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 数々の音楽の中から毎週ベスト20位を決めて更新しま~~す。 新作から旧作までの邦楽を幅広く詳しく掲載します!! レアな映像などもチェックしてくださいね。
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 リア ディゾンのアメリカでの暴露映像!!問題のAVデビュの裏動画や手ブラ中にハプニング動画もUPだよ(lll´▽`lll)


リア・ディゾン
手ブラでセクシーダンス中にハプニング


リア・ディゾン(Leah Donna Dizon, 1986年9月24日 - )は、
アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス出身の歌手、モデル、レースクイーン。
フランス系アメリカ人の母と中国系フィリピン人の父とのハーフ。六人兄弟の次女であり、兄が二人、姉が一人、弟が二人いる。
弟のBrad Dizonとはナムコの3D格闘ゲーム、鉄拳の良き対戦相手。
日本での活動の為、日本語を勉強中。習得まではいかないものの片言で最低限の意思の疎通は出来る模様。自ブログにおいてローマ字表記の日本語の簡単な文章を披露。(2006年12月現在)
好きな本は『SAYURI』、『ヴァージン・スーサイズ』、『ライ麦畑でつかまえて』等。
好きな食べ物はキムチ、焼き肉、フォー、果物、野菜等と、アジア料理が多く見られる。
好きなミュージシャンとしてRed Hot Chili PeppersやDEFTONES、KORN、ニルヴァーナなどのハードロック系の他に、X JAPAN、森山直太朗、宇多田ヒカル、安室奈美恵などの邦楽アーティストがあげられているが、これは日本人ハーフの従姉妹の影響と思われる。
ペットはハムスターの「ハムちゃん」。
もともとは歌手志望。モデルの仕事は、歌手になるための下積み・バイトとして始めたのがきっかけ。
好きなミュージック・ビデオは椎名林檎の「歌舞伎町の女王」。特に間奏の、椎名による口笛の部分が好きであるとMTVM size内にて発言している。

アメリカで立ち上げた自分のウェブページに自身の写真を掲載したところ、世界中からアクセスが増加。特に日本からの支持が多く、中でもルーズソックスでセーラー服の写真が話題になり日本のインターネット上で件の画像が瞬く間に増殖、至る所に貼られ、来日を期待するメールが連日寄せられるようになる。その事が後押しとなり、自分でプロモーション用のデモビデオを撮影・作成し、日本の芸能プロダクションにメールする。この時、日本語は全く話せなかったが、ビデオの中で安室奈美恵の『I WILL』を日本語で歌っている。将来性を見込んだスカイコーポレーションによって日本に呼び寄せられ2006年春に来日。「グラビア界の黒船」との謳い文句で、日本でデビューするきっかけを掴む

2007年1月31日放送回の「ロンドンハーツ」(テレビ朝日)で、日本に来て初めて見たテレビ番組は同番組で、青田典子が歌っている企画だったと言う事を告白。また、青木さやかと田村淳のファンである事も同時に告白した。ただ、淳をロンドンブーツ1号2号だと言う事を知らず、ピンだと思っていた模様。その為、淳の相方・田村亮に突っ込まれたが、知らない人に突然、突っ込まれ(本人は怒られたと思った)、少々ご立腹だった。この回では「オシャレゲート」という企画に出演し、ファッションモデルのSHEILAにファッションチェックを受け同氏は熱弁したものの、まだ完璧に日本語を理解しているわけではないので、本人はキョトンとしていた。この回のオシャレゲートはリアのみだった。
「うぇぶたま」に出演したとき、きぐるみ「ジャッピー(バナナマンの日村)」に胸を触られる。
2007年2月9日、インターネットテレビGyaO内の番組、GyaOジョッキーに生出演。1時間番組の予定であったが番組途中にアクセス過多でサーバーがパンクする。
(同じ番組企画でサーバーがパンクしたのはGackt以来との事)

リア・ディゾン(SEX経験を暴露)
リア・ディゾン(飲み会)
リア・ディゾン(お宝映像)
リア・ディゾン(乳首流出??)
リア・ディゾン(全裸に)
リア・ディゾン(え?????)
リア・ディゾン(もう・・・丸見え)
リア・ディゾン(もう我慢できないディゾちゃんん)
リア・ディゾン&しょこたん(ユメレジ)
リア・ディゾン(ギリギリ!?)
リア・ディゾン(M字開脚)
リア・ディゾン(KOBE COLLECTION)
リア・ディゾン(入浴シーン)
リア・ディゾン(問題映像)
リア・ディゾン(デビュ前の素顔)
リア・ディゾン(今日の下着)
リア・ディゾン(ネットTVで暴露)
リア・ディゾン(Softly)
リア・ディゾン(もう我慢の限界)
リア・ディゾン(恋をしよう♪)
リア・ディゾン(水着が透けて)











2007⁄05⁄23 15:20 カテゴリー:リア ディゾン comment(21) trackback(222)
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 平井堅の海外限定PVやファンクラブ限定LIVEなんかもUPしたよ( 。・_・。)人(。・_・。 )


平井堅
君の好きなとこ

平井堅(ひらい けん、1972年1月17日 - )は、日本の男性シンガーソングライター。大阪府出身。身長183cm。

大阪府生まれで三重県名張市育ち。昔、「ひらまん」というあだ名で呼ばれていた。三重県立上野高校を経て、横浜市立大学卒業。姉、兄の仲良し三人兄弟。実家の愛犬はトイプードルの「ハッピー」。カラオケ好きである。

大学在学中に、Sony Music Entertainment Auditionに自作ビデオを応募し、入選したのをきっかけに1993年ソニーレコードと契約。1995年CDデビュー。1枚目のシングルは三谷ドラマ「王様のレストラン」のタイアップであったものの、その後目立ったヒット曲に恵まれず、一時期はシングルの出荷枚数が1万枚という時期さえあった。この間は、地元FM三重の番組でパーソナリティをつとめたり、東京MXテレビの「電リク!BeatBox」の司会をつとめていた(デビュー翌年には「オールナイトニッポン」のジングルを担当していたことも)。しかし2000年、これが売れなければ契約打ち切りという背水の陣でリリースした8枚目のシングル『楽園』のテレビコマーシャルに女優の江角マキコが出演。これによってワイドショーなどに大きく取り上げられたことや、FM各局でも楽曲が注目されて大ヒットし、一躍時の人となる。江角が同じ研音所属であることから、研音のマーケティング戦略が見事に成功した例とも言えよう。

容貌は、彫りの深い顔立ちと濃いひげが特徴的。このためかテレビに出始めた頃、共演者に「日本語お上手ですね」と言われたことや、飛行機(国内線)に乗った際、客室乗務員から英語で話しかけられたことがある。また、長身でモデル並みにスタイルもよく、2001年には、第30回ベストドレッサー賞(芸能部門)受賞、2005年にはデビュー10周年を記念し、初の写真集『歌バカ一代』を学研より10万部限定で発売。性別にかかわらずリアルに共感できる繊細さの秀逸な表現力と、歌唱力は稀代のもので多くのファンに支持されている。また、自身のラジオ番組で松田聖子や松浦亜弥のファンであることを公言するなど、意外とミーハーな面も持っており、親近感を持つ人が多く、男性にもファンが多い。関西弁を話し、「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」などでは司会のダウンタウンを相手に軽妙なトークを展開することが多い。インタビューなどに対して、腰の低い態度と関西人らしい笑いを含めた返答をするところも見所である。

サザンオールスターズの大ファンであり、学生時代はコピーバンド「NO-NAME(サザンのシングル『EMANON』の逆さ読み)」を組んでいた。また桑田佳祐の自宅の門の上に、「コーラスでいいので雇ってください」とメッセージを添えたデモテープを置いて行ったという過去を持つ(ミュージックステーション出演時に発言)。このテープに関し桑田は「つめが折ってなかったから、EXILE録っちゃった」と冗談交じりに発言している。2003年の「FNS27時間テレビ~みんなのうた」内の『桑田佳祐の音楽寅さん~MUSIC TIGER~サザンオールスターズスペシャル』では、桑田・原由子と共にサザンの『栞のテーマ』をハモり、夢の共演を果たした。さらに、2ndシングル『片方ずつのイヤフォン』の歌詞には“Southern All Stars”が登場し、アルバム『Ken's Bar』ではKUWATA BANDの『ONE DAY』をカバーしている。しかし同時に平井は、自身の声質や歌唱スタイルが桑田のそれとは全く違うことを自覚しており、桑田の模倣とはせず独自の歌唱法を身に付けた為、平井のオリジナル曲にその影響は殆ど見られない。
デビューの年には、母校上野高校の学園祭でコンサートを行なっている。アンコールでは、その独特の歌いまわしでアレンジした校歌を披露した。またこの時、母校の財政事情を心配した平井は、本人が本来受け取るはずだった一切のギャラの受け取りを拒否した。


平井堅(君の好きなとこ)
平井堅(楽園)
平井堅(センチメンタル)
平井堅(why)
平井堅(笑顔)
平井堅(バイマイメロディー)
平井堅(Precious Junk)
平井堅(青春デイズ)
平井堅(思いがかさなるその前に…)
平井堅(片方ずつのイヤフォン)
平井堅(顏)
平井堅(Precious Junk)
平井堅(LOVE OR LUST)
平井堅(キミはともだち)
平井堅(ドシャブリ)
平井堅(楽園)
平井堅(Ring)
平井堅(大きな古時計)
平井堅(バイマイメロディー)
平井堅(HEAT UP)
平井堅(Strawberry Sex)
平井堅(KISS OF LIFE)
平井堅(Love Love Love)
平井堅(哀歌)
平井堅(Miracles)











2007⁄05⁄19 09:04 カテゴリー:平井堅 comment(0) trackback(2)
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 ↑THE HIGH-LOWS↓の解散にて甲本ヒロトがインタビュー!!ファンならずとも気になる人はチェックしてみてくださいね(lll/▽\lll)


↑THE HIGH-LOWS↓
夏なんだな

↑THE HIGH-LOWS↓(ザ・ハイロウズ)は、1995年に結成された日本のロックバンド。バンド名の由来は、ギター担当の真島昌利がある日突然ひらめいた単語であるといわれる。また、ギアのハイとローという説もある。
2005年11月11日、活動休止を発表したが、実際は休止ではなく解散していた。

メンバー
甲本ヒロト 愛称・ヒロト(こうもと ひろと、1963年3月17日)ボーカル、ブルースハープ、ギター、作詞、作曲
岡山県岡山市出身 元コーツ、ザ・ブルーハーツ、現ザ・クロマニヨンズ

真島昌利 愛称・マーシー(ましま まさとし、1962年2月20日)ギター、コーラス、作詞、作曲
東京都小平市出身 元ザ・ブレイカーズ、ザ・ブルーハーツ、現ザ・クロマニヨンズ

調先人 愛称・べっちゃん(しらべ さきと、1963年9月14日)ベース
福岡県朝倉市出身 元バサラ、ミン&クリナメン他 現セルキー・アランドロン

大島賢治 愛称・おーちゃん(おおしま けんじ、1964年12月30日)ドラムス
東京都西東京市出身 The ブドーカンのドラマーとしてデビュー、元ザ・ブルーハーツディレクター、2・3'S(ニーサンズ)他 現セルキー・アランドロン

白井幹夫 愛称・ミッキー(しらい みきお、1950年5月31日)キーボード
東京都港区芝出身。 ザ・ブルーハーツのサポートメンバー。※2003年脱退。現在は、ソロおよびTHE BIG HIPのメンバーとして活動中。自身の公式ホームページを持っている

1995年に解散したパンクロックバンド、ザ・ブルーハーツの主要メンバーであった甲本ヒロトと真島昌利を中心に結成された。ブルーハーツ解散後、ちょうどバンドを組もうとしていた真島がブルーハーツ関係者であった大島と白井を誘い、ボーカリストが見つからず、甲本を誘ったのがバンド結成の経緯である。当初は主に学園祭を中心に活動していたが、シングル『ミサイルマン』で正式にデビュー。ブルーハーツに比べ意味不明な歌詞や硬質のロックにファンは戸惑いを憶えたが、活動を重ねるごとに人気を集めていった。

ブルーハーツとハイロウズの決定的な違いは、サウンドの厚さや歌詞である。意味よりも強度を意識した歌詞が目立ち、サウンドはブルーハーツの時よりも厚みが増し、テンポの速い曲が多くなった。具体的なメッセージを読み解きにくい歌詞、厚みを増したサウンドのせいか、好き嫌いの分かれるところがある。ファンの間では、メッセージを読み解きやすい歌詞の楽曲に人気が集まる傾向がある(「千年メダル」、「青春」、「日曜日よりの使者」、「14才」など)。しかし一見でたらめな歌詞から意味を読み解こうとするファンも少なくはない。

ファンクラブ等の業務上の手続きのため、2005年11月に活動休止を発表。「休止とか解散とか、言葉なんかどっちでもいい。10年間やってたバンドを、今はやっていないだけ。」と甲本。三谷幸喜の映画のために書き下ろした曲を、ハイロウズでやるために準備をしていた矢先にバンドが活動休止になった、大島や調が決定権を持って辞めようと言ったわけじゃない、という甲本の発言からバンドの休止(解散)を言い出したのは真島だと思われる。その理由について真島は、(バンドが)活気を失った感じがした、と発言。(失った活気を)取り戻すために何かするのは、それ自体おかしなこと。バンドを存続させていくことに意味を感じてない、という甲本が同調して事実上、ハイロウズは解散した。 ただし現在でも公式には解散ではなく、活動休止となっている。

↑THE HIGH-LOWS↓(サンダーロード)
↑THE HIGH-LOWS↓(青春)
↑THE HIGH-LOWS↓(解散について)
↑THE HIGH-LOWS↓(SOTOデナ)
↑THE HIGH-LOWS↓(Too Late To Die Fuji Rock 2002)
↑THE HIGH-LOWS↓(スパイダー・ホップ)
↑THE HIGH-LOWS↓(フルコート)
↑THE HIGH-LOWS↓(不死身の花)
↑THE HIGH-LOWS↓(いかすぜOK)
↑THE HIGH-LOWS↓(荒野はるかに)
↑THE HIGH-LOWS↓(夏なんだな)
↑THE HIGH-LOWS↓(ロッキンチェアー)
↑THE HIGH-LOWS↓(日曜日よりの使者)
↑THE HIGH-LOWS↓(ハスキー)
↑THE HIGH-LOWS↓(甲本ヒロト 解散について)
↑THE HIGH-LOWS↓(一人で大人 一人で子供)
↑THE HIGH-LOWS↓(ミサイルマン)
↑THE HIGH-LOWS↓(月光陽光)
↑THE HIGH-LOWS↓(真夏のストレート)
↑THE HIGH-LOWS↓(罪と罰)
↑THE HIGH-LOWS↓(ニューヨーク)
↑THE HIGH-LOWS↓(14才)
↑THE HIGH-LOWS↓(千年メダル)
↑THE HIGH-LOWS↓(俺たちに明日は無い)










ジャンル:音楽 テーマ:LIVE、イベント
2007⁄05⁄18 08:00 カテゴリー:↑THE HIGH-LOWS↓ comment(0) trackback(0)
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 アメリカ限定のPVや秘蔵映像の「Run! Puffy! Run!」&「Hi Hi Puffy」なんかの映像&PVをUP。日本では観れない映像ばかりだよ( σOσ)o_彡☆


PUFFY
働く男

パフィー(PUFFY)は、大貫亜美、吉村由美の2人から成る日本の女性歌手デュオである。複数名の歌手から成るグループは、巧みなハーモニーを駆使する事が殆どだが、「パフィー声」と称される、2人の声が渾然一体となった独特のユニゾン唱法を用いるのが特徴である。ソニー・ミュージックアーティスツ属。2002年からは北米ツアーを行い、アメリカ合衆国やカナダに於いては"Puffy AmiYumi"(パフィー・アミユミ)名義で活動している。

東京出身の大貫は、高校在学中に男子生徒と結成したロック・バンド、ハノイ・セックスでカバーしたハノイ・ロックスの曲のデモテープを、「落選通知を受け取る為に」ソニーのオーディションに送った。結果は意外にも合格であったが、応募動機から判る様に気軽なアマチュアバンドであったハノイ・セックスは、進学準備の為解散してしまった。大貫もまた、志望職種であったスチュワーデスに必要な英語学習の為進学を決めたが、彼女の声質に魅力を感じたソニーのスタッフに説得され、神田外語学院に通う傍らソニー・ミュージック・アーティスツ(SMA)に所属して歌唱指導を受ける等、ソロ歌手としてデビューへの準備を進めていた。

大阪出身の吉村は、当時所謂ヤンキーで、高校を中退して鉄筋工等のアルバイトを転々とする、フリーターの生活を送っていた。特に音楽等の文化活動は行っていなかったが、彼女の優れた容貌を惜しんだ知人によって、ソニー主催「ちょっとそこまでオーディション」に推され、大貫同様、意外にも合格した。どの様な類の芸能活動を行いたいか、と言うソニー側の質問に「歌手」と答えた吉村は、SMA所属のアーティストとして大阪を離れ上京する事になった。

SMAの事務所で初めて対面した大貫と吉村は、互いに魅力を感じたが、双方の内気な性格から当初は打ち解けなかった。僅かに年長の大貫に対し、吉村が敬語で対応する様な関係が暫く続いた。しかし、歌手として抽んでた能力を持てぬままデビューを待つと言う、同じ境遇にあった両名が抱える不安の解消先が互いの友情に求められる様になり、吉村が大貫の実家に出入りするまでに親密な関係となった。更に、音楽活動に於いても、デュオとして行うことで困難に対処出来ると考える様になった両名は、事務所にこれを提案し、既に大貫のソロ音源(後に吉村のソロも作られ、大貫亜美吉村由美名義のアルバム『solosolo』として発表された)が録音されていたにも関わらず、特に議論される事無く容れられた。同じ事務所に所属する奥田民生がプロデュースに関心を示していた事から、二人は彼に託される事になった。

その頃、米国のロックバンド、ジェリーフィッシュが来日公演を行っていた。そのドラムスを担当し、優れた作曲家でもあるアンディー・スターマーは、才能を認め合う関係である奥田を通じて、SMAと関係があった。バーで大貫と吉村のマネージャーからグループ名の案を求められたスターマーは、"The Puffy"を提案し、これが採られた(後にTheは削られた)。

パフィーとなった大貫と吉村は、ラジオ番組を持つ、真心ブラザーズ『サマーヌード』のミュージック・ビデオに客演する(この時はトレードマークのジーンズではなく、スカート姿だった)、奥田の下でアルバム制作を進める、等を行っていたが、1996年5月、プロデュースと作曲を奥田、作詞を井上陽水が担当したシングル『アジアの純真』でメジャーデビューした。ELOに影響された、煌めく様な曲調と、不可解な歌詞を持つこの曲は、極めて高い音楽性と普遍性、何より気さくなユーモアを備えており、それをジーンズにTシャツ姿のパフィーが、「自然体」「脱力系」等と評された、力みの無い、しかし計算されたパフォーマンスで表現した。これは、当時Jポップシーンを席巻していた小室ファミリーの緊張感や露骨な向上心の対極に位置する物であり、僅かな市場の隙間かと思われたそのニッチは、実はかなり大きな物であった事が、小室ソングに馴染めない、或いは飽き足らない部分を持つユーザーによる支持が生んだ、『アジアの純真』のミリオン・ヒットと言う形で示された。

勢いに乗ったパフィーは、『アジアの純真』を収録したアルバム『amiyumi』、2ndシングル『これが私の生きる道』と相次いで奥田による質の高い作品を発表し、その年の音楽新人賞を総なめにした。NHK紅白歌合戦にも出演が確実視され、実際にNHK側からもオファーがあったのだが、当時レギュラー出演していたsaku saku morning call(TVKテレビ)の年末特番への出演が先に決定していた為、辞退した。ローカル局の為に紅白の出演を蹴った事で「天下のNHKがTVKテレビに負けた」と報道された。尚、この時は吉村が出演直前に自転車事故で左脛骨骨頭剥離骨折による全治6週間の怪我をしてしまった為、saku saku morning callへの出演は不可能となり、番組には大貫のみが出演している。

こうした成功は、単なる音楽的成功と言うより、より広範な文化的成功と呼ぶべき物であり、日本のみならず、台湾等の東アジア地域にも波及した。特に、一部の若い女性達は、パフィーの登場によって、初めて自分を表現出来るスタイルを見出し、安室奈美恵のスタイルを模したアムラーに対し、パフィラーが現れた。とは言え、傾向は大きく異なるものの、安室奈美恵とパフィーは、多くの資本とプロの技術により、巧みに作り出された商品、所謂アイドルであった事に違いは無かった。

しかし、奥田は、パフィーが過去のアイドル達の様に短期間で消費されてしまう事を嫌い、責任ある姿勢で指導に当たった。パフィーもまた、こうした彼の人間性とミュージシャンとしての抽んでた才能を、「先生ちゃん」と呼んで慕った。この様に、基本的には奥田がパフィーのプロデューサーであったが、彼はパフィーが特定の指導者に依って立つことを望まず、1999年のアルバム 『FEVER*FEVER』では、笹路正徳にプロデュースを託した。2003年のアルバム 『NICE.』及び2004年のミニアルバム 『59』では、アンディー・スターマーがプロデュースに当たった。特に『NICE.』では、彼が全ての収録曲を作曲した。それにより、これまでの、複数の作曲者から作品の提供を受け、おもちゃ箱的な多彩さを持つが、ともすれば全体の脈絡を欠いたアルバムから、統一された雰囲気の中から大人の落ち着きを醸し出す、トータル・アルバムとして完成度の高い、パフィー作品の一つの到達点を実現した。

安定して優れた音楽作品を発表し続けた事が、パフィーの人気を確立した主な要因であるが、大貫と吉村のキャラクターとしての魅力も無視出来ない。シングルCDのジャケット等を担当していた、米国のイラストレーター、ロドニー・アラン・グリーンブラットによるキャラクター商品は人気を博した。又、彼は、1997年10月に放送開始されたパフィーの冠番組である「パパパパパフィー」に於ける、スタジオセットのデザインも行った。この番組は、デビュー直後のHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP出演時に、内気な性格と経験不足から何も喋る事が出来ないパフィーに対し、「その様な事では、もし冠番組を持つ事になったら、どうするのか」として、司会の予行演習を行わせようとした松本人志が発した架空のTV番組のタイトルを、そのまま採用して生まれた物であった。この番組が、4年間に渡り毎週放送された事は、デビュー時のブームで獲得した認知度を定着させる上で重要な役割を果たした。ホスト役を務める事で経験を積んだパフィーは、徐々に息のあった話芸を見せるようになった。この番組は、音楽活動と併せて、パフィーの活動の両輪とも言うべき重要な位置を占めた。

又、パフィーを直接キャラクター化したものではないが、コナミの音楽ゲーム『pop'n music』に登場するキャラクター『ミミ(ウサギ)』と『ニャミ(ネコ)』は、明らかに大貫と吉村をモチーフとしていた。

2000年、パフィーは米国テキサス州で行われたロック・フェスティバルSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演した。これは、有望な新人を売り込むショーケース・ギグに類する催しであり、ソニーが擁する日本人アーティストの米国進出のテスト・ケースとして、「本場」のアーティストには見られない個性を持ち、競合を避けられるパフィー達が送り込まれたのである。このSXSWで手応えを掴んだパフィーは、2002年には初の北米ツアーを行い、ソニーの現地レーベルとカナダのBar/None Recordsから、『SPIKE』の現地版と、ベスト盤である『An Illustrated History Of Puffy AmiYumi』を発表し、一定の評価を得た。北米で「Puffy AmiYumi」と名乗るのは、パフィーの愛称を持つラッパー、ショーン・コムズから警告を受けての事である。

2004年には、ツアーを通じてカートゥーン・ネットワークの重役がパフィーの存在を知った事から、同局の「Teen Titans」の主題歌を担当、更にパフィーをモデルにしたアニメ・「Hi Hi Puffy AmiYumi」が制作され、全米で放送された。この番組は低年齢層から高い支持を得て、CN開局以来の高視聴率を記録した。パフィーは、アイドルとミュージシャンの中間点に位置するグループであり、デビュー以来、徐々にアーティスト寄りの方向に進み、『NICE.』で一つの到達点を示していたのだが、"Hi Hi"の成功を受けて、キャラクターとしての魅力を再確認させられる事になった。

2005年、デビュー時から在籍していたEPICレコードからKi/oonレコードへレーベル移籍した。これはソニー・ミュージックエンタテインメント内の配置転換である。また、この年、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」に出演し、ビートルズの「エブリボディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」などを歌った。

2006年1月16日(月)、米国での活躍を認められ、国土交通省が中心となって推進する、2010年迄に日本へ1000万人の外国人旅行者を招こうと言う施策である『ビジット・ジャパン・キャンペーン』の重点市場国の一つである米国に於ける観光親善大使に、国土交通大臣より任命された。又アルバム『Splurge』を発表し、北米ツアー「Splurge! Splurge! Splurge! 2006」を行い、帰国後にロック・イン・ジャパンなどのロック・フェスに参加する等、盛んな活動を続けている。同年結成10周年を迎えた。曰く「こんなに続くとは思わなかった」(10周年記念日比谷野音でのライブMCより)
キャラクターの良さを評価され、近年はCM出演も多くなっている。

PUFFY(ナイスバディー)
PUFFY&東京スカパラダイスオーケストラ(ハズムリズム)
PUFFY(モグラライク)
PUFFY(Teen Titans)
PUFFY(Tokyo I'm On My Way)
PUFFY(ハリケーン)
PUFFY(v.a.c.a.t.i.o.n)
PUFFY(働く男)
PUFFY(アジアの純真)
PUFFY(はじまりのうた)
PUFFY(雪が降る街)
PUFFY(これが私の生きる道)
PUFFY(Hi Hi Puffy 1)
PUFFY(Hi Hi Puffy 2)
PUFFY(Hi Hi Puffy 3)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 1)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 2)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 3)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 4)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 5)
PUFFY(Run! Puffy! Run! 6)
PUFFY(ブギウギ No.5)
PUFFY(MOTHER)
PUFFY(らくだの国)
PUFFY(青い涙)
PUFFY(恋のエチュード)
PUFFY(あたらしい日々)
PUFFY(SUNRISE)
PUFFY(人にやさしく)
PUFFY(ギャル系だらけの大運動会)
PUFFY(ビジュアル系だらけの大運動会)
PUFFY(Joining A Fanclub)
PUFFY(モグラライク)
PUFFY(とくするからだ)
PUFFY(たららん)










ジャンル:音楽 テーマ:女性アーティスト
2007⁄05⁄17 09:00 カテゴリー:PUFFY comment(0) trackback(1)
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 B'zの新曲「永遠の翼」「ロンリースターズ」の新作PVや今では観れない秘蔵PV&LIVE動画なんかもUPしましたよd=(。・。・。)=b


B'z
永遠の翼


B'z(ビーズ、1988年-)は、松本孝弘、稲葉浩志の2人で構成される日本のロックユニット。ビーイング傘下のレーベル、VERMILLION RECORDSに所属。

結成前~デビュー
1987年、音楽制作会社ビーイングに所属し、浜田麻里やTM NETWORKなどのツアーサポートやスタジオ・ミュージシャンとして活躍していたギタリストの松本孝弘が、自身のバンドデビューを目指し、あるボーカリストとバンドを組む事を音楽雑誌で公表した。しかし、そのボーカリストとデビューする事はなかった。
1988年、ビーイング社長で音楽プロデューサーでもあった長戸大幸から1本のデモテープを渡される。そのデモテープには学生時代の稲葉が、T・ボーン・ウォーカーの「T-BORN SHUFFLE」、レッド・ツェッペリンの「YOU SHOOK ME」、ビリー・ジョエルの「Honesty」を歌ったものが録音されていた。
1988年5月に「SOUND JOAKER」という小さなスタジオで初顔合わせした二人は、ビートルズの「Let It Be」、「Oh! Darling」の2曲をセッションした。その後、ユニットを結成し「B'z」としてデビューすることになった。
二人で初セッションした時、機材の故障により結局2曲しかセッションをせずに結成が決まったという逸話もある。2人はデビュー15年以上経った今でも「一緒にやろう!」とはお互い言った事はないと笑いながら話していた。が、93年の『LIVE-GYM '93 "RUN"』の中で、そういえば言っていないなということで、稲葉が「一緒にやろう!」と言った。一方、長戸は「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい」とB'z結成の2、3年前から事あるごとに言い続けていた(B'z初期のFCスタッフ記事より)。
なお、松本は当初4~5人のバンドを組もうとしていたが、なかなかいい人材が見つからず、稲葉の「2人でいいんじゃない?」の一言で2人組になったという。初期のB'zのプロデューサーは中島正雄である。B'zがブレイクした後も中島はスーパーバイザーという肩書きで指揮していた。

結成後~現在
今でこそ国民的ロックユニットと呼ばれているB'zだが、初期の作品は当時人気絶頂期にあったTMNのビーイング版というコンセプトで、ギターサウンドを抑え打ち込みを前面に出したTMNに近いデジタルサウンドであった。当時、本人達は「デジタルでは絶対に音が作れないギターとボーカルを、デジタルビートと融合させる、というコンセプトで活動している」と発言していた。ファッション的にもTMNのスタイルを意識し、TMNを大きく取り上げていた雑誌を中心にプロモーションが行われ、松本はライブやレコーディングにTMNのサポートメンバー時代の仲間、久保こーじを招こうとしていたほどであった。

しかし、デビュー作はチャート100位以内にも入らず全く売れなかった。加えて当時はバンドブームだったため「2人組」という理由だけで音楽番組などに出演させてもらえなかったなど、デビューからしばらくは大苦戦が続いた。ブレイクのきっかけは1989年にリリースしたミニアルバム『BAD COMMUNICATION』である。このミニアルバムに収録された同名の曲が有線で注目され始め、オリコンチャート10位以内には入らなかったものの、163週ランクインすると言うロングヒットを記録。1990年のシングル『BE THERE』で初のトップ10入り、そしてシングル『太陽のKomachi Angel』が初のオリコンチャート1位を記録しブレイクを果たす。

ブレイク以降、次第にロック色を強くしていくこととなる。デジタルビートから、ダンス、生の管楽器や弦楽器を導入したアレンジや、4ピースバンドロックと時代ごとに特徴がある。近年は4~5ピースのロックバンドサウンドであり、サウンドや楽曲展開・構造においてスリム化がなされ、管楽器やダンスビートなど、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム以外の装飾的な音はあまり使用されない傾向にあった。しかし、42nd シングル『SPLASH!』・15thアルバム『MONSTER』からは4ピースバンド形態の曲だけでなく、昔のように打ち込みや管楽器などを用いたサウンドも使っている。これらの詳しい内容、発表されたレコードに関しては後述のディスコグラフィを参照のこと。

ほぼ一年にアルバム一枚をリリース、そしてそれをテーマにしたライブコンサートツアーを同じく年に一度を基本に活動。シングルはデビュー以来毎年リリースされている。

ライブツアータイトルは、一貫して『LIVE-GYM』と銘打っている。彼らのライブツアーには、アルバムツアーと、俗に言う「Pleasureツアー」の2種類ある。
アルバムタイトルツアーではそのツアーの前後に発表されたアルバムからの曲が中心。
Pleasureとタイトルがついたツアーでは、過去のヒット曲を中心に演奏、さらに未発表の新曲も披露していた。
Pleasureツアーは2003年の『LIVE-GYM The Final Pleasure "IT'S SHOWTIME!!" in渚園』の静岡県浜松市の弁天島渚園2daysをもって封印された。その理由として、「アルバムツアーでもヒット曲を演奏するようになったから」と語っている。
「Pleasureツアー」の終了に伴い、「アルバムツアー」の概念も薄くなってきている。
ライブでは、会場の大小問わず松本・稲葉共に常に動き回るエナジェティックなパフォーマンスが高い評価を得ている。
松本と稲葉がそれぞれすべての楽曲の作曲作詞を担当。ただし、1stアルバム『B'z』の中の『Nothing to Change』のみ亜蘭知子が作詞している。同じく同アルバムの『孤独にDance in vain』のみ大槻啓之が作曲している。松本曰く、「当時はあれが限界だった」と語っている。

1990年から1994年まで、B+U+M(B'z UNREAL MUSIC)を結成。これは、ギターとボーカルのみで編成されるB'zだけでは実現できない音楽を実現する目的で結成された音楽集団であった。
音楽的方向性はアルバムや時期ごとに変化しており、初期のころはデジタル打ち込み音とギターによる曲作りをしていたが、次第にロック色を強めていき、シングル『ZERO』や『Don't Leave Me』のころからこれは顕著なものとなっていく。そのために打ち込み音を使用する割合は徐々に減っていき、近年の楽曲はライブ感重視のものとなっている。
4thシングル『BE THERE』以降カップリング曲を単なる添えものと考えず、2nd beat(1曲目は1st beat、3曲目は3rd beat)と呼んでいる。2nd beatには、アルバム未収録ながら人気曲となったり、タイアップがついたりするものもある。2000年2月に発売された、旧録・新録と新曲を含んだベストセレクションアルバム『B'z The "Mixture"』は、「マストアルバム」と銘打たれ、2nd beat中心の選曲となっている

B'z(美しき世界)
B'z(OCEAN)
B'z(愛のバクダン)
B'z(FRICTION)
B'z(love me, I love you)
B'z(LADY NAVIGATION)
B'z(Easy Come, Easy Go!)
B'z(ALONE)
B'z(ピエロ)
B'z(The Wild Wind)
B'z(愛しい人よGood Night...)
B'z(美しき世界)
B'z(いつかのメリークリスマス)
B'z(Stay Green)
B'z(熱き鼓動の果て)
B'z(盗作疑惑)
B'z(ねがい)
B'z(ロンリースターズ)
B'z(野性のENERGY)
B'z(衝動)
B'z(Stay Green)
B'z(今夜月の見える丘に)
B'z(旅☆EVERYDAY)
B'z(もう一度キスしたかった)
B'z(月光)
B'z(TIME)
B'z(裸足の女神)
B'z(ZERO)
B'z(ケムリの世界)
B'z(BLOWIN)
B'z(ARIGATO)
B'z(BAD COMMUNICATION)
B'z(Happy Birthday)
B'z(LOVE PHANTOM)
B'z(紅い陽炎)
B'z(ねがい)
B'z(LOVE PHANTOM)
B'z(明日また陽が昇るなら)
B'z(MONSTER)
B'z(juice)
B'z(ゆるぎないものひとつ)






2007⁄05⁄17 07:30 カテゴリー:B'z comment(0) trackback(1)
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