライブ「One Night Magic」を開催。12時間の応募期間にも関わらず1万通を超える応募があり、プラチナチケットとなった。

テトリスが好き。本人曰く「5才の頃から毎日プレイしている」ためか腕はかなりのもので、ニンテンドーDS版では、カンストを達成している。2006年8月、任天堂が主催したイベント「宇多田ヒカルとテトリス対決!!」に参加。抽選で選ばれた一般者とテトリス対決を行い、26勝4敗という好成績を残した。テトリス開発者との対決も行い、1勝1敗。また、「テトリスはスポーツ」と発言している。

2007年3月3日、仕事などお互いの生活のすれ違いを理由に夫・紀里谷和明と3月2日に離婚したことを、U3MUSIC公式サイトの日記「Message from Utada Hikaru/Utada」にて報告した。

宇多田ヒカル(ミラクルヒカル)
宇多田ヒカル(僕はくま)
宇多田ヒカル(Kiss & Cry)
宇多田ヒカル(離婚後)
宇多田ヒカル(MTVでごはん)
宇多田ヒカル(ゴールデン・エラ)
宇多田ヒカル(冷たい月)
宇多田ヒカル(This is Love)
宇多田ヒカル(Wait & See 〜リスク〜)
宇多田ヒカル(USA)
宇多田ヒカル(First Love)
宇多田ヒカル(ビルボード)
宇多田ヒカル(誰かの願いが叶うころ)
宇多田ヒカル(結婚式)
宇多田ヒカル(FINAL DISTANCE)
宇多田ヒカル(SAKURAドロップス)
宇多田ヒカル(Passion)
宇多田ヒカル(THANK YOU)
宇多田ヒカル(Exodus 04)
宇多田ヒカル(Keep Tryin')
宇多田ヒカル(Close to You)
宇多田ヒカル(Addicted To You)
宇多田ヒカル(COLORS)
宇多田ヒカル(海路)
宇多田ヒカル(子供たちの歌が聞こえる)
宇多田ヒカル(Be My Last)
宇多田ヒカル(Nintendo DS テトリス)
宇多田ヒカル(SMAPxSMAP)
宇多田ヒカル(traveling)
宇多田ヒカル(Compilation 2007)
宇多田ヒカル(You Make Me Want to Be a Man)
宇多田ヒカル(Movin' on without you)
宇多田ヒカル(Can You Keep A Secret?)
宇多田ヒカル(日曜の朝)
宇多田ヒカル(光)
宇多田ヒカル(I Love You)
宇多田ヒカル(Easy Breezy)
宇多田ヒカル(愛の歌)
宇多田ヒカル(Devil Inside)
宇多田ヒカル(Fly Me To The Moon)














2007⁄05⁄01 16:35 カテゴリー:宇多田 ヒカル comment(0) trackback(2)
▲pagetop










| HOME | next »

★ プロフィール

Author:音色10
FC2ブログへようこそ!


★ 最近の記事


★ 最近のコメント


★ 最近のトラックバック


★ 月別アーカイブ


★ カテゴリー


★ FC2ブックマークに追加する

FC2ブックマークに追加

★ FC2カウンター


★ ブロとも申請フォーム


★ ブログ内検索


★ RSSフィード


★ リンク


★ By FC2ブログ


▲pagetop


Copyright © 2007 音楽三昧. All Rights Reserved.
template&material by nekonomimige
FC2ブログ
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
SEO対策:音楽 SEO対策:オリコン SEO対策: SEO対策:シングル